地場・旬・自給

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こっこ牧場の稲作

2007-11-15 06:58:29 | Peace Cafe
昨日、こっこ牧場の田んぼの籾摺りが終わった。収量は2反で、780キロだった。イモチでもち米がほぼ壊滅した中、サトジマンが頑張ってくれて、ホッとした収量だった。反収6,5俵は初めてにしては良くやったと思う。こっこ牧場は路上生活者の生活再建のNPO法人です。杉山さんという人が、命を削るように続けてきた。最初の出会いは「ダチョウ牧場」をやりたいのだけれど教えて欲しいと言う事だった。山北の奥で、飼っている人が居たので、紹介した。その方が病気で今は辞めていたと言う事で、再度話に見えた。何故ダチョウを飼いたいのかと言う事で、ゆっくり話を聞いて見ると。路上生活の人達に仕事を提供したいと言う事だった。これは大変なことだなと思った。以前、横浜駅のほうで、清掃活動をしながら、仲間が集まっている。農業分野で生計を立てられないだろうか。という相談を受けたことがあった。

その時も、鶏を飼う技術の指導は出来るが。とても経営する能力はない。と話した。農業分野に生計の場の可能性を見る人は沢山いる。テレビなどもダチョウ牧場の成功。三浦大根が1本500円など、特殊な成功例を取り上げる。そんな影響もあるのか、仕事を創出したいと考えている人達は、つい農業分野に意外な可能性があるかのように思い込みがちだ。思い込むというより、見出したいと言う事だろう。空き地はかなりあるし、あそこで、きのこ養殖をやれば、などとつい思いがちだ。もちろんやれる人がいるのだから、ダチョウだろうが、マムシの養殖だろうが、沢蟹の養殖だろうが、不可能ではない。しかし、あくまで、特殊な成功例だと言う事に気付かなければならない。

チーズ作りやワイン製造で成功している施設もよく紹介される。素晴しいことだし、確かに憧れる。その背景にある大変な蓄積や、運営能力は桁外れなものなのだろう、とついそちらのマイナス思考に私はなる。所が、杉山さんは全てプラスに考えて、やってみようと動き出してしまう。その積極性にはいつもいつも驚かされる。そうした人だから、路上生活の人をほっておけない。ダチョウは大きいから、鶏を飼って見たら、と言う事で養鶏を始めた。思い立ったら、まっしぐらだから、無料で貸してくれるという、車は入れない、悪条件の場所で始めてしまった。それが災いして、なかなか軌道に乗らない。軌道に乗らないから、次のアイデアに進む。羊牧場をやりたい。これも随分研究して、遠くまで、見学にも行ってきた。しかし、何とか思いとどまった。

杉山さんはオリーブがいいらしい。というので、オリーブを長らく考えていた。それで、近藤さんが苗木を提供してくださった。しかしオリーブが経営になるかというと、はるかなことだ。今度は麦をやりたいと言う話になった。麦を作って、乾麺をやりたい。しかし、それはそれで遠大なことで、何一つ道具もない中で、可能かどうか、第一働く人は誰なのだろう。結局、田んぼなら手伝えると言う事で、坊所の田んぼで取り組んだ。幸いなことに、Sさんという、素晴しい技術の方が現われて、田植えは滞りなく進んだが、そのごSさんは居なくなった。その後は今日まで、気を揉むことが多かった。それでも、何とか終わった。しかもそこそこの収量になった。来年どうするかは決まらないが、杉山さんは今度は菜の花をやって、菜種油をと言う事で、3反も畑を借りた。どうなることやら。
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洋蘭栽培

2007-11-14 06:00:37 | 身辺雑記
植物の事に興味を深めたのは洋ランの栽培が始まりだった。東京三軒茶屋世田谷通りに面した、ビルのベランダでの事だ。全く自然から隔離させたような、生活をしていた。そこで10年ほど暮した。それこそ絵ばかり描いていた。絵を描くといっても、いわゆる「作り絵」で頭の中のぐるぐるめぐりを描いていた。唯一の自然との接点が、洋ランの栽培だった。蘭友会というラン栽培の趣味の会に入れてもらった。多分、7,8年は入っていたと思うが、毎月代々木であった定例会に出ていた。これは絶対に、出ていた。何故というと、咲かせた花を12ヶ月。連続出品すると、表彰されたからだ。後半は毎月持ってゆける花があったので、何があっても休みにする気になれなかった。そんな毎回出品の常連が、30人近く居たと思う。毎月200人ぐらいは集まっていたので、趣味の会で、あんなに盛り上がっていた集まりは、空前絶後だろう。少なくても前代未聞。

何であんなに蘭に曳きつけられたのか。不思議なくらいだが、蘭科植物は奥が深い。植物進化の一つの極にある。特定の限定的自然環境に、適合して進化を続けたものなのだ。ある昆虫の生態に併せて、自分の形態を変化させ、その昆虫に運命を託して進化した不可思議。その種子の発芽には、特定のその植物の根周辺に暮す微生物が産み出す酵素がかかわる。何とも絶妙、微妙な植物だ。そのため、生育環境は熱帯の高山地域のような、変化の少ない、特定な環境に多い。もちろん日本にも多数存在するが、環境変化に大きな影響を受け、高山のお花畑のような所に多く残っている。子供の頃は身近にあったエビネやシュンランやセッコクも蘭科植物だが、今はこの周辺では見た事がない。

その特殊な栽培法に、はまった。だからラン栽培には名人が居る。名人は趣味の人で、商売人にはそこまでの人が居ないというのが又面白い。だから、名人が蘭以上に面白かったのだ。名人の薀蓄が、奥が深い。「気を好んで、風を嫌う」「一山一花」等と言う。しかも、バイオ技術クローン増殖までが栽培法にあり、こうしたことまで趣味から入り込む人も居る。お訪ねすると、無菌箱や顕微鏡があったりする。私も一時のめり込んだ。ラン栽培の適地を求めたことも、転居の大きな理由だった。ラン科植物の自然栽培を目指そうとした。洋ランは薬漬けと言ってもいい状態で栽培されている。年がら年中植え替えている。これを無肥料無農薬。植え替え無しの水遣りなし。これで栽培したいと考えたのだ。

今我が家で生き残っているランはその末裔だ。昨年はついに無加温であった。それでもまだ生きている。30年ぐらい我が家で生きてきた蘭だ。もうわずかな数になってしまったが、何しろ20年水遣りをしたことが無く。生きていると言う事が、信じてもらえるだろうか。多分、蘭友会の誰一人、信じないことだろう。無肥料無農薬等、理屈での発言はあるが、本当に洋ランでやって見た人など、世界でも少ないだろう。ここには栽培室をランの自然環境に近づける工夫をした。水遣りの代わりは、井戸水をミストで、時間ごとに噴霧し霧の高山のような状態にしてある。しかし、ラン栽培の為に山中に移住までしたのに、ラン栽培への興味は急速に減じたのだ。山で暮せば、登山に行かなくなるようなものだ。自然を神秘に満ちていた。自然の中で、人間は生きられるのか。「自給自足」の方に興味が移行した。絵の方も、いつの間にか「作り絵」を描かないようになっていた。
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11月のトマト

2007-11-13 05:47:35 | 自給
まだトマトが採れている。いつも、11月に入ると、実は付いてもいつまでも赤くならない。今年はまだ日差しもやけに強いし、トマトも充分トマトらしい味がしている。まだ、と書いたが、久し振りになっている感じだ。トマトは今年の夏の収量は悪かった。いくらも採れなかった。暑すぎたのだと思う。花は咲くのだけれど。実にならない。受粉障害と言う事か。来年はついに大玉トマトを止めることにした。ミニか中球にする。どうせ中玉ぐらいにしかならないし、自家用なら安定した品種の方がいい。トマト大玉栽培を身につけることをついに諦めた。トマトだけは20年間色々試みた。接木までやった。それで止めるのも寂しいが、向いていなかったと言う事。まぁ、野菜は何もかも向いては居ないのだが。誰でもできる自給生活の為には、大玉トマトはダメだ。

この暖かさでだいぶ遅らしていた、空豆と、キヌサヤエンドウも蒔いた。豆の類は毎年場所を変えて、畑の隅を渡り歩いている。畑をダメにすると言う、中野さんの発言が頭に残っている。今年は桃や、桜の更に外に蒔いて見た。絹さやの補助棒が桃に寄りかかって丁度良いかと思う。初めて赤花と言うのを蒔いて見たので、花が楽しみだ。絹さやは小さい・ごく小さいうちに食べるのが好きだ。ふわふわに頼りないくらいのものが絹さやの春の味だと、思っている。冬を越す作物はどんなにやわな印象でも、どこか強いものがある。栽培期間も長い。何ヶ月も畑に居て、いくらも食べる所はない。いつもなら、葉物もハウスに蒔く所だが、今年はハウスの移転を考えていて、蒔けない。畑にいくらか作ったので、それを上手く使うつもりだ。

上の段の畑は草刈をやっと終えて、雨の前に菜の花を蒔いた。今年はやはり調子よく芽が出た。今芽が出たところだから、3月ごろの何もない頃が、採り頃になるだろう。葉を食べて、その後菜花を食べる。この冬はカラシナばかり食べるて居ることになる。下の段の畑では蕎麦が花盛りだ。今頃ではちょっと実になるには遅い。蕎麦を栽培したわけではなく。そば殻を土壌改良のつもりで蒔いたらば、一面に発芽してしまった。ここは、更にレンゲを撒いた。そもそもレンゲは蒔くつもりだったので、蕎麦の発芽の中にレンゲを撒いたことになる。レンゲは10月下旬まきで、遅いことは遅いのだが、畑の事情もあり遅れてもやらないよりはと思って蒔いた。一面と言う事にはならないだろう。田んぼの方は9月中に蒔いたので、そこそこ発芽しているが、それでも、全く出ていない部分もある。レンゲも手抜き農法では難しい。

この冬の課題は、ハウスの移動だ。前から頭を悩ませていたのだが、やらないわけにはいかない。と言っていつ時間があるのだろうという状態。困る。蘭の移動からやらないといけない。それが終わったら、解体して、再建する。その前に蘭の移動先を何とかする。それが、いつも冬の青菜を蒔いていたハウス。トマトはもう終わりにしなければならない。あれこれ手順があるが、やらなければ始まらない。鶏の方は種鶏の別飼いの時期だ。今年から、孵化を控えるので、こちらはそう慌てる必要がない。今週も雄鶏の出荷があるから、これでだいぶ小屋が空く。空いた所に徐々に種鶏を入れてゆけば、自然別飼いになる。結局この冬が山場で、この時期さえ過ぎれば、随分整理がつくことになる。最小限の家はその後建築と言う事になりそうだ。
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水彩人の審査日

2007-11-12 06:46:27 | 水彩画
水彩人は同人を求めている。今年、一名が新しい同人に加わって、16名になった。6人で始めて、来年10回展になるが、16名と言う事は年に1名程度増えてきた事になる。昨日は一日その審査を行った。水彩人を結成した理由は、絵について、自由に語り合える仲間を作りたい。あれこれあったが、結局そう言う事になる。既成の公募団体が絵の事を話さなくなっている。一般の出品者が、会員の絵に対し、あなたの今回の出品作は、これこれの理由でよくない。等発言出来ない状態になっている。階級制度というか、家元制度というか、日本的支配構造がしかれ、本来の一番大切な、絵画研究の為の集まりと言う側面は、閉ざされている。水彩人の仲間もあれこれの公募団体にかかわりながら、そのことに苦悩し、何処までも自由に、対等に、絵の事を語り合える仲間を求めてきた。

アンデパンダン展という、無審査の組織も在る。カヨ子さんはもう長いことその展覧会に、彫刻を出品している。その彫刻部門の出品者での研究会も、銀座の東和画廊で、続けられている。なかなか見ごたえのある、展覧会になっている。無審査で行うと、レベルが低いように思われる。日展の彫刻に入選したからすごい。とか、新制作の彫刻部はレベルが高いとか言われるが、アンデパンダン展の彫刻を見る限り、レベルが、日展や新制作より低い、と言うようなことは、全くない。と言っても、そうした公募展はこの20年見たことがないので、昔の印象だけで書いている。水彩人は自由に絵の事を語り合うために、その制作姿勢を書いてもらう。作家としての生き方を聞きたいのだ。ともかく、審査と言う事の意味をあれこれ悩む一日であった。

同人である自らを省みる一日でもある。水彩人では同人も、応募者同様に、扱う。同人に相応しくない。制作の方向が違う。という批評も率直にでる。そうした批評の結果と思われる、退会をした人も何人もいる。新同人の審査を行うと言う事は、同じことを同人自らに課そうとしてきた。だから、いよいよ思い悩む、審査になる。今年度から、同人の審査という形を、とりながらも、「一般出品の審査」と言う名称になった。判りにくいのだが、同人一本の形では、判断がつかない為、折角の仲間を見落とすこともある。作品を共にならべ、語り合い。展覧会を共に行い。同人としてやっていける人か、踏み込んで判断させてもらおう。と言う事になった。

結局様々な議論の末、一度退会した。郡司さんが同人に復帰した。郡司氏の絵の道は、評価されるべき本質的なものなので、彼を同人として迎えたい、と言う事に異存のある人は、当然居いだろう。作品も難解で、当然人間も難解で、何故一度退会したかも誰にもわからないが、再度同人としてやろうと言う事になった。近年の彼の絵の深さは、現代に於いては類まれなものだと思う。絵画的に高い質を感じる。以下が私の作品評である。
「洗練された世界が提出された。筆遣いに以前との変化を感じる。絵画表現としての統一感がある。かな書きのような優美さがある。そぎ落とされ整理された世界がある。洗練と結論。しかし、結論を求めると世界は狭まる。混沌が失われる事で、未完の可能性のような、融通の利く部分が無くなる。制作はいつも、仕事を厳密化する。結論を求める。結論と言うものの持つ、厳しさ。過程。試行錯誤。間違い。そうした人間的なものの入り込む所は、この後どこかあるのだろうか。結論を出しては否定する。制作の無限。」
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セルトレー稲苗作り

2007-11-11 06:10:42 | 稲作
あしがら農の会の通信にセルトレーを利用した、稲の苗の作り方を書いた。来年やって見たいと言う事だったので、もう少しここに詳しく書くので、参考にしてもらえたらと思う。

農の会の稲作の基本は、手植えになっている。最初は田植え機でやっていた。田植え機も持っている。しかし、機械の方が時間も、手間もかかる、と言う世間に言っても、信じられないようなことが起きた。その他もろもろあるが、ともかく続けてくると、手植えがいいという事に落ち着いた。5畝の苗床を作って、各田んぼが集まり、種まきをしてきた。しかし、手植え以上に苗採りが大変と言う事が起きた。田植えはどうしても日曜日にやる。すると、苗採りは金・土曜となる。人が集まらない。田んぼの方も、線引きの準備がある。ここを少しでも楽にする為に、セルトレーで作って見ようかと考えた。

200穴から300穴のトレーで作る。今年は100枚やった。100枚で11.340円。2万株あれば、尺角植えで、2反がまかなえる。舟原の来期は2.5反で5万株の予定。数がおかしいように見えるが、舟原では24センチ角植えにしている。理由は水温が低い、又ヒエ対策の為に8センチ以上の深水を続ける。初期分結が取れない。株間に隙間が多いとコナギが生える。雑草対策の為と、収量を上げる為に、24センチ各植えに落ち着いた。そこで、5万本必要。実は田んぼの面積も。株数がわかるとかなり正確なものが、計らずとも出る。坊所田んぼは測らないが、測量結果と同じ正確に2反だった。

トレーには山の赤土を入れる。肥料分は全く無くてよい。運んで前処理などはいらない。そのままトレーに入れればいい。晴れていれば、土の取れるところに出向いて、その場で種蒔きをすれば良い。
1、土はトレーの上でフルイで振りながら入れる。
2、平らない板切れで土を軽くならす。上から他のトレーで押し込んで、軽く土を凹ます。
3、そこに、種を3粒前後蒔く。3粒というと、どうしても3粒以上になる。しかし発芽率が、塩水選をしないので、良くて70%と考えて、これで2から3本立ちになる。
4、種蒔きが終わったら、土を更にかぶせ木のヘラで均す。そして軽トラの二台に積み上げて置く。10段ぐらいに積み上げて問題がない。

時間は5人で5時間で、トレー100枚が蒔き終わった。初めての事で、試行錯誤しながらで、この時間なので、来年は多分短縮できるだろう。テーブル上の作業を、椅子に座って行うので、時間の割に楽だった。

5、種の撒かれたトレーは水の来る田んぼに並べておく。大切なのが、田んぼの土の準備だ。ここが良く出来ていないと、いい苗が出来ない。田んぼの土には、冬の間によく発酵している養鶏場の床(鶏糞ではない)を均一に蒔いておく。量は1畝で50キロ。を2回。田んぼの他の部分よりは多く蒔く。
6、トレーを並べるベットを作る。土の乾いた日に細かく耕運する。ベット状態に地面を一段上げ、水平が取れるように準備する。水糸がないと出来ない。この点では今までと同じ。
7、周辺に水路で回し、水遣りの為、水位の上げ下げが自由に出来るようにする。
8、ベットの土にめり込むようにトレーを並べる。ただ置くのでなく。全体を覆う板をかぶせ体重をかけ、めり込ませる。土と必ず密着させる。
9、並べた上にはすずめが来ないように、ネットを張る。ネットを張らず、パオパオをかぶせて、保温を兼ねて行うのもいい。
10、発芽したら不織布に芽が絡まない内にとるか、最初から両側に棒を並べ、浮かせる。いずれ取るタイミングはスズメと相談。
11、水は、朝晩水路に入れて、水やりを行う感じで発芽させる。初期は田んぼの水が冷たいので、温める形で水路を迂回させ、水を貯めておくの方が良い。
12、セルの下の穴から、田んぼの土に根は伸びてゆく。出来れば、5葉期まで置いて、田植えをしたい。その為には種蒔きは6月1週の田植えで、4月第2週になるか。
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日本の米事情

2007-11-10 05:31:08 | 稲作
お米ほど日本人の暮らしと密接にかかわる作物はない。日本人の物腰、所作にまで田んぼでの働く姿が反映している。和室での畳みの上の暮らしと。田んぼでの作業は関係が深い。ぬかるむ田んぼでの動き、すり足の動きと同時に重心の移動。足の運びの動きに比して、手のほうは手際よく働く。家の暮らしの方が、椅子と板の間、じゅうたん。と変わりながら、田んぼの方もどんどんと機械に変わった。昨日、こっこ牧場の脱穀をした。こっこ牧場はNPO法人として、生活再建の場として活動を続けてきた。私は農業分野の協力をいくらかしている。普段余り時間が取れないので、こうした作業をしながら、来年の話などしようと思うのだが。どうも、機械音がすごくて、何も話など出来ない。ハーベスターに使われきってしまい。最後は全員無口になってしまった。

幸い、お米は良く取れたようだ。無口になるしかないので、ついお米の収量から、価格を計算していた。これが生活再建になるのか。と思うような数字しかでない。概算だが、720キロぐらい採れたとする。このお米を生産するには、稲の苗代、4万円。地代が、3万2000円。それだけで、10キロ1000円のお米になるんだなぁー。など、あれこれ考える。坊所で作業時間を延べにすれば300時間はかかった。労賃をざっと考えて、考えちゃいけない。もうどうにもならないことになる。毎朝毎晩の水周りの、手間と費用など、どうなると言うのか。それなら、こっこ牧場では、安いお米を買った方が、暮らしとしてはマシなのか。しかし、それでは何かがおかしい。政府の進める、担い手への田んぼ集積では、ソロバンがあっているのか。

このまま低米価が続けば、粗収入から生産費を差し引いて算定する標準小作料がマイナスになり、土地所有者が金を払って貸すような逆転現象が生まれかねない。と言うのだ。お金を払って土地を借りていただく。そんな人がいるわけないから、放棄しておくのが賢い選択という訳だ。認定農家で、大きくした人は今、存亡の危機を向かえている。先日、給食米の不足の緊急通知が、農協から出た。「子ども達にお米を」という訳だ。足柄平野では農協にお米を出すような人は1割程度だ。作れば作るほどマイナスになるのに、農協にいつまでも出してる人はそんなにはいるわけがない。全農集荷の神奈川県産米はほとんどが、県の学校給食会に行く。そこから炊いたご飯を、各自治体が買い戻すと言う。中間マージンを吸い上げる為の、利権の仕組みができている。これは食糧事情が悪かった戦後時期の理由なき延長システム。

「小田原の給食を考える会」の活動で、せめて、全国並みに、米飯給食を週3回にという運動をしてきた。その結果。と思うのだが、来期からはついに3回になる、という話を聞いた。小田原のお米を、直接小田原市が買い付ければいい。そして炊飯するのが一番だ。各教室に炊飯器を置いて、自分たちで炊けばいい。横浜の子供はどうすると言われた。都会の暮らしがおかしいのは当然だ。そっちはそっちで考えればいい。見えるところで、できる限りまわす。この循環が大切。そうすれば、価格は再生産してもらえるように、せざる得ないことがわかるはずだ。農協が子ども達にお米を、と呼びかけるなら、買い付け値段を言うのが先だ。農家も生活してゆかなければならない。お米が安すぎることだけは、理解してもらわなければならない。
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お米の保存

2007-11-09 05:35:54 | 稲作
まだまだ、新米を食べるわけにはいかない。昔の農家は古いお米から食べたそうだ。まだ去年のお米が、備蓄米として25キロほどある。これが安心の元なので、年内これを食べて、新年から、新米と言うのが、丁度いい安心量だと考えている。所が、新米の味見で食べる。採れたら、少しは新米が食べたい。さすがおいしい。そうなるとダメだ。私はまだ我慢できるのだが、おいしいものを食べるべきだ。こう言う事になる。だから、我慢して、おいしい新米を食べている。ご飯を炊く時には、新米になったら水加減を控えると言うのが、昔は常識だった。所が今は全く変わらない。新米と言っても水分量は15%。古米も15%保存。保存中に水分量が変わるなどと言う事は普通ない。古米ても味が落ちないなどとも言うが、実際の所どうなのだろう。

お米は籾状態で保存する。常温で保存するなら、当然籾状態での保存が望ましいはずだ。世間では玄米で保存する。多分置いておく場所が節約できると言う事なのだろうが。皮を剥いて、りんごを保存するようなもので、置いておく場所を特殊な環境にしない限り保存が出来ないだろう。籾摺り精米機と言うのがあるから、籾付きのお米をそのまま、精米して、すぐ食べることができる。こういうのは、作っている者ならではの喜びかもしれない。よほどの食自慢でも、お米は籾付きに限るなどと言う話は、聞いた事もない。お米の大きさは選り分けて炊く、ほどの究極の料理でも、出てこない。しかし、その違いはある。先日籾保存している友人が、1年置いた、籾の水分量が、増えていたというのだ。これには驚いた。生きているのだから、呼吸をするのだから、在り得ないことではない。

では我が家の1年保存の籾付き米の水分量は、どうなっているのだろうと。測定することにした。15.4%だった。では今年の保存の籾はどうなっているかと測定すると。15.2%だった。このお米は刈ってから、10日間ハザ掛けで天日干しした。その後、脱穀して、網の籾袋に入れたまま、風通しのいい縁側の日陰に、1週間置いてあったお米だ。この後、倉庫の茶箱に入れて積み上げておく。こうして置けば1年経っても、品質が変わらない。この保存の仕方は、種籾を保存しておく状態と同じだ。だから、発芽率でその年の保存状態がわかる。今度1年保存して、70%の発芽率だった新月刈りのお米が、発芽率がいいのは今年の実験結果だったので、このお米でやってみたい。2年保存したらどうなるか。試験して見る。100粒セルトレーに蒔いて発芽率を見ているのだ。塩水選を強くしないため、発芽率が気になっている。

保存にいいのは15%と言われている。と言っても低温倉庫での事だから、常温での保存は又別かも知れない。食べておいしいのは18%から17%のようだ。天日干しを終わった状態では15%までは行かない。17%までが普通だ。そのお米を更に、2,3日筵に広げ、さぼす。そして保存。こんな風にやっていた記憶があるので、私もそうしている。安寿の目の見えなくなったお母さんが、鳥追いをしていたのは、このさぼしていたところと考えていた。悲しくなる想像だった。今は水分計があるから、計りながらやれるので、まず間違いはない。窒素封入とか、真空パックとかで、玄米を保存する様々な方策が出ているが、籾保存が自然なやり方で、一番だ。去年のように種籾を別にしなかった間違いがあれば、食べていたお米を種籾にできるのだ。
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広域ごみ処理真鶴・湯河原の聞き取り

2007-11-08 05:51:07 | Peace Cafe
14日午前中、湯河原町・真鶴町のごみの現状の聞き取りに伺った。第2回広域ごみフォーラムを11月23日に行う。その資料集めでもある。「地域のごみ市民会議」として、4名で行った。場所は湯河原美化センター。南郷山の公園の所だ。実に眺めのいいところで、以前良く絵を描きに行った場所。久し振りで、登り口を間違え、遠回りして、湯河原の方から登る道を上がった。本当に高い場所で、風もよく吹き抜けて、淀まない。その点はいいのだが、ここまで、毎日荷揚げすると言うのも大変なことだ。新幹線はこの深い下をトンネルで、抜けていることになる。少し下った辺りには、小田原と湯河原を結ぶ、広域農道が、着々と建設されている。小田原側も一夜城の下から、どんどん湯河原に向かっていると思っていたが、湯河原川からも、小田原に進んでいる。小田原では今の焼却場の傍から、一号線に抜ける為、更に工事が再開されることになっている。と言う事は私が、伊豆方面に絵を描きに行くための道路と言う事になるが、そういう訳ではなく。1市3町のごみを集める為の道路になる。

美化センターでは湯河原市の環境課課長、主幹、一部事務組合の責任者など、関係主要ポストの方が、待ってくれていた。あらかじめお願いしてあった、ごみ全体のコストが分かる。資料に基づき説明があった。小田原のものより、分かり易く出来ていて、1人あたり、17000円ぐらいではないかと、その場で概算できるほどのものであった。小田原との違いの大きな特徴は2点。1.事業系ごみと、家庭系ごみの仕分けがないこと。2.産廃である、木質系解体残渣は受け入れている。この点では、小田原のごみ処理法に合わせてゆく方針であることを明言する。国の方針が5万人以下の人口では、交付金を出さない。湯河原としては、広域処理のほか選択の余地がない。という考えのようだ。

湯河原、真鶴の両町は収集については自ら行い。焼却については一部事務組合が行う形態をとっている。炉の状態、辺りの環境状況も良好。久野で燃やすより、よほど環境負荷は少ないと思えた。ここは、丁度真鶴と湯河原の町境にある。迷惑施設の立地はこのような位置になるのだろう。と言う事は、これからもし、広域化となり焼却炉の建設の可能性があるのは1市3町の町境の辺りなのか。つまり根府川辺りが合理性があるのか。帰り道その辺りを見て歩くとそんな気になった。両町の最終処分場は、切迫していた。もう入れる余地がほとんどない状態。外部持ち出し以外方策がないだろう。新たな計画もないというのだから、小田原と同様に、灰溶融を外部委託する。最終処分場は焼却炉より更に上にある。かなり露出していた、特に埋め立て処理ごみが目立ったが、埋め立ては止めるしかない。

同じ観光産業が大きい町ではあっても、箱根とは随分違うようだ。箱根は財政的に豊かと言う事と、観光産業の占める割合が特に大きい。箱根は広域を選択するより、外部委託処理の道に進むかもしれないと感じた。湯河原・真鶴でも、夏場はごみが増え、月曜には日量120トンになることもあった。焼却炉の規模は70t/日なので、ピットが、200トンぐらいだから、観光の町のごみの偏りも炉の規模に影響する。もし、これを10トン車で運んでも、12往復となる。5年前より屎尿は開成町まで運んで処理していると言う。初めて聞き驚いた。10トントラック日一便処理で上手く行っている。その経験から、ごみの輸送は大丈夫と考えている。そうだ。運送と言う事は、今後の検討課題で、今のところ具体的な方法間では進んでいないと言う事。
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自家採種の胡瓜

2007-11-07 03:27:03 | 自給
写真は種採り胡瓜だ。先日、草刈をしていると、あれと思うほど大きな胡瓜が、草むらに隠れていた。今年は、ついに種取りが出来なかったかとちょっとがっかりしていたので、嬉しかった。更に腐らせてから、種を残した。この腐るというのは種には必要らしい。もう繰り返し、種取りをしてきて、7年ぐらい経つのか。今、下大井の集荷場がある場所で、加藤さんが畑をやっていた頃の事だ。採り遅れたやはり大きな胡瓜が、落ちていたのだ。これは種取りに丁度いいなと思い。貰って来たのが、始まりだ。その時の品種も知らないし、棚に作っていたのを、ずーと地這いで作ってきた。それが特にいい品種とか、個性があるとか、病気に強いとか。そんな特別なことがあるわけではない。食べれる胡瓜が出来ればそれでいいと思っている。どの位自家採種が続けられるか。そんな素人的な興味があるだけだ。子供の頃からの胡瓜好きだ。カンカンに暑い夏に、畑で取った胡瓜に味噌をつけて食べるのが、一番のおやつだった。

草刈をしていて出てきたのは、後ボケの実が4つと、カボチャが、コンテナに3杯。カボチャは鶏のおやつに上げている。カボチャはそのまま放り込めば、つついて食べてしまう。所が、何度そう言っても、カヨ子さんは砕いて、与える。これが良く判らないのだが、絶対につつけない、そう決めているのだ。何度も私が放り込んで、その姿かたちがなくなるのに、何を主張するのだろうと思うが、必ず砕いて与える。お互いではあるが、人の言う事は全く聞いていない。2人で養鶏をやるという以上諦めている。前に循環農園のカボチャを鶏に貰った時は、全てそのまま発酵に加えた。一週間で全てがどこかに混ぜこぜになって分からなくなった。これも実際に、あったことだが、そんなことは在り得ないと今でも言われている。ボケは草刈機で、刈り込んでいたら、落ちたのだ。毎年実がつくぐらい大きな株のボケがある。今年は、戴いた焼酎があるから、それに漬けてみた。

一番長く自家採種しているのは笹鶏だ。赤系統は16年かな。白系統でも10年は超えたと思う。養鶏を止めても生きている間は続けようと思っている。近親交配は問題が起きると言う人がいる。やってみもしないでそうしたことを主張する人がいる。やってみて問題は起きていない。と言ってもカヨ子さんと同様、人のやったことを信じるのも良くない。自分でやれば良い。何しろ鳥類の起源は古い、Takagiさんの言われるとおりだ。哺乳類とは比べ物にならない。恐竜時代から生きてきたのだ。次に古いのが、お米だ。坊所田んぼで石綿さんにお世話いただいたときから、10年は越えた。途中余りに乱れるので、埼玉から、同じアキニシキを入れたが、それの方が出来が悪いので、そちらからの種取りは止めた。乱れるとは言え、やはり土地にあって、私の栽培法に適合して、やりやすくなっていると感じた。これも素人考えだが。

そのアキニシキが、今年はひこばえが生えないのだ。こういう感じだから、発言の信憑性が低くなる。正確には生えないのでなく、ひこばえが伸びない。現在5cm。10月が暖かい為か、上の田んぼは20センチを越えている。実は、分結数が少ない割には、収量があった。それは無効分結がないこと。これも初めての体験。思い当たるのは肥料を米ぬかから、ソバカスに変えた位。ともかく、思わぬところで、困っていた、無効分結の減少に成功した。来年も同じパターンでやってみること。それで肥料の後利きが無くなれば、新たな技術になる。そうだ、干しを2回強くしたと言う事も忘れずに、置かないと。胡瓜の種採りが途絶えると、興味をつなげて来た、7年という時間が消える。他の人には、どうでもいい時間だが、私にはもう取り返しが付かない、7年が消えることになる。
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最小限の家続編

2007-11-06 06:35:12 | 最小限の家
昨日も草刈の続きをした。いくら刈っても終わりがない。まだしばらく続きそうだ。それでも、5時までには時間を1時間残して、市役所に行った。一つは農地の購入をすることになって申請している。家のとなりの農地5畝だ。これで、食糧不足時代が来て、農地を貸さない時代に、戻ったとしても安心だ。これが農業委員会で、理由無く保留になった。農地だから、私が農業者である必要がある。当然、私はもう農業者になって、17年が経つ。所が、これで書類をそろえに行ったら、何と、私が選挙人名簿に入っていない。何故か。私は地域の生産組合に入れてもらえない。理由は良くわからないが、地域でもそういう前例がないから、扱いに困るようだった。それで、入る事もないと思い、そのままになっている。そうした場合、行政や、農協と連絡網が切れる。配布資料などが、取りに行かなければならなくなる。

選挙人名簿は毎年、自ら更新しなければならない。農協支所に持って行けばいいことになっている。所が、基本は生産組合が集めているらしく。農協の支所は個別に持ってくる人は、例外で整理から漏れたらしい。これについては、前回の農道を直す際の届けで気づいたので、届けて何とか修正されていた。とすると、何か他に理由があるのか。農業委員会事務局が言うには、「農地を借りてばかりで、持っていないから」とか「耕作面積が狭い」等言う。しかし、私は6反以上正式に農業委員会を通して、賃貸契約を結んでいる。私が耕作している田んぼ畑を是非農業委員会は、見に来て欲しいものだ。その上でおかしいと言うなら、ともかく。これは、何か「笹村と言う個人」に対し。恣意的な判断が入っているとしか思えない。11月の農業委員会を待つことになった。土地の取引を、理由無く、一ヶ月延ばし。契約に影響があることは良くある。

そのついでに、最小限の家の建築確認に行った。だいぶ時間が経って、忘れかけていたが、担当してくれたKさんは事細かく、教えてくれた。お陰でだいぶ書類が出来た。この調子なら、次回持って行けば、何とかなるか。と思ったら。設計士の資格のないものが、申請するときにはこれらも付けて貰います。新たな書類が出て来た。10㎡以下の農業用倉庫に本当にそんなものがいるのか。さらにもう一つ、又隣の敷地まで3メートル離れていないから、不燃材で作らなければならないと言うのも、復活してきた。これは前回の届出、敷地を最小限の広さにしなければならないと言うので、私が広く取りすぎるというので、あえて狭くしたのだ。おかしい。おかしい。前の届けなら、敷地は充分3メートルあった。役所側で修正しておいて、その為に3メートルない。それを理由に木造はダメだ、とさらに指導する。

こちらでも、何か「笹村と言う個人」にやらせたくないから、意地悪をしているのだろうか。Kさんは親切でそんな風には思えないが、しかし、この人は一年前。「鶏はビニールハウスで飼ってはならない。」そう法律が決めていると主張して譲らなかった人だ。このときは、では「その発言を文章にしてください。それに対し訴訟手続きをします。」こう言うと、相談の上、ビニールハウスでも鶏を飼って良くなった。ともかく、うんざりする対応で、辟易させて、諦めさせる。これが手法だ。生活保護窓口と同じだ。面倒なことは避けたいのだろう。そのことは判らないではない。しかし、農業者が、自分で農業用倉庫を建てることが出来ない。この現実はいかにも不自然だ。この最小限の家という、名称がいけないか。いけないのを承知でやっているのだが。
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小沢一郎、どこへ行く。

2007-11-05 05:51:33 | Peace Cafe
安倍慎太郎の限界辞任。今度は小沢一郎豪腕辞任。この人達は一体この国の事を、本気で考えて政治をやっていたのだろうか。自民党と民主党の大政翼賛会政治を、望む国民は、間違いなく少数派。小沢氏のこの手法は民主主義否定になる。民主主義政治の仕組みはトップ会談で、全てを決めるようなものではない。密室の党首会談など、やるべきでない。公開できないような話し合いなど不用。公開できないと言う事は、裏取引の憶測が出る。小沢氏は朝日、日経を除く報道機関の姿勢を強く批判している。憶測の生じる会談が、そもそも政治家としての判断の間違いだ。

小沢氏に、日本の安全保障に対する、独特の考えがあることは、誰しも分かっている。その憲法を逸脱する、国連軍への武力的参加という考え方に、民主党の7割の議員は明確に否定している。そのことを充分承知していながら、党の運営を行うと言う事は、代表である以上、自論を控えなければならない。小沢氏には国民に託された役割があった。選挙での国民の審判を経た政権。これを参議院選挙では、主張していたのではなかったか。2大政党政治を望み、政権交代可能な政治状況を作り出そうとしてきたのではなかったか。であるなら、衆議院選挙で、たとえ自民党が勝利すると言う状況が見えたとしても、それが議会制民主主義だ。国民の選択だ。自論が通らないからと言って、ここで投げ出すとは、何とも情けない。

ねじれ国会と言う、何も決められない、状況がこれから表れるだろう。と言う正にその正念場だった。このねじれ停止国会は国民の学習の場になる、はずだった。大統領制でない選挙制度で、小選挙区制を選択すれば、こうした結果になる事は、充分予測される。否が応でも、6年間我慢するしかない政治状況になった。この混乱停滞を潜り抜けるには、時間を待つほか、手の打ちようのない。そうした選挙制度を作り出した、一人が小沢氏のはずだ。国民は民意の反映しにくい、悪い小選挙区制を、悪いなりに利用して、最良の「国会ねじれ空転」を選択したのだ。憲法すらないがしろにする、政治風土をこうして停止するしかない、と言う判断をしたのだ。民主党の政策を支持して、参議院選挙で民主党を選択したのは一部だ。安倍慎太郎と言う愚かな改憲主義者の、危険を感知した。ともかく止める以外危ないぞ、これが国民の感じた臭いだ。

そうして、インド洋給油も終わった。これだけでも成果だ。やるべきことは給油に変わる、日本独自の平和的手段による、アフガニスタンおよび中近東への貢献だ。即座に国際社会に対して、日本的な手法の、平和憲法の精神に基づいた、紛争解決行動に進む必要がある。同じ対価を払い、努力しなければならない。そうした日本が出来る貢献をも行わないとすれば、世界から何と虫の良い国だと、批判されるだろう。民主党にもその貢献への提案がない。アメリカに言われる給油だけの是非を論議し、日本の考えを示す事ができない。これが日本の政治の不毛だ。

さらに、防衛省の汚染問題が、こうした政治空白で、うやむやになる事はあってはならない。小沢氏への600万円の献金の背景。額賀氏が結婚式でもらったと言う交通費100万円。何故、湾岸戦争への派兵で、寝ずと頑張るはずの幹部が、ゴルフ三昧だったのか。氷山の一角。どう考えてもこれらの背景には、軍事物資納入にかかわる、大疑獄が存在しそうだ。解明されるかどうかは、頼りないが、国民の臭覚は怪しいとにらんでいる。厚労省のテイタラクも異常だ。人の命のかかわる書類が、隠されていたで済むのか。役人の保険料のネコババ告訴どころではない。やっと、おかしなことが浮き上がり始めた所ではないか。うやむやにする為の政治混乱の誘導であるなら、国民は今度こそ監視しなければならない。
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テロとは何か

2007-11-04 06:27:09 | Peace Cafe
アメリカは北朝鮮をテロ国家の指定からはずそうとしている。日本人拉致への配慮で、日本政府と調整を続けているようだ。終了したインド洋での給油支援はテロ特措法と言う事で、テロ集団、名目はアルカイダに対してアメリカおよびその周辺国が、攻撃を加えるためとなっている。では、テロとは何か。この定義は重要な事になる。アメリカ政府のテロの定義と言えば、青山貞一氏によると、明確でないらしい。元国務長官のジヨージ・シュルツは「テロリズムとは、わたしたちがテロリズムと呼んでいる現代の野蛮行為である」「テロリズムとは、政治的暴力の一形態である」「テロリズムとは、西洋文明に対する脅威である」「テロリズムとは、西洋の道徳的諸価値に対する恫喝である」このように言っているそうだ。何を意味しているか、意味不明。

アメリカが、圧倒的軍事力によってアメリカの考えている方向に、諸国を力ずくで導こうと言うのは、シュルツの言う定義そのままのように見える。北朝鮮が原子爆弾の開発を止めた、姿勢を見せる。それでテロ国家ではなくなる。と言う所が、アメリカの考える、実際的テロ対策の意味合いなのだろう。それなら、原子爆弾を所有し、世界を恫喝する、アメリカはテロ国家となりやしないか。原子爆弾保有のパキスタンのムシャラフ大統領が、非常事態宣言を行った。対抗してチョードリ最高裁長官は非常事態宣言を「違法」とし、すべての公務員と軍人に対して宣言に従わないよう命令した。という。最高裁でムシャラフ大統領の大領領選挙での立候補資格に、否定的な判決が間もなく下る。もう一つは、亡命9年目になるブット元首相が、ムシャラフ政権に協力を前提に帰国した日に、爆弾で襲われ、今はドバイに戻った事件がある。

ムシャラフ氏はアメリカの掲げるテロ戦争に、協力の姿勢を見せる事で、自らの独裁政権を強化して来た。タリバンの攻撃に対する弾圧と言う事もある。また、ブット元首相の選挙運動の成り行きも、非常事態宣言は影響している。当然イラク、アフガニスタンでの戦争の激化も影響している。一体この地域で起きている事は、テロとの戦いと言う正義はすでに、否、初めから成立していなかったのではないか。テロ、の本来的意味は、「弱者が権力者に対し、政治主張のため暴力的行為を通して、主張を行う」事を意味する。問題は9,11アメリカの同時多発爆破。無差別に民間人を攻撃する事で、その社会を混乱させる。その背景にあるのが、アメリカの主張するグローバリズムに名を借りた、世界支配構想。ブッシュが当時発言したとおり「新しい形の戦争」と言う方が、正確だ。

「テロ」と全ての紛争を、総括してしまう。曖昧さは止めなければならない。一般ごみを、家庭ごみと、摩り替えた同根の思想がある。一部を取り上げて全体を総称する。そのことで、本来その枠外だったものまでが、いつの間にか、テロと言う概念に入り込む。いまやアメリカの使うテロ国家と言う。本来この語の由来からすればありえない枠組みさえ、当たり前になった。これはアメリカが、自らの利権で行う行為を、あえて正義の戦いにイメージ化するために利用している。その言いなりである日本は、テロの意味を吟味することなく。アルカイーダを捕まえる為、のはずの作戦に、延々と協力させられた。テロは弱者の政治的主張である。テロを無くすには、弱者が暴力的にでなく、正当に主張できる社会的整備を行う事が、唯一の、又当然の道である。
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産婦人科医師不足の奥にある理由

2007-11-03 06:13:30 | 身辺雑記
産婦人科の医師が不足している。10万都市で1人などと言う状態があるそうだ。もう外国人医師をお願いするしかないという状態らしい。背に腹は変えられないとは言え。ちょっと変だろう。何故、産婦人科医が不足するか。考えて見たい。よく言われるのが、訴訟が多いいから、産婦人科は否。こういう人も確かに居る。しかしそれより大学の医学部段階での判断が、大きい。医学部は学部に進んで、4年生になって、外科とか内科とか産婦人科とか、進路を決めるらしい。進んでからも変更は聞くらしい。大学ではどうせ一通りやる、訳だから、産婦人科医だからケガの治療が出来ないという訳ではない。当然やっていいし、技量もある人が普通だ。金沢大学の昔はそんな風になっていた。

推測から書いてしまえば、産婦人科が儲からないから、と言うほうが本音だと思う。拝金主義の時代。儲かればやる。所属していた美術部には医学部の人達が10人くらいはいた。みなさんずば抜けて優秀な人達だった。その人達を通して、色々の医学部の人達を知った。ナルホド医学部に進む人は他の学部の人とは違うと、感じた。私などは、何故大学に来たのか、と言う事を考える為に、そこに居たという程度で、将来の事は何も決まって居なかった。どちらかと言えば、漠然と学問がしたくて、大学に居た。と言うような気分だった。所が医学部の人達だけは違う。つまり、職業専門学校なのだ。高校生のときに、特に受験に強い。そうした人が、人生の方針を16,7で決めて、進学している。高校生のときに弁護士になる事を決めて、法学部に進む。しかし、大学で学ぶうちに進路が変わる。こういう人とは違う。進路を変えるなら、医学部を退学することになるのだろう。

その選択に影を落としているのが、医師になれば、経済的にも良さそうだし。社会的にもステータスでもある。自分が受験に優れているから、そうした道を選択できる。それで、医師と言う職業に生きると言う意味を、少々早まって決める。そういう傾向がある。受験に強いが故に、あるいは競争に熱心であるが為に、勝者として、医師を選ぶ傾向がある。そうした選択の勝者は、上昇志向が強い。加えてプライドが高い。学部に進み、いよいよ、何科に進むかを決める。ここで、産婦人科に進む人が極端に少ないと言う事になる。お産が病気でないという事もある。上昇志向とプライドが、なかなか産婦人科を選ばせない感じを受けた。白い巨搭の財全教授が産婦人科医と言う事はない。

産婦人科専門の4年生の大学を作ると言うのはどうだろうか。医学部だけは何故か教養学部も6ヶ月長かった。医者だけが教養が必要という訳ではない。4年で、産婦人科の専門医を作る。病気の治療より、子供を取り上げる事の方が、好きだ。そうした人もいるはずだ。医師の世界と言う独特のヒエラルキーから、子どもが産まれると言う事を切り離す。助産士が昔のお産婆さんの世界から、上手く移行していない気がする。国は少子化で担当大臣まで置いておきながらおかしな事だ。危険度の高い妊婦や新生児を受け入れる拠点病院として各地に設置されている「総合周産期母子医療センター」の約7割が、2005年度に満床などを理由に地域の産科医院などからの母体搬送を断ったケースがあることが26日、厚生労働省の実態調査で分かった。新生児の搬送も約6割が断ったケースがあった。
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2007年秋の自給畑

2007-11-02 04:01:14 | 自給
田んぼが終わると、畑の方に目が覚めたように気が回る。苗作りを今年は出来なかった。苗さえ買えば、タマネギは間にあうから、ありがたい。白菜やキャベツも同じ事。時間もないのだが、田んぼに頭が一杯で、他の事が入る余地がなかった。少し田んぼに入れ込み過ぎたのか。裏作の麦も出来ない。やりたいのだが、出来ない。以前はやったのだが、頭に余地がなくなったのだから、畑に余地があっても無理だ。何でない、のかと思う。情けないと思う。だがこれが今年の実際だ。年寄ると言う事かもしれない。田んぼのお礼の草刈が終わり、ああ、畑だった、と言う気分だ。それからもう1週間草刈を続けているが、まだ、全部は終わらない。草と言うものはすごいものだ。それでトラックターが買いたくなった。トラックターをネットで検索する。すると、同時に山北の機械を使わない主義の前田さんが、頭に浮かぶ。それで、冷静になって、買わないことに気分が収まる。

前田さんはすごい。田んぼをついに、手だけでやって2年目だ。尊敬する。私だってと強がっても、今はもう無理だな。多分無理だ。絶対に無理だ。体力が無くなった。開墾が出来るのは30台までだ。もちろん出来る人はいる。しかしそう言う事をやりすぎれば、江戸時代のように体を酷使して若死にする。とついつい言い訳。出来ないのだが、トラックターは事故で死んだ窪川さんの事もあるから、買いたくない。それで、いい鍬を買おうかと考えた。今日いんちきの小さな鍬で耕したら、それは仕事がはかどらない。いい鍬があれば、シャベルよりいいだろう。いつまでもシャベルでは何しろ格好が悪い。アマチヤ的だ。最高の鍬を買おう。いつも最低価格の道具しか買わないから、今度はいいものを買おう。こういうある意味趣味的な考え方は、筧さんは認めるのかな。結局、一番安かったのをまた買った。

畑の準備はまず、徹底した草刈。その次にソバカスを蒔く。そして、養鶏場の床を蒔く。土が落ち着いたところで、畝たて。植え穴掘り。現在ここまで終わった。10日ぐらいかかった。この後はいよいよ植え付けだ。もう一度間をあける。さらに土が落ち着いたとこで、植えつける。実はジャガイモがとりきれなくて、掘り切れない所から芽が出ている。良さそうなので、今年はこれで、ジャガイモ栽培とする。後少しは葉物や大根などはやりたい。となるともう少し、畝を立てることになる。ビニールハウスの整理や冬の葉物類の栽培もある。まだトマトを採っているのだ。そろそろ終わりにして、葉物を蒔く。これが結構寒い間役立つのだ。このビニールハウスも、今度移動する予定だ。

私の自給は、インチキだけど、インチキでも平気だ。全てを完全にと思い込んでしまえば、何も出来ない。否、インチキな性分の私に合わない。ほんまもんの狭い所から始める人もいる。自分流しかないのだなあ、あと10年かけて、年寄りでもできる自給。つまり、誰でも出来る自給体系を完成したい。と言う事は、あと5年くらいで体系らしきものを完成する。その後繰り返して見ないとならない。5年繰り返せれば、永続性のある体系だろう。やはり10年計画になる。今まで、やってきた頭の中にある、蓄積が無駄にならないように。少しづつでも記録しておくつもりだ。杉林の開墾はやった。竹林の開墾もやった。体力仕事はいい加減やったので、今度は頭を使う方をやる。
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民主党の戸別補償農業法案

2007-11-01 05:19:47 | Peace Cafe
いよいよ、民主党議員提案の農業者戸別所得補償法案の審議が始まった。法律にしては分かりやすいというのが、第一印象。と言う事は後から細則で、あれこれ決めると言う事になるだろうか。慌てて出したので、細部までつめきっていないと言うのが、実際ではないか。この法案によって、10年後50%の食糧自給率が達成できる。1兆円規模である。こう民主党は考えているようだ。1、食料の国内生産の確保。2、農業者の経営の安定。3、食料自給率の向上4、地域社会の維持、活性化等の農業の多面的昨日の確保 志は高い。
法案の内容は、
主要生産物(米、麦、大豆)国、県および市町村は生産数量の設定をしなければならない。生産数量に対しては補助金を出す。補助金は生産規模拡大の費用や環境保全に資する度合いなどを考慮する。と言う辺りが、主たる内容だ。

正直な所、これだけで日本の農業が何とかなるとは、到底思えないが。具体的に考えて見たい。米、麦、大豆、の生産量を小田原市の単位で決める。本当に農政課でそんなことが出来るのか。農協がやるのか。その力量はあるのか。つまり、米なら生産を抑える。麦、大豆なら生産を促進する。そうした農家をリードする、力量がなければ、10年後に50%の食料自給率の確保はできないだろう。とすると小田原のような、農業を主要産業と考えていない、行政としても力を入れてこなかった地方公共団体では、先ず政府から、この法案の為の職員の派遣が必要だろう。それだけで1兆円かかるかな。少なくともこの法案の為に、全国規模で、行政職員の法案運用教育が必要だろう。そうでもしない限り、大きな枠組みだけの提案である、この法案では混乱が起こるだろう。

もし、農家の作付け生産調整が出来たとして、又、それを可能にする一番の要件である。生産費の算出は、又昔のように、国会の米価委員会にムシロバタで農家が押しかけるような事になるのだろうか。生産費の客観性などあるのだろうか。生産費は基本的には継続再生産可能価格だ。これは、国際比較すれば相当に高い。それでWHOは了解するのだろうか。そんなもの、どうでもいいと言えばいいが、そちらも立てるのが、民主党の考えに違いない。であれば、この法案は中途半端にならないか。

一番気になる点は、農業者の国家統制だ。この法案では、再度、減反調整を強制する、以前の悪いやり方に戻る。生活のかかった本気で取り組む生産能力の高い人も、いい加減にやる兼業農家も、同じように減反調整せざる得ない。誰がいい加減で、誰が、本気は決められる事ではない。以前、米作り日本一の人が減反に腹を立てて、タクシーに転職した。その気持ちは良く判った。極端だが、画家を国家が認定し、生活保障する制度を以前中国ではしていた。誰が誰を選ぶのか。これは不可能な事に違いない。中国では、大げさな絵画程度で、大した画家が出ていない。米作りも人間がかかわることで、千差万別。国が踏み込んでいい結果は出ない。自由主義経済の枠組みの中で、どう統制するのか。どうせ同じ価格ならと言う事で、水周りが1回減る。化学肥料をぶち込み、多集する。いいお米よ、何処に行く。
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