Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

批判的民主主義行動

2007-04-19 | マスメディア批評
昨日の正統性の話題に続いて、温首相の日本訪問の記事を読んでいく。4月16日付けのフランクフルター・アルゲマイネ紙の、第一面右枠の三分の二を占める社説である。

ぺトラ・コロンコ記者の「東アジアにおける緊張緩和の信号」と題した記事である。こうした署名記事を読む場合、未知の人であれば、一体どのような見識をもっているかが先ず興味ある。

ざっと、一読すると北京側の思惑に東京の思惑を重ねるようにして、確かな第三者の目として描いている。この新聞では、中国問題は大きく扱われていて、特にその思想的な面での記事は、今日の中国思想研究として十分な情報を提供している。

その内容である、戦前の大日本帝国の蛮行を思想的に清算しろとする北京の主張に対して、文革の清算が出来ていない北京を指摘するのは、現在のこの新聞の編集局の一貫した見解である。それに加え、政治屋貴族集団とされる安倍政権が国内の保守派に対して、選挙への影響を恐れて反中ポーズ ― 経済界からや相手国からの利潤供与をひた隠しながら ― をとることの必然性を挙げ、中共政府には選挙はないが人民が反日に蜂起する不慮の事態は避けたいと言う事情を対比させる。

ここでは、後者における永年に渡る反日教育に対して、前者における同じ様な期間をもって行われた愛国教育を対比させてはいないが、奇しくも政権政党のしかるべき政治家が自作自演で、中華思想を挙げて「日本国首相訪問には、中国共産党主席訪問の返礼が相当」とするような、明らかにポピュリスト的な「犬の遠吠え」がネットで伝えられると、上の記事の確かさを示す事となっている。

まさに、この事象こそが、この記事で「日本政府の 戦 犯 への態度は、民主主義の大擁護者に全然相応しく無い」とされる。そして、「温首相訪問中に、軍事力を持って重大な使命を果たそうとする平和憲法改正への準備である国民投票法案を審議し始めた」と明確に定義している。

こうした客観的で第三者的な正論に対して、日本の翼賛大新聞の政治局長の「国民投票法は、憲法改正とは先ずは関係無い」などと嘯いた見解を、ネットラジオで偶々耳にすると、なるほど「戦争の出来るまともな国を目指す日本国」の権力支配構造が良く分かるのである。

必ずしもパシィフィズム的な第九条を 死 守 すべきとは思わないが、これらのことから、それを廃棄するには時期尚早と見るのは当然の帰結であろう。

例えば、今回報じられるような長崎市長の暗殺においても、それは国民投票よりも遥かに大きな意味を、この市民社会システムへの挑戦に対する平和的な市民大抗議行動におくべきで、言われるような数の論理による多数決は民主主義のただ一つの技術的な方法でしかなく、本質では無いことを思い出さなければいけない。

こうして見てくると、土下座外交と呼ばれるものは、そのもの土下座選挙をする、遠吠えする輩の専売特許であって、実のところその彼らこそが、国民教育とワンセンテンス・ポピュリズムを以ってその不確かな正当性を根拠に、市民を容易に導けると考えている。その輩の卑しさを改めて見るが良い。

さらにこれに加わる第四の権力と自負する機能は、本来のジャーナリズムの体を全くなしておらず、民主主義システムを維持するための意味を失っているかのようだ。

民主主義の根幹をなす市民の批判精神が行動となって、社会に投影されない限り、到底国防軍を持てるような ま と も な 国 ではなく、そうした精神環境は、明治維新後に国体として整備され戦後に改正されたその政府の正統性をも非常に怪しいものにする。



参照:
民主是個好東西 可平 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-14
2007年春、ドイツ旅行の印象 ― toxandoriaの日記
教皇ベネディクト16世の...あいさつへの論評 ― Barl-Karthの日記
民主主義はしょせん金? ― コミカル・ミュージック
コメント
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