Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

推定無罪の立証責任

2007-04-21 | 雑感
毎度話題を提供してくれるショイブレ内務大臣である。今回は、司法用語である推定無罪の定義をテロ防止法制定の中で俎上に乗せた。

「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」とこれを読みなおすことが出来るらしい。つまり、In dubio pro reo(疑わしきは被告人に)の大原則は明文化されていないとするが、こうした意味合いから、立証責任を以って法的に証明されるまでは無罪と言いかえることが可能なのだろう。

それを、逆手にとって、連立与党キリスト教民主同盟の大臣は次のようなレトリックでシュテルン誌上に答えて、物議をかもした。

「原則は推定無罪に値しない」 ― 「推定無罪は、その核、一人の冤罪よりも十人の罪人を見逃すことを意味するのだな」

更に、「それなら、恐らく事件を起さない誰かを追いかけるよりも、むしろ十の攻撃を遣らせておく方が、良いってことじゃないのかな?」

当然の事ながらこの発言は、法治国家の精神に反するとして、強い批判を浴びたが、社会民主党の法務大臣ツィプリス女史などは、この発言を少々の混乱として同僚を庇っている。

そして、「ショイブレ博士が辛口に言った事は、短絡的に伝わった誤解だと想像しています」と連立与党の社会民主党を閣内代表してこう語っている。

憲法精神から甚だ遠ざかり、お話になら無いとするのが、一般的な見解であるが、同時に内務大臣は、「拷問の厳しい否定」を強調する一方、「我々の尺度でと同じように、法的に問題なく得られたかどうか補償出来ない限りは、そうした他国の情報活動で得られた情報を使わないと言うのは馬鹿げていないかい?」としている。

つまり、米国CIAを名指しはしていないが、その方法をEU内においては許さないながら、それを無視することは出来ないとしているに等しい。

恐らくこの政治家の老獪さは、この発言に良く現れていると思うが、特に一部の社会民主党員や前任者で法案発案者シリー前内相らのイデオロギーを浮き彫りにしていて面白い。

米国の諜報活動やその手口を暗に叩く一方、社会の多数である被雇用者の安全を護ることは、連邦共和国の秩序を護ることであり、その反対も正となる 思 想 を隈取りする。

しかし、実際には電話の盗聴や着信歴の保存などは、人権問題にも抵触して市民の自由を侵す可能性が強い。EUにおいて36ヶ月の追跡期間が推進されている一方、たとえEU社会が基本的人権を尊重して、民主主義的な統治を可能とする前提があるとしても、個人対社会、社会対個人の 闘 争 は今後とも白熱していく課題と認識する事が出来る。

また覗いているファインダーのズームをずっと引いて行くときに、それは丁度GOOGLE EARTHで欧州からひいて行く時のように、アフリカ大陸やアジアが同じ視野へと入ってくる効果に似ているのである。そもそも、テロ防止法自体が、西洋をある一つの地域文化圏であると立証する行為を推定している。



参照:
秘密の無い安全神話 [ 歴史・時事 ] / 2007-02-01
煙に捲かれる地方行政 [ 生活 ] / 2006-12-12
イドメネオ検閲の生贄 [ 音 ] / 2006-09-29
自尊心満ちる軽やかさ [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-12

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一斉に展開する風景 | トップ | ナザレのイエスを注文 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿