蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ナチョ・リブレ

2007年11月03日 | 映画の感想
私の子供時代は馬場や猪木が活躍したプロレス全盛期。
そのころは外人レスラーといえば悪役、というのが通り相場で、その悪どい反則でフラフラになりながらも最後には日本人レスラーが逆転勝利する、というのがメインシナリオでした。
しかし、メキシコから来た覆面レスラー「ミル・マスカラス」は違いました。多彩で派手な技を連発し、クリーンなファイトを売り物にしていたのです。そのかっこよさと日本での人気は、日本人スターレスラーを凌ぐものがありました。

この映画によると、メキシコではプロレスのことをルチャ・リブレと呼んで、立派な会場での試合もあれば街角のケンカに毛のはえた程度の小さな興行もあってとても盛んなようです。マスカラスのようにスターダムにのし上がれば富豪並の華やかな生活が待っています。

この作品の主人公(修道院のコック)は貧しい修道院の生活に絶望して、ふとしたきっかけで出場したプロレスでカネが稼げることに気づき、やがてスターレスラーへの挑戦を夢見ます。

基本的にコメディなのですが、修道院の生活は主人公でなくても絶望したくなるような描かれ方で、ちょっと暗い気分になります。

筋自体はロッキーみたいなスポ根ものなのですが、最後にカタルシスが感じられるほど主人公が訓練に打ち込んだり試練に遭遇したりする場面がないので、どっちつかず(コメディでもシリアスでもスポ根でもない)中途半端な作品になっている印象がありました。
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山井投手の交代について

2007年11月02日 | 野球
今日、週末の居酒屋ではお父さん達が、日本シリーズ第5戦について熱く語りあっていそうです。中日の(突然変異的な)強さについてでも、ダルビッシュのピッチングについてでもなく、9回の投手交代について。

落合監督は、パーフェクトピッチングを8回まで続けた山井を9回の、それも頭から交代させました。
中日はここまで3勝1敗、エース川上、好調の中田を温存しており、このゲームはもともと捨てるつもりだったであろうにもかかわらず、です。

これを知った時の私の最初の感想は「落合監督の度胸はすごいな」でした。9回に投げる岩瀬へのプレッシャーはものすごいものになるはずで、万一、逆転でもされようものなら、一気にシリーズの流れが変わってしまうかもしれない。
8回が終わった時点で凡人なら「このゲーム、山井が打たれて負けてもダメージはほとんどない」と考えてしまうところです。そういう意味では慎重な采配というより、むしろ勝負をかけた積極的な決断であったとも思います。

この交代についての一般的に想定される評価を最もうまく表現していたのは、日経新聞の浜田さんの記事でしょう。「(この交代は)“野球的”には正しい。しかし、“エンタテインメント的”にはどうだろうか」
もともと落合監督は興行面を軽視して勝負にこだわる監督です。だから「黄金時代」といえるほどの成績を続けながらフロントにはいい感情をもたれていないようです。(もっともどちらかというと投手交代は遅めで、時には温情的な続投もあったように思うのですが)

私が気になったのは、山井投手のこれからです。
彼は交代を命じられて素直にそれに従ったようです。
プライドあるプロ選手なら、あの場面で「交代だ」といわれたら、「冗談じゃない」と激怒して続投を訴えるのが普通なのではないでしょうか。
そうしなかった選手は、天狗になるほどの意気と度胸が必要なエースになることはできないような気がします。

もし、これが、若い時の星野(仙)投手や(現役なら)工藤投手だったら・・・いや、落合監督自身が同じようなシチュエーションに選手として立たされたら・・・彼らは監督やコーチの制止を振り切ってでもマウンドにあがろうとするに違いないでしょう。
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ゆれる

2007年11月02日 | 映画の感想
写真家の主人公は、母の法事で田舎の実家へ帰る。
実家では父と兄がガソリンスタンドを営んでいる。
主人公と兄はガソリンスタンドの従業員の女の子と山奥の川原へ出かけるが、兄と女の子は吊橋でもみあううち、女の子が橋から転落して死んでしまう。
後日、兄は自分が女の子を突き落としたと自首する。主人公はおじの弁護士と裁判で兄を無罪にしようとするが・・・

何が真実なのかわからなくなってしまう「藪の中」とか「事件」に似た筋立てで、この映画でも「真実」は最後まで明らかにされない。

テーマは兄弟の関係で、二人は表面上はとても良い関係なのだが、兄は写真家として都会で派手に活躍し女にもてる弟にジェラシーを感じていたことが、拘置所での面会で明らかになる。

弟もうわべは兄を敬っているのだが、兄に痛いところを突かれるとボロがでてしまう。それでも和解を予感させるラストシーンで映画は終わるのだが、この場面の解釈も人それぞれかもしれない。

主人公の父と弁護士である父の弟との間にも同じような兄弟の相克があることがほのめかされるが、この父役の伊武雅刀、弁護士役の蟹江敬三の演技が非常によい。役にはまりすぎていて怖いほどだ。

また、随所で(兄弟の実家の状況を象徴するシンボルとして)洗濯物がとても効果的に使われているのが印象的だった。

「ゆれる」の少し前にみた映画が「タブロイド」だった。人間や社会の二面性、「真実」の頼りなさとか相対性を描いたものとして通底するものがあった。「タブロイド」がどぎつくテーマを観客に突きつけてくるのに対して、「ゆれる」は穏やかにボンヤリと迫ってくる。民族性(とまでいうのはオーバーかもしれないが)がよく出ていると思った。
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タブロイド

2007年11月01日 | 映画の感想
タブロイド

聖書などの書籍のセールスマンのピニシオは、よそ見運転で子供を轢き殺してしまい、現場から逃げようとしたと誤解されてリンチにあいます。その様子を撮影していたテレビ・レポーターのマノロは、逮捕されたピニシオを拘置所内で接触します。
ピニシオは、マノロのチームが撮影したリンチ映像が放映されれば免責されると思い、マノロに「放映してくれれば連続児童殺人事件の犯人の情報を提供する」ともちかけます。
マノロはピニシオがその連続殺人犯本人であると確信し、彼に罪を告白させて大型スクープを獲得しようとしますが、インタビュウをするうち、ピニシオの巧みな弁舌に操られて主導権を握られてしまいます。

信心深い常識人に見えるピニシオが凶悪な連続殺人犯であるかもしれないというニ面性、マノロのジャーナリストとしての功名心と罪悪感のせめぎあい、など一見とっつきにくそうなテーマがわかりやすくコンパクトに描かれていて、さらにサスペンスとしての盛り上がりも十分あるという、映画を見ることの幸せを感じさせてくれる作品でした。

マノロは、特ダネを独占しようと、ピニシオが犯人であることの証拠を警察に明かしません。しかし、やがて証拠をかくしていたことを刑事にかぎつけられ、厄介に巻き込まれるのはごめんと、早々に出国しようとします。マノロのチームのメンバーは(すでに釈放された)ピニシオが犯人だと警察に証言すべきだと、当初は主張していましたが、いざ刑事が目の前に現れると、結局何も証言せず出国してしまいます。彼らも証拠隠滅に加担していたことに変わりなく、やはり面倒な事態になることを恐れたのです。
このシーンを見て私が連想したのは、少し前に発生した特急電車での暴行事件でした。車両内で乱暴されている人がいるのに周りの乗客は見て見ぬふり。車掌への通報すらしなかったそうです。
「じゃあ、お前がその場にいたら、何とかできたのか」と言われると言葉につまるものがあります。普通の人は、自分に災いが降りかかってきそうな気配が少しでもあれば、世の中や他人のために何かをしようとはしないものです。

このエピソードを含め、終盤は後味が悪いシーンが続きます。しかし、それもまた、映画の魅力でしょう。ピカピカのハッピーエンドの映画はすぐ忘れてしまいますが、この作品のように心の中におもりを残していくような映画は長く記憶にとどまるものです。
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