中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

訪問活動。石巻の甥から電話。井上さとし参議院議員が応援にきました。

2011年04月07日 20時12分56秒 | 活動日誌

 A地域の訪問活動と、明日、明後日の行動の計画と仕込みもしました。

 いよいよ終盤ですから、医療生協後援会のみなさんとの訪問活動も必死です。まだ決めていない方もずいぶんいますし、話せば必ず共感するのですから、一人でも多くのかたとの出会いを持ちたいのです。

 はじめ「うちは5票あるが、他から頼まれてもいるし分けて入れます」と言っていた方が、原発事故や災害の話しをしているうちにだんだん変わってきました。

 共産党候補の震災支援活動のニュースを見ながら、「がんばっているね。中野さんが言ったとおり、今は党派を越えて災害に全力を尽くすと時だ。原発なんてやめるべきだよ。よし、5票全部やろう。子どもたちには私が話す」と言われました。

 「え!嬉しいですけど、子どもさんがお世話になった方から頼まれたのでしょう?」とちょっと遠慮したら「いいんだ。おれの子どもだ、話しをする」と言ってくださいました。ご自分で決めることではありますが、話していただければ、選択肢にはいります。嬉しかった。

                    

 たった今、石巻の甥から電話がありました。避難していて連絡が取れなかったのです。家は2階がかろうじて助かったので、そこに帰ってきたのです。一階は天上まで水が入り泥だらけ、洗濯機も冷蔵庫も、台所もお風呂も全滅。

 甥の話だと、つれ合いと車で移動中に津波に飲み込まれそうになり、車から逃げて近くの知らない人の家の2階に駆け上がって助かったそうです。「2階までは水が来なかったから助かった。寒くってたまらなかった。今は、毎日泥と格闘してるから、お風呂には入りたいけど、入れない。知り合いの家にいって入れてもらったりしてる。でも、水も電気も来たし、贅沢言わなければ食べてもいける。当時を思えば今は天国です。家も直したいけど、材料も手に入らないのでいつになるかわからない。仕事は工場が泥だらけでダメだけど、でも、がんばります。友達もたくさん死んで、葬式さえ出せない。生きていることがありがたい」

 聞きながら胸がつまった。被災地のみなさんはどれだけ苦労していることか。まして、子を探し、親を捜している姿を見るのは、辛くて仕方がありません。救援活動はいっそうがんばらなくては、これからが大変なんだから。

 井上さとし参議院議員が、応援に来てくれました。数カ所で街頭からの訴えでしたが、私は昼食をとってから直ぐ、中央病院の前での演説を聞きに行きました。

医療生協後援会のOさんが訴えています。

 ちょうどに昼休みの取れた職員や、患者さん、通りがかりの方、近所のかたもあっちこっちに三々五々に出てきて、聞いていました。

 井上議員は、「未曾有の震災だから、いままでの枠を越えた対策が必要」と「災害が起きたあとの4月1日にアメリカへの思いやり予算の継続を決めた」「投票日の次の日の11日には政党助成金の分け取りをする」と、予算の使い方を厳しく批判しました。

 原発問題では、経済産業委員会で吉井共産党衆議院議員の「2005年以来原発の危険を取り上げてきたのに、政府は耳を傾けず、国民の安全よりも企業利益第一主義に走ったのが最大の原因だ」との告発に、安全保安委員長が「当時の認識の甘さがあったことを深く反省している」と、「人災」であることを認めたと紹介しながら、原発の解決策も提案し、福祉、くらしのためにがんばっている両候補への支持を訴えました。とても説得力がありました。

 近くで道路工事をしていましたが演説中は工事を中止してくださり、労働者のみなさんも、候補と井上さんの話を真剣に聞いていました。

い候補事務所の一角です。

 「きぼうの木」には、みなさんがそれぞれの願いを書いた木の葉を貼り付けています。となりのスーツは、「女性のつどい」の時のカンパで作った候補へのプレゼント。これを来て議会で活躍してもらうように、残された日々、がんばろう。

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