ランシモ

ランニングからツチノコカメラや時事まで興味あるすべて

天竜浜名湖線の二俣尾駅へ

2018-04-10 09:17:02 | 鉄道

乗り鉄てちゃんとして、昨年より気になっていた、天竜二俣尾駅の転車台を見に行きました。


昨年の12月に天竜浜名湖線に乗りに行ったときに、二俣尾駅に転車台があるのに気が付いた。


その日は立ち寄る事はなかったが、いつか行って見学したかった。



木造の駅舎は国指定文化財にもなったそうです。


懐かしいつくりです。


今では天竜浜名湖線となっているが、昔は国鉄二俣線で蒸気機関車のC58が走っていたそうです。


それで掛川駅と二俣尾駅の2カ所に転車台があった。


現存するのはここ天竜二俣尾駅にだけです。


それが、12月に乗り鉄てっちゃんの目の片隅にチラッと映ったのだ。


見逃しませんよーーー。



その時は列車から降りなかったのだが、停車時間が長くて駅舎をみて味のある建物だなーと感心していた。


列車が動き出したら、天竜二俣尾駅のちょっと先に転車台と扇型の車庫が見えるじゃありませんかーーー。


こんなローカル線の支線のような所に、ただ事じゃありません。


それで、いつか、いつかと思っていた。



手前にジーゼル列車が停まっているので気がつきにくいが、まごうかたない扇型車庫がチラッと見えました。



この車庫と転車台は見学が出来るようですが、時間が決まっていました。


残念無念、今日もその時間を外してしまったようだ。



ぜひぜひ、興味がある方は行ってみてください。


ただし東京からは遠いですよーーー。


そこで、歩いて天竜二俣尾駅を一周しました。



左が扇型車庫の後ろ姿です。


手前は貯木場です。


木工細工が盛んな土地です。


陸橋を超え下りていきます。



のどかな風景でしょう。



扇型車庫の裏手です。


もしかして、、、立入禁止か?



作業員の詰め所も木造建築で、昭和の初期の頃の感じです。



古い列車の塗装をしなおしていました。



右手に停まっているのは、かってのブルートレイン特急あさかぜの寝台車です。


2018年1月 台湾の彰化駅の扇型車庫をみにいく


https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/e16d0160442d86fb1dfa095f72c8158f


2018年1月 台湾、阿里山森林鉄道、嘉義から奮起子まで


https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/6207696744ab454f2378baca5430e3c4


2018年1月 台湾、阿里山森林鉄道、阿里山から沼平まで


https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/493259cf567fd8b5d71043958fb6dcfd




昨年の乗り鉄てっちゃんの記事です。


2017年12月 天竜浜名湖線ローカル線の旅


https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/21ab8cc6e5b0c4bf34e198ac5756f48a 


2017年12月2日 上田電鉄ローカル線の旅  


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/886ac9c503a5a4cf932e37c06289448d


2017年12月3日 ローカル線の旅、下之郷、別所温泉


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/f2ee14def68f70d4603cf46c40875d98


2017年10月13日 いすみ鉄道(コスモスと大多喜の街)


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/8487eb9a8a800334ac8610bb0393e262


2017年10月12日 いすみ鉄道(ポッポの丘2)


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/3f8403ec6d2e7fa607fb12db9ec442c1


2017年10月10日 いすみ鉄道(ポッポの丘1)


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/e87b0e7e564fe87bf7b38d78796e6687


2017年10月9日 ローカル線の旅、いすみ鉄道


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/9e019de4cefdd43d2a6ee75ccf8ca08f


2017年8月01日 会津田島から郡山、黒磯まで各駅停車の旅


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/92e53041d7962e4c4c32057935f52576


2017年7月4日 秩父鉄道の蒸気機関車の旅、三峰山口まで


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/818ec5ad10147573ed1ca951003a30d6


2017年7月4日 東京から一番近いC58蒸気機関車に乗る


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/4cf67bf05d011a707db4f43ad892a66b


2017年6月2日 キャノンが鉄夏と言っている


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5d3b2263dab47a705e800a7a82d66d88


2017年6月21日 真岡鐡道3


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/149a250474671ac943ccad96e0b95326


2017年6月20日 真岡鐡道の茂木まで行く、C11蒸気機関車に乗る


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/b985f3775dd3179753914a58bc1b672c


2017年6月19日 真岡鐡道ローカル線の旅


http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/f7ec4e4b3422a2cb32db66957900e95d


2016年1月 サンライズ瀬戸で高松往復、のびのび寝台&シングルツイン


https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/b37a4112804dfa38ab8a9f39fd201d14


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高遠の桜

2018-04-09 19:46:09 | 日記・エッセイ・コラム

高遠の桜は関東ではけっこう有名。

新宿が高遠と友好都市になっているから、私の中だけで有名なのかも知れない。

新宿御苑の元は高遠藩内藤家の土地で広大なお屋敷があったところ。

それで新宿(新しい江戸から外の宿)ができた時には内藤新宿と呼ばれていた。

ジャーン

正面の山々は木曽駒ヶ岳や空木岳。

高遠の見どころは高遠城址に乱舞する1500本の桜です。

城址なので高台にあります。

東北の遅い春みたいですが、、、高遠の春です。

高遠という地名からして、、、えらく遠い地と言うイメージでしょ。

伊那谷から南アルプスのほうに入りこんだ山間部です。

茅野、高遠、長谷、大鹿と続く飯田線の、山筋ひとつ越えた裏街道に当たります。

伊那谷も暗い過去があって、長野の人にしてみれば「あんなところ」といわれるのが関の山。

ところが、高遠がある谷は、、、伊那谷よりもさらに奥地の谷です。

いずれ書かなきゃいけないと思っている、江戸大奥の事件の絵島が一生入れられていた牢屋が高遠にありました。

江戸時代の重い刑罰の島流し、遠流しに選ばれるぐらいの高遠だった。

絵島事件、江戸の大奥の事件(政変みたいなもの)

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/9b2a204557824148bad269c9fd002d3c

城趾より見た高遠の市内。

高遠は桜のピークだった。

観光客の出足の早いこと、、、いっぱいある駐車場は朝早くから満車になっていた。

どことなく、出店の雰囲気は東北を連想させます。

なんかーーーやばそうな、、、。

カメラマンさんも大勢、と言うか全員カメラマンじゃないか。

立派なカメラか、スマホで自撮り棒を使っているか、、、いろいろだ。

スマホとデジカメになって、世の中全員がカメラマンさんになったような気がします。

いやいや、、、私も負けてはならじとバシバシ撮っていた。

でもですね、私はどーも花見観光客ばかり撮っているような、、、。

高遠は何度もきていますが、今日のようにサクラが満開だったのは初めて。

都内の桜の名所の上野公園や、飛鳥山公園ほどじゃないけど、こんな僻地によく人が来るものだ。

高遠城趾のどこもかしこも人だらけ。

のどかな信州の風景ですね。

そういえば、さきほど「たそがれ清兵衛」さん見かけたが、、、あれは人違いだったかな、それとも幻覚だったか?

清兵衛さんは東北は最上川あたりの方だったものねーーー。

遠くに枝垂れ桜が遠望できます。

晴れていれば、、、青空とピンク、それと新芽のグリーンがよく映えたでしょう!

ここ高遠の桜は明治8年から植えられたもの。

たぶん日本の昔は、今のように日本全国こんなに桜一色じゃ無かったのだろう。

なにげに見かける柿と杏(あんず)は日本古来の木(固有の木)だそうです。

だから日本の原風景は春の桜じゃなく、秋の柿の実がたわわになる風景でしょう。

流れる川は3000m峰の千丈岳から流れ出たもの。

よどみの辺りには祠がありました。

まさか浅田次郎先生の憑神に出て来る、三囲稲荷(みめぐりいなり)じゃないだろうな。

あの小説にぴったりの不気味な祠を発見です。

この三峰川のよどみには何かあるのかも。

2018年4月 郡上八幡城

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/a0a778d23ceb81f556fd81a3c4063dfe

2018年4月 郡上八幡は水の町

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/11b55119cdaf99e306a248fcbf66d541

2018年4月 四谷、市ヶ谷、飯田橋の土手桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/050ea8eb473b7fece981c2ff010a960b

2018年4月 神田川の桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/2336840b1a4ad7119e1b9d909ae7ad78

2017年5月 東北の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/11635d675eac03e7ee4fac953e7a1947

2017年5月 函館五稜郭の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/94538fa51f6a1e0a79021a2a563d2124

2017年5月 弘前城の花筏

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5cbf56f836627ad684ad1648b93327d9

2017年5月 弘前城の夜桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/01d316f80a5f384f73f0d2ae74aa4526

 2016年4月 弘前は春爛漫

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/840e262e9e835622f5ac61fa6348f0de

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本田宗一郎、ものつくり伝承館を見学

2018-04-08 06:09:32 | 旅行記

はるばる浜松は天竜の本田宗一郎博物館へ行ってきました。


昨年末に乗り鉄テッチャンとして、天竜二俣尾線に乗りに行ったときに、偶然見つけてその日は行けなかったので、いつかいつか行かねばと思っていた。


そりゃ日本を代表する立身出世の見本みたいなお方です。


今のホンダを見たら嘆くだろうなー。


と言ってはみもふたもなくなりそう。



国の重要文化財に指定された古い建物を使っています。


本田宗一郎は静岡県浜松市天竜の生まれだそうです。


訪れた時間が15:00ぐらいと遅かったが、大勢バイクの団体さんがいらした。


建物のお隣に由緒ありそうな神社があった。


まさか、本田宗一郎神社じゃあるまい、、、。



車は止めるなと書いてあったので、300mほど離れた小学校の駐車場を使わせてもらった。


そこは学校用にしちゃだだっ広かった。


この博物館は、企業のホンダが作ったにしては小さいから、、、もしかして地元の県か市町村が作ったのかもしれない。



入り口にあった自転車に取り付けて使う、モペットのようなエンジン。


バタバタと言っていたかな、、、。


2サイクルの30ccに満たないようなエンジンです。


たしか、、、戦時中の無線機用の発電用エンジンを使ったのが最初じゃなかったかな。


廃物利用です。


富士重工や三菱が作ったスクーターのタイヤは、戦時の爆撃や戦闘機の尾輪を利用したものだったはずです。


戦後に余った物を利用して、民間工業は発足した。



最初からカブだった。


いいデザインですね。


本田宗一郎はデザインにうるさかったと書いてありました。


こんな野暮なものを作りやがって、、、と工員をスパナでぶん殴ったんだろうなー。


今じゃパワハラと訴えられてどうしようもなかったようなオヤジだ。



丸い水筒がガソリンタンク。


ガソリンは重力でキャブレターに落ちてくる。


白いタンクの下にあるのはガソリンストレーナーでしょう。


粗悪なガソリンには不純物がいっぱい混ざっていた。


大昔にアマゾンラリーで南米を走った時にも、ガソリンの不純物にはてこずりました。


1日走るとストレーナーが詰まったものです。



もう少しバイクらしくなったC型。


まだエンジンは2ストロークのままだった。


ヤマハもバイクを始めたが、デザインはホンダ以上に素晴らしかった。


元々、楽器制作で培った蓄積がヤマハにはあったからだ。


ホンダは町の工場からスタート。



もしかして、ギアチェンジはあの棒で手動か?


ペダルがまだあるし、、、。



フロントサスペンションはアールズフォーク型で、ダンパーはないから摩擦だけのよう。


いわゆる摺動式という何もしていない、、、。


アールズフォークはダブルアームでささえる、4輪の後輪に良く使われたタイプ。


ダブルウイッシュボーンをフロントに使っています。


ガータータイプと言われていたような、、、。


日本名だと、、、松葉杖タイプ、、、。



ホンダもスクーターを作ったが、流麗だが巨大すぎて重くてどうしようもなかったそうだ。


これが売れずにホンダは倒産寸前までいった。


それを、なんとか挽回しようと、海外のレースを目指して出て行ったのだ。


その手始めにと国内で最初のバイクレース、浅間に出たがヤマハにぼろ負けして本田宗一郎泣いたそうだ。


これじゃ海外にうって出る前に国内で負けちゃっうなんて、、、ということです。


でも、それでへこたれるような本田宗一郎じゃありません。


イギリスのマン島レースに、じつに頓珍漢なバイクを引っ提げていった。


意気揚々だったが歯が全く立たなかった。


それでも6位入賞だったので、日本国内は大騒ぎになって、倒産寸前だった本田技術工業の株価があがり倒産を免れることに


本田宗一郎がマン島のレーススタッフに「6位入賞おめでとう、これでホンダの株価が上がった」と電報を打ったところ、レーススタッフが「俺たちは株価のためにレースに来たんじゃない」と反対に発奮したそうです。練りに練って翌々年には、マン島の125ccクラスで1位から5位までを独占しました。


それが戦後の日本の発展のスタートになった。


すごい奴が東洋にいる!


それからしばらくして、ホンダが4輪に進出してF1に出て、、、空冷エンジンでレースに出るようになった。


それはそれは奇妙なF1カーだった。


こんなので走るのか???


私の記憶が正しければ、直線バカみたいな馬力があって直線は早いが、カーブに全く弱いへんてこりんなF1カーだった。


ホンダ技研工業内でも空冷エンジンを押す本田宗一郎と、水冷エンジンじゃなきゃダメという技術陣の対立が起きた。


さてさて、その時の会社はどうしたか、、、。


なんと、なんと空冷エンジンのF1カーと、水冷エンジンのF1カーの2台を作って、国内のサーキットで走らせてどっちにするか決めたそうだ。


今時2台も全く違う、エンジン形式もフレームも違うものを作ったんです。



上の車が水冷エンジンのF1。


下が本田宗一郎考案の空冷エンジンのF1。


エンジンが違うので空冷型はずんぐりむっくり。


ドライバーの位置も違いますね。


ウイングの取り付け場所も形も違う。


結局、、、若手工員グループに本田宗一郎は負けて、引退ということに。


どうみても、、、完成度に差があります。


本田宗一郎が手掛けたから、空冷エンジンは馬力がありそうですが、なんだかでっかくてずんぐりむっくりしています。


水冷エンジンのこのホンダF1カーはジョンサティーズ(リッチーギンザーだったかな)のドライブで、グランプリで優勝しました。1960年代か1970年だったとおもう。私は雑誌を見てワクワクしたものです。授業中に後ろのほうの席で、仲間と雑誌を読んでいて、、、先生からチョークを投げつけられたものです。でも投げられたチョークにあたったらバカで、それをサっとよけなけりゃカッコ悪くて仲間からバカにされる。ツワモノもいて授業中にもヘルメットを被ったままの者もいた。あれじゃ先生の声が聞こえないだろーーー。当時はフルフェイスのヘルメットなどは影も形もなくて、ジェットヘルにお椀のようなバイザーを付けていた。そんな輩(ヘルメット集団)が教室の後ろにたむろしているのは、考えてみれば異様だっただろう。いちおう進学校だったんですがねーーー。


本田宗一郎のずんぐりむっくりF1は、戦時中の日本の戦闘機に繋がります。


日本の世界に誇る傑作戦闘機の疾風は、米国のムスタングや独逸のメッサーシュミット、イギリスのスピットファイヤーなどと比べると歴然とずんぐりです。エンジンが空冷だったからですが、それよりも日本人の体形に似ていると言われています。性能(劣悪なガソリンに対応していたから、質の良いガソリンを入れれば、、、)はすごかったんですよー。


本田宗一郎は一線を引いて、それからは全く出てこなくなりました。清い引退だった。


本田宗一郎さんは全く接点がなかったが、ポップ吉村(ゴットハンド)さんは鈴鹿サーキットでよくお見掛けしました。


本田のDNAはどこに行っちゃったの、世界に出ていくときは、、、残業が月に300時間だったと書いてあった。それだけ熱中していたんだ!残業は会社の社員だったら禁止だが、個人の研究だったら許される、、、今ではね。オリンピックに出るような各種競技の選手たちには、残業なんて意識はないでしょう。本当は企業の研究も競技者と同じなんだと思いますがねー。ドイツやイタリアメーカーさんの研究者は、実際は今どうなんでしょうか? 


ものつくり伝承館のお隣の立派な建造物を調べたら諏訪神社だった。


残念、本田神社じゃありません。



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東京の桜、市谷の土手

2018-04-06 11:35:11 | 日記・エッセイ・コラム

入学式や入社式の季節には、桜がつきものです。

その時に中央線市谷の土手が桜色に染まって華やかになります。

桜のピンクと、菜の花の黄色がすばらしいコントラストです。

市ヶ谷の土手の上から見下ろしました。

黄色い電車は総武線。

千葉と三鷹の間を走っていて、東京を真横に縦断します。

総武線は各駅停車ですが、赤い電車の中央線は日中は快速なので市ヶ谷には止まりません。

溜池、赤坂、四谷、市ヶ谷、飯田橋、お茶の水と江戸城のなごりのお堀が残っています。

溜池あたりは埋め立てて何も形跡が無くなっていますが、山王神社あたりがお堀の土手かな。

いわゆる外堀通りになっています。

ソニービルの前の橋から飯田橋方向を望んでいます。

右手は法政大学のあたりか、それとも逓信病院か、民間の高層ビルか、、、。

正面の茶色いビルが飯田橋の駅ビルじゃないか。

カナルカフェとボート乗り場。

外堀は運河じゃないけど、神田川は運河としての役割があったのではないか。

飯田橋のボート乗り場には、日曜日となると乗りに来る人で長ーい行列ができます。

市ヶ谷、新宿方向に振り返りました。

春霞みで大気がかすんでいます。

黄砂ですかねーーー。

新宿はその昔は江戸の外だったんでしょう。

四谷三丁目にある大木戸が江戸城内の門だった。

そうそう、多摩川上水も大木戸のところまで来ていて、そこから分配されたのだろう。

総武線の水道橋はその当時の由来が名前になっている。

四ツ谷駅の東口を出て左回りでここに出ます。

真正面の階段で土手を登ります。

休日、夜となれば花見客の宴会だらけです。

ブルーシートの席取りはーーーも~大変、あちこちです。

この階段を上がっていきます。

春爛漫、満開の桜です。

市ヶ谷から飯田橋までの、外堀の土手歩きが気持ちが良かった。

さすがに中国人もここまでは来ない。

メジャーな観光地じゃないから、ガイドブックには載っていないのだろう。

吉野の桜や弘前城の桜は有名で、いかにも観光地ですが、外堀の土手の桜は日常の延長ですからーーー。

そこまでは、さしもの中国人も気が付かない。

この土手の上で中国人の宴会でもやられた日には、、、もう「日本消滅」「戦わずして日本占領」となるでしょう。

絶対に知られたくないでしょ、中国人には!、、、。

市ヶ谷の外堀の土手は、東京人の秘密の花見場所ですからねーーー。

四ツ谷駅を上智大学方向に進んだところ。

土手の上を、あたり一面に紫の花が咲き乱れていた。

上を仰ぎ見れば桜のピンクが、目前には紫の花。

皆さん記念撮影です。

入学式でもあったかなーーー。

お母さんと娘さんです。

遠くからそれを狙っているオヤジ、さらにそれを狙うオヤジが一人。

平和ですねーーー。

江戸城跡の外堀を1周すると10kmぐらいになります。

外堀は車の通行量が多いのでランニングコースとしては走られてはいません。

内堀は1周5kmで、皇居そのもので、昔からランニングのメッカです。

それで、皇居の周辺にはランニングステーションという、ランナーの着替えやシャワーが使える施設がいくつか点在しています。

ランニング仲間ではランステと呼んでいます。

四ツ谷駅の東口にある緑化壁です。

キレイですねーーー。

ここがママチャリのスタート地点です。

2019年5月 角館の夜桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/e8246afa2665e91272a1e0b89ee447f7

2019年5月 角館の桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/972edf8f872f8c193665127bc0738102

2019年4月 千鳥ヶ淵の夜桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/6c60c4cfc7805cc7c93f997826fd4647

2018年4月 高遠城址の桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/d3ed913f0815e6701cffca199a092f75

2018年4月 神田川の桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/2336840b1a4ad7119e1b9d909ae7ad78

2017年5月 東北の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/11635d675eac03e7ee4fac953e7a1947

2017年5月 函館五稜郭の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/94538fa51f6a1e0a79021a2a563d2124

2017年5月 弘前城の花筏

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5cbf56f836627ad684ad1648b93327d9

2017年5月 弘前城の夜桜

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/01d316f80a5f384f73f0d2ae74aa4526

2016年4月 弘前は春爛漫

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神田川の桜

2018-04-05 13:53:57 | 日記・エッセイ・コラム

江戸川橋から早稲田、小滝橋へ桜見物しながらママチャリ、サイクリングでした。

先月の3月26日だったか、、。

江戸川橋は高速道路が神田川を覆っていてちょっと残念。

水はキレイじゃないが水際は風情があります。

東京のど真ん中を流れる川だからねーーー。

神田川は江戸時代のときは、江戸の飲料水にもなったそうです。でも江戸が100万都市にもなると、水が足りなくて玉川上水を大土木工事で完成させた。

椿山荘の脇を神田川が流れています。

その一画だけ森が深い。

両岸がコンクリで高い護岸になっているのはしかたない。

椿山荘の裏口に当たります。

懐石料理が2万5千円からと、、、。

コンクリの部分を全部植物で覆ってくれるといいのだが。

椿山荘は武家屋敷のような趣があります。

意外に花見客は少なかった。

交通の便と出店がないからでしょう。

両岸から桜がせり出してきています。

目黒川の桜が都内では有名ですが、神田川も同じぐらいにキレイな桜並木です。

神田川は地盤が固いのか岩が露出しています。

もしかして、江戸時代にここまで掘り下げたのかもしれない。

実に固そうな岩なので、手強かっただろう。

鉄みたいな岩の感じです。

面影橋、高戸橋、小滝橋まで登ってきました。

今年の桜の開花は早かったーーー。

2017年5月 東北の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/11635d675eac03e7ee4fac953e7a1947

2017年5月 函館五稜郭の春

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/94538fa51f6a1e0a79021a2a563d2124

2017年5月 弘前城の花筏

https://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5cbf56f836627ad684ad1648b93327d9

2017年5月 弘前城の夜桜

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2016年4月 弘前は春爛漫

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金柑を剪定した

2018-04-01 17:32:32 | 植物

金柑はお野菜じゃないけど、美味しい実がなるので楽しみです。

金柑の実は2月にほとんど収穫して、ボウボウに茂った枝を今日剪定しました。

すると、、、その時に実が小さくて収穫しなかったものが、、、大きく育っていた。

しめしめ、、、今年2度目の金柑の収穫だー!

ジャーン

そう言えば、果物の実を大きくしたかったら、ある程度たわわになった実を選定するそうです。

欲張って、全部の実をを大きくしようとすると、全部が小さくなるそうです。

だから、今回の金柑の実が大きくなったのも、2月あたりに他の実をとったから、小さかった実に栄養が行き届いて大きくなったのかもしれない。

最初から良さそうな実だけを残しておいたら、きっと売り物みたいな大きな金柑が収穫できそう。

苗を買ってきて植えて7年ぐらいになります。

日当たりがよくないので、植物さんには悪い環境ですが、ジミーに育っています。

2月には、これの3倍ぐらい収穫しました。

これは、その時には小さくて収穫できなかった残りものです。

それが、最近の天候で葉や実がすくすく大きくなってきました。

しめしめでしょーーー。

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