蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ビューティフル・デイ

2019年09月16日 | 映画の感想
ビューティフル・デイ

元軍人のジョー(ホアキン・フェニックス)は人捜しの達人だが、得意の獲物はハンマーで残忍な手口でも知られる。
ジョーは病身の母親と二人暮らしで、軍隊時代などのPTSDに苦しんでいた。
上院議員から誘拐された娘の奪回を依頼されるが・・・という話。

説明的部分が非常に少なくて、観るほうのイマジネーション能力が問われるようなアート系?作品。BGMが非常に効果的でアート感?をさらに高めるが、エンディングの尻切れトンボ感はちょっとね、という感じだった。

過去の記憶に苦しめられ、家族に弱点を抱えるが、几帳面で計画性も高く、仕事を着実に、かつ、必要なら残忍な方法もためらいなく実行する・・・というのは、小説や映画によく出てきそうな犯罪者像で、ありふれているともいえる。しかし、本作ではそういう典型的なダークヒーローを、あまり見た目がカッコいいとはいえないホアキン・フェニックスにスタイリッシュ?にカッコ良く演じさせていた。
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明治国家のこと

2019年09月16日 | 本の感想
明治国家のこと(司馬遼太郎(関川夏央編)ちくま文庫)

幕末から明治に関する作品のあとがき、同時代に関するエッセイなどを収録したアンソロジー。
司馬さんの作品は数多く読んでいるので(未読のエッセイであっても)「どこかで読んだなあ」というネタが多い。
明治天皇のエピソードでよく出てくるのが、蜂須賀侯爵が宮中で天皇のお出ましを待つ間、応接室?にあった煙草を数本失敬したら、陛下がそれを目ざとく見つけて「血は争えんのう」(侯爵の先祖の蜂須賀小六は盗賊の頭だった)みたいなことを言われてしまった、という話。
この本でも山崎正和さんとの対談でこの話に触れている。よっぽど司馬さんお気に入りの挿話なのだが、実話なんだろうか?蜂須賀侯爵は(祖先はともかく)江戸時代を通して大大名だった家の出身で、煙草をくすねる、というのは現実感がないのだが・・・いや、そういう人がついやってしまうのが、血の恐ろしさ、というのがこの話の面白いところではあるのだけれど。

初耳だったのは、次の二つ。

小村寿太郎がポーツマスで交渉中、ポーツマス市のために寄付して作った基金の話。太平洋戦争のために一時途切れていた基金のための送金が、戦後復活した(そして途切れていた時期の分も追加送金された)そうである。同時に設立されたロシアの基金についての送金は途切れたままだったが。

「君が代」のオリジナルは徳川将軍家の大奥の元旦の儀式で詠まれた歌だったという。

また、普仏戦争にパリの市民兵として参加した薩摩藩の前田正名の話も興味深かった。
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デボラ、眠っているのか?

2019年09月15日 | 本の感想
デボラ、眠っているのか?(森博嗣 講談社文庫タイガ)

Wシリーズ第4作。舞台はフランス。古い修道院で子供を産める一族とその修道院を支配?するコンピュータ(ベルベット)が発見され、ハギリとヴォッシュたちが調査に向かうが、デボラと名乗るトランスファ(電子生命体?)が出現し、ハギリと接触する・・・という話。

ハードSFっぽい展開になってきたけど、あまり小難し説明はなくて(というかなさすぎて)読者のイマジネーションに委ねられている感じ。

本作(というかシリーズの?)キモとなる(と私が感じた)部分を引用すると(174ページ)・・・

「僕がぞっとしてしまったのは、つまりは、生きるものの恐さ、死の恐さ、そして自分たちが本当に生きているのかどうか、という疑問がもたらす恐怖だった。
もしかして、既に反転しているのではないか、と気づいた。
デボラからバーチャルの世界について話を聞いたときにも感じたものだ。
そう、同じだ。
電子空間の中で、生きているものたちがいる。トランスファは、そこで勢力争いをしている。この穏やかな城の中心に据えられたコンピュータのベルベットも、そしてチベットのアミラも、そんな仮想世界を支えている装置であって、彼ら彼女らにとっては、そこがまさにアースなのだ。
むこうから見れば、僕たちの社会が夢の中なのかもしれない。
ここが反転している。
また、生命についても、ウォーカロンはいずれは人類に成り代わるだろう。それを止めることはできないように、僕には思える。
人工知能が、人類の知能をとっくに追い越しているのだから、既にあちら側が本流であって、僕たちは支流となり、先細りする種族といえる。人類が絶滅しても、あちらの社会は滅びない。人工知能とウォーカロンが支え合って、文明を持続し、発展していくだろう。もしかしたら、人間よりも上手くこの地球を守ることができるのではないか」

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風は青海を渡るのか?

2019年09月15日 | 本の感想
風は青海を渡るのか?(森博嗣 講談社文庫タイガ)

Wシリーズ第3作。チベット出張第2弾。

ハギリたちはナクチュの(この世界では珍しい人間の)子供たちのデータを収集するうち、ナクチュの近くに、昔ウォーカロン製造会社から脱走したウォーカロンたちが暮らす村があると知る・・・という話。

ハギリが人間とウォーカロンに差が生じる原因に気づくところが本作のクライマックスなのだが、研究者の発想をなぞるような感覚があって面白かった。斬新なアイディアを思いついて興奮するさまの描写は、本当にそういう体験をしている人でないと描けないようなリアリティがあった。
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のっけから失礼します

2019年09月14日 | 本の感想
のっけから失礼します(三浦しをん 集英社)

小説家も売れてくると週刊誌などにエッセイを連載することがよくあります。初めのうちは、テーマを決めて短編小説さながらの充実した内容のものが多かったのが、連載が長期化してくると身辺雑記になり、やがてはネタがないことをネタに書き流す、なんて回がふえてくることが多いような印象があります。

私は、三浦さんがまだあまり売れていない頃に三浦さん自身のHPなどに書き込んでいた頃からの(エッセイの)ファンなのですが、三浦さんのエッセイは、ほぼ終始一貫(わりと自堕落な)日記風(といってもほとんど外出しないので、脳内で繰り広げられる妄想(失礼)を書いたものが多い)です。それなのに、どの作品も思わず吹き出しそうになるほど内容が面白く、とても楽しく読めます。
特に憧れの役者などへの妄想を語ったものが出色で、昔だとヴィゴ・モーテンセン(この前久々に「グリーンブック」という映画で見たけど、ずいぶん太ってたなあ。昔は細マッチョの典型みたいなイメージだったのに・・・もしかして単なる役作りで太っていたのかな?)への妄想がすご(く面白)かったです。

どうもヴィゴ以来強烈な妄想をかきたてる対象がいなかったように思いますが、本作では、ついに!妄想のターゲットが出現。エグザイルの3代目なのですが、私なんかが見ると「ナンダコレ?」くらいの感想しか抱けない「ハイ&ロー」シリーズを絶賛するなど、相当な入れ込みようです。(私の子供も一時はまっていたので「ハイ&ロー」は見るともなしに見たことがあるのですが、いろんな意味ですごい作品です)

また、本作では歌舞伎と文楽の作品を紹介したエッセイが2つあるのですが、歌舞伎や文楽に全く知識も興味もない私が読んでも「それは是非みてみたい」と思わせるほど解説がうまくて(特に「三人吉三」の方)、このあたりは本当に上手だなあ、と思えました。(そんな人が惚れるんだから「ハイ&ロー」も実は傑作なのだろうか?)
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