中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

全県各地での集会、地域訪問、かざぐるま保育園祭り、U団地お茶のみ懇談会、上野市政県政報告会

2006年10月21日 23時16分19秒 | 活動日誌
        (10・21集会で  250人の参加)

 盛り沢山な一日でした。

「10・21 憲法、教育基本法、くらしを守る集会」は、全県各地でとりくまれました。私は長野集会に参加、党を代表しての挨拶をし、パレードに参加。

 パレード終えて駆けつけてU団地のお茶のみ懇談会へ直行。

 夕方も、午前中に続き、再び地域訪問。7時からは、上野区の市政県政報告会でご挨拶をし、地元のみなさんと交流しました。

 続きは、また後で。明日書きますね。

 地元の「市政県政報告会」のあと、久し振りに地元後援会のみなさんと、反省会兼交流会をしました。そんなわけで、アルコールが入って、ちょっとよれよれなのですよ。

(続きです。21日朝に)


(なまえがわかりました!コセンダン草  中国の友人が雑草図鑑を探してくれました!)

 昨日は娘たちがお世話になった、かざぐるま保育園のお祭りの日でもあったので、昼をかけてそこにも参加しました。
 OBの父母が沢山見えていて、たちまち同窓会。話しは子どもたちの自立の問題。

 「若者がこんなに働くところがなくては、私たちの年金も当てにされかねない。でも、退職金もガンガン減らされていて、人生設計、狂っちゃう」

 
U団地のお茶のみ懇談会は、「生活と健康を守る会」主催で毎月行なっていて、原田市会議員の生活相談の場にもなっています。昨日も10人、毎回、入れ替わりに新しい方が参加し、懇談の輪を広げ、励ましあう仲間作りが進んでいます。
 昨日も早速、生活相談。「リストラ・・明日からどうするか・・」
 「生活と健康を守る会」のMさん、原田市会議員の地道な活動には本当に敬服しています。

 夜の市政県政報告会は、上野区だけで40人の参加があり、ここでも初めての方が目立ちました。いつもゴミステーションで顔をあわせるNさんと、初めて握手する感激もありました。

 さて、今日は今から地元の里山、三登山のトレッキングです。いってきまーす!ウキウキ・・・!山だ!
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大町市へ行きました

2006年10月20日 19時47分33秒 | 活動日誌
(昼は、例のテレビに出た種山氏のお店で、石臼で引いたそばを食べました。おいしかった!
 店の前に産直の出店。巨大にんにくがありました。ひとかけらで普通の塊の半分以上はゆうにありました。恐ろしくて買えなかったけど・・・。)


 大町市で太田市会議員、松島市会議員とともに、宣伝活動をしました。

 富山に隣接する大町市は美麻村、八坂村と合併して、面積は本当に広い自治体になりました。
 9月議会で太田議員が取上げた問題は水道料のことです。
 八坂、美麻は大町より水道料が高かったのですが、大町市に合わせ安くしないで15年間で是正しゆくとの市の姿勢です。
 高かったものは据え置きで、安かったものは大町市にあわせて高くする、これでは、たまりません。
 「細かいことで言えば・・」と松島議員、「体育館の掃除のモップはダスキンと契約で大きなもので楽にできていたのに、大町市になったら、小さなモップになったのですよ」。

 合併で後退をさせないように、来年のいっせい地方選挙での大町市の党の2議席確保、重要です。

 団地では男性の方が出てきてくださって、ニコニコと手を振って聞いてくださいました。太田議員の知り合いかと思ったら、「いや、初めてのひと」と。嬉しいこと。


(庭のアンネのバラ  日当たりに移したら枯れたみたい・・ショック。これが最後のスケッチにならないように、春の芽吹きに期待しています)
 
 移動の途中、脱輪車発見。宣伝カーを止めてお手伝いしました。ほかにも3台止まってくれて、みんなで「エイヤ!!」
 「綱で牽引しなくっちゃ」との状況を、わが運転手青年G君の適切な判断で上手にきりぬけました。
 止まった車の人が「共産党にきよき一票を!」

 南アルプスの見える上村に行ったときも、細い山道でエンコした車に出会いました。宣伝カーを止めて(というより通れなかった)G君が対応、原因を突き止め無事応急処置をして車を移動。
 車の持ち主の、大阪からやってきたというご夫婦の夫君が言いました。「私は大阪で宮本たけしを応援しています」

 2度あることは3度あるかな。でも大丈夫、G君は車の工場で働いていた専門家、趣味がサーキット走行という人です。

 
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芽吹ちゃんのお爺さんから書き込み・H保育園の発達診断日・九条の会

2006年10月19日 21時12分29秒 | 活動日誌
    (ピラミッドアジサイ  軽井沢での行動のとき昼休みにスケッチ)


 8日の日誌に私の友人、芽吹ちゃんのお爺さんからの書き込みがありました!
 中学生の芽吹きちゃんは、陸上部、長距離選手です。駅伝で7位になったとの報告に、お爺も喜びのメールでした。私も嬉しい。
 
 芽吹ちゃんのがんばりは、みんなを励ましていると思います。私も時々、芽吹ちゃんの名言を思い出しているのです。
 「走っていて苦しい時に何を考える?」の質問に彼女は答えて書いてくれました。「走り終えたら楽になると思って走る」と。私も、そうやって陸上部で走ったなあと思い起こしました。
 でも私は全く芽が出ずじまい。でも、培った体力で山登りの楽しさを見つけたのだから、何でも一生懸命やったことは、人生を楽しませてくれる糧になるものとおもわなくちゃ。
 
 芽吹ちゃんの走る姿を思い浮かべて、彼女の言葉が私を励ましてくれるときがありますね。
 いつもがんばり続けることはできませんが、「ここはひとがんばり」という時がありますよね、そんな時です。

 さて、H保育園、今日は3歳児、4歳児の発達検査でした。シングルマザーの困難、外国人子女、若い母親、両親の長時間労働など、どこの園でも見られる子育ての困難な状況がH保育園にもあります。
 
 子どもと親に寄り添う保育士さんがまた、同じような困難を抱えながらプロとして踏ん張っているのです。すごいなあ、と思います。
 私が保育士だったら、はたしてできるだろうか・・・・・たまに子どもを見る私とは重みが違う。すごい、現場は強い。

 ちょっとは保育士さんの支援になったかなと思いつつ、5時半、県九条の会の事務局会議に向いました。

 
 
 
 
 
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むしろ旗を立てて「年金者一揆」が行なわれました

2006年10月18日 20時36分10秒 | 活動日誌
          (本物のむしろ旗!)


 全日本年金者組合長野県本部が、「年金者一揆」と称して、集会、パレード、街頭署名など一連の行動を行ないました。全国いっせいにとりくまれた、長野版です。
 私は集会で党を代表してのご挨拶をした後、みなさんと怒りのパレードをおこないました。
 ご挨拶では、草の根の運動で必ず政治を変えることができる確信と、党の最低保障年金制度の提案内容にも触れました。
 
 

 集会では、「医療、介護、増税の負担増、もう我慢できない!」の訴えが続き、「いのちを守る最低保障年金制度の早期創設を!」の決議が採択されました。

 Kさんの訴えを紹介します。誰もがKさんと同じ思いです。
 
 「私は今年夫を亡くし、年金が夫と2人分だったときの半分以下になりました。大変なショックでした。私ももう高齢だと思っていますが、93歳の認知症の母がいます。母の年金は4万ほど。不安です。みなさん、がんばりましょう」

 無年金者100万人、国民年金者900万人、平均受給額46000円。最低保障年金制度、所得保障のない国は、先進国では日本とアメリカだけです。
 これがお金持ち日本の実態です。

 安倍首相の言う「美しい国」(うつくしいくに)は反対に読むと「にくいしくつう」(「憎いし 苦痛)。
 誰が「発見」したのか、立場が違えば、まさにこのとおり。

 このような「勝ち組」の立場にいる政治家は、教育基本法で言えば、目的の「人格の形成」が一番うまくいかなかった人かも。
 この人たちに、子どもが荒れているのは「教育基本法」のせいなんて、絶対言わせない。

 

 
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坂城町、東御市へ。懐かしい人ともお会いしました

2006年10月17日 19時51分52秒 | 活動日誌
(お訪ねしたお宅にあがり込んで。つるし雛があまりに見事だったものだからずうずうしく見せていただきました。一つ一つ丁寧に手縫いです。一年ほどかけてつくったといいます。素晴らしい! 左の方が作者)

 坂城町では大森町会議員と、東御市では小山市会議員と行動しました。1日通して45人の方とお話しすることができました。

 あるおうちの窓辺で、障がい者の方とお年寄りがお話中。そこに割り込んで、熱い政治談議が始まりました。
 
 「どうして年寄りからお金を取るの。障害者自立支援法はひどい。でも、消費税も取らないとやっていけないのでしょ」
 「共産党は汚いお金はもらわない党だね。新聞で収入得ているの?だったら公明党も新聞の収入でやってるのではないの?」
 「公明党は福祉を言っていたけど、どうなっちゃったの」
 「社民も小さくなったけど、どうして?・・ フーンふらふらしている党はだめなのね」
 「年寄りをいじめないで欲しい。どうやって暮らしていったらいいか・・医者にもいけない」

 ある自動車部品製造の町工場では「工夫して企業に要求される新しい商品を作って、さて注文が来るかと思えば、できたときにはみんな中国へもって行かれてしまう。もうだめですよ」

 酒屋さんは「自民党も公明党も、民主党もみんな同じ。違うのは共産党だけだ。」

 建設業で自民党支持らしい?おばさんは「いろいろな政党がなくてはだめ。ひとつではだめ。共産党はもう少し議席があったほうがいい」と。

 などなど、どんな立場の方も、どこでも、どなたにも、深刻な実態が蔓延していおり、党への期待がありました。
 
 そして全く偶然に飛び込んだお宅で4人も、「昔、中野さんに相談に行きました」という方におあいできたのには、びっくりやら懐かしいやら! また、恥ずかしいやら・・・・その時点での力量でしか相談できなかったわけですから、顔から火が出る思いです。
 「ちゃんと相談のお役に立てたのでしょうか・・」

 坂城町の保育園と子育て支援センターは、発達相談員としての私が長年お世話になってきた所です。S保育園と支援センターに挨拶に行きました。
 お会いした保育士さんがそれぞれ「わー、中野先生、いらっしゃい!」と嬉しい歓迎で、心がはずみました。

 
 (保育士さんに「がんばってよ」とはげまされました)

 

 東御市のU保育園にもご挨拶に行きました。
 主任保育士さんが実情を語ってくれました。
 「公立では難しい途中入所を支えています。食事も気を配って、パンは近くのパン屋さんで酵母だけを使った無添加パンを焼いてもらっています。
 認定保育園の制度はだれも良く知らないうちに進んでいくようで怖いです。長時間労働が増えていて、朝7時から夜7時までのこもいます。それだけ働いても、親御さんの収入は低いのですよ」

 園長先生もお忙しい中時間を割いてくださり、熱っぽく平和の話しなどしてくださいました。
 園の掲示板には「九条の会」のポスターがはってありました。
 
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すごいことが起きている!

2006年10月16日 17時58分18秒 | 活動日誌
 (あきなす  なすのおいしい季節になりました。庭で)


 母のことでばたばたしていたこの短期間にも、すごいことが次々起きていて、私は、石巻でおいしい魚を食べながら新聞報道にわくわくしていました。

 まずは、10・14の教育基本法を廃案に、との大集会が東京で2万7千人!全教も日教組も違いを超えて共同しているのですから、なんと力強いこと。

 次は、国会での市田書記局長の参議院予算委員会での質問です。圧巻の思いで新聞を読みました。
 「ワーキングプア」の背景にある派遣労働が、いかに違法なものであるか、市田さんの鋭い追求に総理は「厳格な対応をする」ときっぱり約束しました。
 「女工哀史を思い起こさせる前近代的な労働」の中身は、毎日、地域を回ってお聞きしていること。
 大本の会社で3500円の賃金が労働者には1000円しかはいらない仕組みが明快にわかる、胸のすく質問でした。すざましい搾取に私もびっくりでした。
 
 井上さんも書いていましたが、「安倍首相は何にもわかっていない」人なのですね。

 もうひとつは北朝鮮核実験に対する国連決議です。「非軍事で、国際社会が一致して、平和的外交的に」が全会一致で採択されたことです。
 アメリカは軍事力を行使する可能性を入れようとしましたが、これは通りませんでした。 
 さらに、イギリスでは参謀長が軍の早期撤退を求めて、ブレア首相に反旗を翻しました。
 日本の国会では、共産党の「国際社会が一致して、平和的外交的に」解決しようとの提案は大きな役割を果たしました。

 世界も日本も、大きく動いています。私たちの小さい声を束ねて、どれだけ大きな世論にしてゆくか、それが決め手だと思います。

  
  一人ひとりのおもいを ねがいを 
  花束のように ひとつに束ねて
  みんなは夜明けを  夜明けを待っている

 
 きょうは常任委員会でした。明日は坂城町、東御市へ行きます。
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千キロの旅

2006年10月15日 22時17分04秒 | 活動日誌
(磐梯山を背にして私の弟と甥と母) 


 母を送って、宮城県石巻市の実家へいってきました。車で片道ちょうど五百キロほど、一晩泊まって二日で千キロの旅をしてきました。
 弟と甥が同行してくれ、交代で運転したので助かりました。荷物が意外と多かったので、2台で行きました。

 北陸道新潟経由で磐越自動車道に入り、福島県郡山から東北道に入ります。

 黒姫、妙高山に始まり、福島に入ると磐梯山、安達太良、そして宮城に入るとはるかに蔵王連峰と、連なる山々にいつも「東北に帰ってきた・・・」と気持ちが和みます。今回もそうでした。東北の山々は、長野とは様相が違って、裾野が広い緩やかな山です。

 母は、長野の家を出てからずっと、窓から一生懸命外を見ていました。リンゴ園、若槻大通りに広がる畑、温泉「りんごの湯」etc・・・・。
 「もうこれが見納めと思っているのかもしれない・・」とちょっと切なくなりました。
 「また、暖かくなったら、来ればいい。元気なら、いつでもこれるよ」と家族に励ましてもらいましたが、年や体力を考えると、これからは一回一回の出会いが「これが最後」との覚悟はいるのだな、と思わざるを得ません。

 と言いつつ、「100歳まで生きるかも!」と、このところ出てきた食欲に安心しているところです。トイレまで歩くのがやっとやっとではあるのですが・・。

 行きは磐梯山のSAで昼ごはん、母は「特別食」なので、おかゆはじめおかずもべんとう持参です。地元名物の実だくさんのおつゆを注文したら、母は実は残してつゆだけすすっていました。
 ゆうゆうたる磐梯山を見ながらの食事の、気持ちの良いこと。
 
 今日の昼、石巻の家族と一緒に外食しました。母はやはり外では食べられるものがないので、ここでもお弁当持参でスープだけ頼んで、仲間入りでした。
 お弁当は、お店の器に移しかえて雰囲気を出しました。
 
 どこのお店でもこのくらいの持込は、勘弁してもらえました。これなら外食も一緒にたのしめるな、と思いました。

 石巻の姪が「おばあちゃん、ハウルの(「動く城」のはじめは悪者だったけど)可愛くなったおばあちゃんそっくりになったね。」と半年ぶりの祖母を歓迎してくれました。
 「何にもできなくなって・・・お世話になります」と言う母に、姪も甥も「トイレは一人で行けるし、お風呂もなんとかひとりで入れるし、それで充分だよ」と励ましてくれていました。


(帰りの車から 福島県二本松あたりで 緩やかな山に沈む夕日)

 姪には、おばあちゃんが食べれるものの料理のレシピをいろいろ「伝授」してきました。一番すきなのは、吉野くずと練りごまで練り上げてつくる「ゴマ豆腐」です。「ずく」がいるのですよねえ。

 誰しもが年をとってゆくのですね・・しみじみ思います。
 
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保育士さんに感銘を受けました

2006年10月13日 22時58分43秒 | 活動日誌
(ホオズキ 庭に植えてはいけないと誰かが忠告してくれましたが・・・)

 H保育園の発達相談日でした。
2歳児の多動のA君、「本当に可愛いのね、A君って」との担任の先生の言葉に心うたれました。
 日常は大変です。「今日はクラスが安定している・・・気がついたら、A君が休んでいるからだ・・」と先生。その先生が「可愛い」といってくださるのですから、嬉しかったです。
 どうやったらAくんが落ち着くか、クラスの先生が「対策会議」を開いて、きめ細かく実践をし、成果を挙げていました。そのチームワークにこころ打たれました。
 「どの子も伸びる」ことを、実践で証明してくださっています。

 5時過ぎまで、発達相談をしました。

 明日、母を宮城県石巻市に送り届けるために、松戸市から弟が応援にこてくれました。
 明日は、長距離離運転です。早く寝なくては・・・おやすみなさい。
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母の退院

2006年10月12日 21時00分51秒 | 活動日誌
 (家のそばのリンゴ園で 実ったりんごと母)

 老健に入っていた母が具合を悪くして、9月21日から今日まで病院に入院していました。一時はどうなるかと心配しましたが、見違えるように元気になって退院しました。
 しかし86歳なので、やはり最後は長く暮らした宮城県の長男夫婦のところに帰りたい、との希望です。そこで入院前の予定通りに14日に帰ることになりました。
 14,15日は、私が宮城県まで母を送ってゆくことになりました。弟と甥にも介助を手伝ってもらって帰ります。

 今日は本当にいい天気でした。しばらく外に出たことのなかった母を連れ出し、家のそばのリンゴ園に散歩に行ってきました。
 りんごは見事に実っており、気持ちのの良い散歩でした。リンゴに陽が当たるように葉をちぎっていたおばさんから声をかけられたり、散歩中の近所の方と立ち話をしたり、知り合いと出会って散歩もいっそう楽しいものになりました。

 しばらく会えなくなるからと、松本にいる娘がおばあちゃんに会うために帰ってきましたが、5時について夕食を一緒に食べて、7時過ぎには戻っていきました。何と忙しいこと。

 私もしばらくはお別れなので、今日、明日は、おばあちゃんの好きなものを作ることにしました。歯がないのでまるでかめないのですが、それでも形がないのは「おいしくない」と言うので、ちょいと手がかかります。今日はたっぷり時間があったのでそれもまた楽しい作業でした。

 明日はH保育園の発達診断日です。久し振りの子どもとの出会いが心待ちな今夜です。
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井上さとし参議院議員の質問をテレビで見る

2006年10月11日 17時54分42秒 | 活動日誌
 (ハナミズキ  庭にあります。600円で買った苗、忘れられてダンボールの中で1年眠っていたのに、立派に育ってくれました。生協の当番の人が私にわたし忘れていたのです。良く1年もダンボールを捨てなかったこと!)


 午後1時40分、ちょうど事務所にいたので井上さとし議員の国会質問を聞くことができました。北朝鮮核実験問題です。
 昨日の笠井あきら衆議院議員の質問は、宣伝カーで終わりのほうを少し聞けただけでしたが、今日はばっちり。
 
 笠井さんも井上さんも、広島の原爆に深く関係のある人。笠井さんは被爆2世、井上さんは実家が広島、爆心地の近くの学校が母校だそうです。
 ですからいっそう、核実験への怒りとその対応の質問は、真に迫っていました。

 「国際社会が一致結束して対処する」「平和的、外交的解決」の二つが原則。
北朝鮮は核兵器、核計画を即刻中止すべき、6カ国協議の座に戻ることが、北朝鮮の孤立を防ぎ安全の保証になる、唯一の対策です。

 安倍首相もそれを認めました。しかし「そのためにも国連から強いメッセージを」と制裁決議採択を強調しました。
 制裁が先走ることは、危険なことだと思います。井上さんも「働きかけ」を重視することを強調した質問でした。

 北東アジアの安全と平和の問題では、日本のとるべき態度が非常に重要になっています。
 日本が、米軍再編強化に協力しますます「不沈空母」の役割をになっていくことは、緊張感を高めるだけ。アジアの平和の流れからはずれ、いっそう孤立を深めるだけです。
 日本がアメリカとの軍事同盟の手を切ったら、アジアは、特に東北アジアは、どんなに新しい希望に満ちた外交展開となることでしょう。

 安倍首相が、訪中韓でトップ会談ができたことは喜ばしいことでしたが、はっきりと「靖国は行かない」と言い切れない曖昧さでは、中国からも韓国からも真の信頼を勝ち得ることにはできないでしょうね。
 
 さて、NHK朝ドラ「芋たこなんきん」にまたはまり出しました。今度は藤山直美さんが見たいから。安心できる女優さんですね。田辺聖子の本を読んでみようかしら、という気になってきました。彼女のものはひとつ二つしか読んだことがないもので・・・こういう折に。

 

 
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