一日家にいました。
のどがイガイガして時々激しく咳き込むので、外へ出ずに自宅でデスクワークの一日となりました。
大分よくなってきているのですが、この咳、1か月続いています。今回のインフルエンザは咳が最後まで残り執拗なようですね。
声も出るようになった。もう大丈夫と沖縄にも行ったし合唱団のレッスンにも行きました。しかし、今日はどうもいけない。
「もう一息だな」との感じ。急がば回れでおとなしくしていよう、と決めました。
さて、新聞赤旗に「命のビザ」の杉原千畝さんの記事です。
ユダヤ人を救った千畝さんはイスラエル政府から「正義の人」の賞を贈られ、イスラエル中部に記念の植林が行われ記念碑も立ちましたが、植林の一部が伐採され記念碑も破壊されたのかなくなった、とのニュースでした。
何が起きたのかわかりませんが、残念なことです。
数年前、福井県の敦賀市にある「敦賀ムゼウム」を」訪ねました。杉原千畝のことと敦賀港のことがよくわかる会館でした。
杉原氏が救ったユダヤ人が日本に上陸する際の唯一の港が敦賀港だったことや、1920年にはポーランドの孤児を受けいれた港や町であったこと、そしてシベリア鉄道のウラジオストックへへの連結のため航路の港であったことなど、敦賀市の歴史を知ると共に、杉原氏の「命のビザ」の尊さを噛みしめてきました。
地図を回転させ、下に朝鮮半島や中国をおき日本を見ると、「なるほど」と敦賀港の大事な役割が実感できました。
いつも日本を基準にして見ていますが、反対にして見ただけのことなのに、違う世界が開けてきます。
赤旗記事を読みながら、「敦賀ムゼウム」に展示してあった、杉原千畝の生きざまを記した資料の数々を思い出しました。
あの厳しい時代に、ナチに抵抗した人がいた。勇気に敬服します。しかし杉原氏は外務省から免職されてしまいます。
杉原氏は1986年に死去されましたが、2000年に当時の河野洋平外相が家族に謝罪し、名誉を回復しました。その時のお連れ合いの言葉、非常に感動したことを記憶しています。
イスラエルでの出来事、原因はわかりませんが、大変残念なことです。