Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

民主是個好東西 可平

2007-06-14 | マスメディア批評
本日のFAZ一面三段目の囲みの記事が踊っている。中国共産党がスウェーデン型の民主主義社会への移行を検討していると言うのである。ここでも定期的にFAZの記事としてのみならず、中共の政治思想に興味を持って来た。

ここで扱われているのは既に多くの論文で、中国に必要な政治社会システム論じてきた俞可平北京大学比較政治経済学研究所教授の「民主主義ほどよいものはない」とする意見が、最近盛んにネット等で論じられて、保守革新双方を巻き込んだ議論を白熱化していると言うことである。勿論のこと、それは中共政府の意向であると分析する。

その背景には、二期目を迎えてなんとか権力が掌握出来たフウ・ジンタオ主席の指導力があり、ここへ来てやっと基本政策である社会作りへと挑むことが出来たのだとされる。

例えば、党内だけでなく、地方から中央へと広がる選挙の必要性は、 極 論 を 避 け た 中での、社会利益と建設的なシステム構築に、個人の多大な関与を反映させることを指す。そして、民主主義制度こそが蔓延する腐敗を防ぐ事が出来るとする。

既に、「報道の自由」が議論となっていることから、これは政府の自信を示しており、西洋的自由主義を警戒するまでも無く、民主化への道を見つけ出したとする知識人もいると伝える。

フウ・ジンタオは、「民主主義は資本主義のものであらず、民主主義と社会主義はお互いに相反しない」と発言したのみならず、地方における選挙にも言及していると言う。しかし、それらは、政治学者刘熙瑞が言うような党内における選挙制度の改革であり、「中国的民主主義」と呼ばれるものらしい。

「西洋における 民 主 主 義 信 仰 などは、ここにはない」と記者は書く。

党機関紙「求是」においても正統派の社会主義者に対して党保守派は、「西洋的な分権や政党政治を取り入れることは決してありえない」と反論している。

つまり、独自の民主主義への道への歩みには疑いがないが、どのような形となるかは、五年前の第十六回共産党大会の前にも、多党化を含めた議論が活発化したように今回も楽天的な観測に過ぎぬきらいもあると言う。

しかし、秋の党大会へと向けて、政府首脳陣は、政界の議論のみならずネットでの公論に強く関心をもって固唾を飲んでいることは間違いないようである。

その意味からすると、今西欧が求めている 公 正 な自由民主主義の目標へと、反対側から社会民主主義への道を中国は歩むことになる。しかし、前者が新旧教会を中心としてその精神面から後押しされつつ日々模索されているのに対して、後者の唯物論者がその制度を論じるほどには、その実現は容易ではないことが判っている。しかし、民主主義を標榜する社会が(腹が)順調に潤っていけば、極東の安定に繋がることは確かであり、最大公約数的な同一文化圏が共存して充分に繁栄して行く事は可能であろう。

上記した状況から、日本を中国と別の文化圏とする意見は既に当てはまらない。それを言うならば米国の孤立を挙げなければいけない。

そして、必ずしも、絶えず改革と前進を必要とする米国社会や西欧社会の自由民主主義が、第三世界の模範でないことは自明であり、この記事が示唆するように、中国型社会民主主義を発展途上国は模範と出来るようになるかもしれない。また、そのように願いたいのである。



参照:
"Modell Schweden" von Petra Kolonko, FAZ vom 13.6.2007
2007/06/10, 日本経済新聞 朝刊 (原始人の日記)
日本の中国朝鮮化を止めるために (蓬莱の島通信ブログ別館)
排队日 (私は北京に住んでいます)
遵法的議会外政治行動 [ マスメディア批評 ] / 2007-05-30

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