中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

アウシュビッツ見学。収容所生き残ったカロル・テンデラさんの証言

2015年05月23日 05時07分02秒 | 活動日誌

 

 

アウシュビッツ入り口で

 

 アウシュビッツと第二アウシュビッツである絶滅収容所ビルケナウの見学。

 さらに、収容所生き残ることができたカロル・テンデラさんとの貴重な体験をお聞きする懇談がありました。

 実際にいってみたアウシュビッツから、身の毛のよだつ恐ろしさが体中を包みました。広大な、システム化された人殺し工場です。

 

 たくさんの中学生や高校生らしき子どもたちが、先生の引率で見学に来ており、平和の学習の場になっていることを実感しました。アウシュビッツを忘れてはいけない、その国上げての取り組みを垣間見ました。

 事実を隠す日本とは天と地の差です。

 

 

ビルケナウ絶滅収容所の死の門

 

 さて、アウシュビッツやビルケナウ収容所の残忍な行為、想像もできないような非人間的ホロコーストについては、皆さん御承知のとおりです。

 

 今晩は、そこを生き抜けたカロルテンデラ氏(92歳)の証言を報告することにします。

クラクフに生まれ育ったポーランド人です。

 

 カロル氏は、高校のときドイツ人が「30人の学生を出せ」との強要でその中に選ばれ、弾薬庫の倉庫で強制労働で働きました。

 1943年、アウシュビッツに送られました。

 過酷な扱いに、電気の通った有刺鉄線に飛び込んで自殺した人もたくさんいました。

 脱走した仲間は捕まって処刑されました。

 

 朝はコーヒーの残りかすのようなスープ、昼は野菜の少し入った腐ったような煮物のようなもの、パンは半分は木屑が入っていました。

 食料を与えないのも、殺すため。強制労働も殺すため。「食べないで、きつい労働すれば早く死ぬ。効率的」ということです。

 

 例えばカポたちがスープを分けるとき、しらみがあるかどうか検査し、スープを取り上げました。

 (便も一列に並んで10秒でコンクリートに並んで開けられた穴にするだけ。便はたまる。最初は流しもしなかったので、チフスにかかって死ぬ。カポはそれが怖くて、トイレには入らなかった。その分、そこが囚人の情報の交流の場ともなったという)

 

トイレ

 

 廊下で体育のジャンプをさせ、動けないと殺されました。弱っている人はとてもできることではなかった。

 

 カロル氏は人体実験もされたそうです。注射され動けなくなった。

 

 その後、ビルケナウに移された。アウシュビッツより地獄だった。一つのバラックに500人くらい収容。トイレはなくバケツ一つ。水もなし、暖房もなし。

 

これが3段ベッド、体の弱い人は上に上がれず最悪のコンクリートの上で寝て、早く死亡させられました。

夏は37度、冬は氷点下20度。

 一段に7人詰め込まれ、暖房はなく、衣類も囚人服一枚。夏は換気が悪く最悪だった。

 

 いつも死と隣り合わせの暮らし。

 

 「助かったわけは・・・?」とお聞きすると

 

 運と人の支え。

 仕事が台所(まかない)だったのも運。仲間が支えてくれた。3秒違ってあそこにいけば・・・・あの時こっちにいたらいたら・・・・その偶然が運というか、助かった。

 銃殺の壁にいつ連れて行かれるか、恐ろしかった。連れていかれる理由は何もない。たまたま選ばれる運。

 

 人体実験の後、重労働がきつかった。仲間が支えてくれた。仲間の支えがなかったら、私も自殺していた。

 何の希望も持っていなかった。

 女性やいたいけな子どもまで平気でガス室に入れた。神は存在しないと思った。

 私は無宗教になった。人が助け合うことが大事、宗教などいらない。神父さんなど、人間として尊敬する人はいるが、宗教からではない。

 しかし、現在のドイツ人にうらみはない。

 

 我々にメッセージは?

 

 「若い方にアウシュビッツを伝えて欲しい。悪い人は政治家にしてはいけない。世界が今危ない。気を配って欲しい」

 

 大変重い、貴重な体験でした。カルロスさんのメッセージをしっかり受け止めたい。

 安倍政権のやろうとしていることは,この道への復活以外なにものでもない。

 そして、アウシュビッツの中でも、レジスタンスで戦った人がいたことは、脅威です。私だったらできただろうか。素朴な疑問が頭を離れませんでした。

 

 

 最後に、カロルさんは、ワイシャツをまくり、腕に染められた囚人番号を見せてくださいました。

 

 

 人間が人間性を失う戦争の恐ろしさ、ナチスの残忍さと、犠牲になった方の恐怖と人間の尊厳をとことん痛めつけられ、命を否定された人たちの気持ち。

 

 目の当たりに現実を見ても、どうして人間がホロコーストを平気でできるように変質するのか、理屈では理解できても、感情は並行してついてゆきません。

 

 収容所の敷地の一角に、ルドルフ・ヘスが家族が住んでいた家がありました。

 一方でホロコースト、すぐそばで家族団らん。狂った図です。ヘスの子どもたちは「囚人ごっこ」をして遊んでいたそうです。

 ヘスは、戦犯としてアウシュビッツで絞首刑になっています。

 

 しかし、アウシュビッツにもレジスタンスがいたことは、この上ない勇気をもたらしてくれました。

 

 明日はクラクフの街にあるシンドラー会館などの見学、ミュンヘン経由でベルリンに移動します。

  

 

 

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (中野さなえ)
2016-12-02 19:16:19
貴重なご意見、ありがとうございました。
日本もドイツも侵略戦争をしたことでは、国際的な見解として歴史の事実です。そこがまず、原点です。そこをあいまいにすると、論立てがくるってくると思います。
しかし、やはり、ドイツと日本では、戦争への反省が全く違います。いまだに、ナチスが見つかれば裁判にかけていますし、見つける国家的組織もあります。また、損害賠償の点でも、ドイツはきちんと態度で示しています。アウシュビッツは、こどもあっちの平和の学習の場として、みんな学んでいます。
日本は、A級戦犯が戦後政治の世界に入ることを許されました。アメリカの意向です。
中国の南京にも行ってきましたが、戦争博物館に展示されている事実を見ると、南京大虐殺はなかったというのは、根拠のないことだと言わざるをえません。
Unknown (詠み人知らず)
2020-02-26 22:21:50
現地に行かなければ知ることが出来ない非常に興味深く素晴らしいお話を、ありがとうございました。
このような貴重な体験を現政権の批判材料に使わないでください。
Unknown (unknown)
2020-05-10 00:24:38
恐ろしい話で、とても怖くなりました。このようなことは間違っても世界中で二度と起きてはならないし、また抜けがちな視点ですが日本国民に対しても起こさせないようにすることが大切です。貴重な記事をありがとうございました。


Unknown (通りすがり)
2020-05-12 20:54:25
アウシュビッツの悲劇を忘れてはいけないという思いは同じですが、安倍政権とナチスドイツを重ねることは無理があるとおもいます。。
Unknown (YS)
2020-07-30 15:28:48
最後の安倍政権のくだりで心底脱力です。
貴方がこうして安倍首相を批判出来ること自体が、日本がナチスドイツと違い、自由の国であるという何よりの証左ではないでしょうか。ナチスの蛮行と、どんな関連性があるのか全くもって不明瞭です。
個人的に、既に何のお咎めもなく出入りできるナチスの収容所跡より、現在進行形で悲劇が起き続けているであろう北朝鮮各地の近日中の見学をお勧めしたいですね。 
その上で改めて、安倍政権を糾弾されてはいかがでしょう?
Unknown (一意見)
2021-01-14 21:02:48
入り口での写真にびっくり仰天しました。何を持って笑顔で? 観光地の入り口と勘違いしていませんか。
他のブログでは写真可のところでも、
シャッターを押すことが出来なかった、そういう表現をされている方もいるのに。撮ったにしてもそれを堂々と載せる神経、全く理解出来ません。
赤い服、あの場にふさわしいと思いますか?
あなたたちと私は全く感覚が違うということですね。

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