火曜の晩、フランス大統領選TV討論会を観た。同時通訳のものを始めから30分後位してから、その後二時間以上観た。討論が終わったのは、11時40分ほどであった。
経済、労働、税の問題から、環境、年金・保険、教育、政治システムなどに仔細に討議された。司会者が余り口を挟まないのが特徴のようで、それでも二分ほどだけ攻めのロワイヤル女史が多く喋り、それを護りのサルコジ氏は構わないと認めた。
その主張の内容の「真実と嘘」は全く判らないのだが、基本姿勢は十二分に示せたに違いない。特にこの二人の政治姿勢の違いは顕著であった。
具象性に欠ける感のある女史が、ライヴァルの政策領域に踏み込み、また反対にサルコジが女性候補の信頼を失墜させようとした戦略は良く見えて、ドラマとしてのハイライトは、障害者教育問題に持ち越され、これが女史の強みを見せたか弱みを見せたのかは、聴視者の気質によって別れるのではないだろうか?
同時通訳の影響もあってか、サルコジの印象は大変悪かった。特に、誰もが普通教育の包容力を期待しながらも特別な早期教育の必要性を知っている障害者教育を、あれだけいとも簡単に特別教育の価値を切り捨ててしまう態度は、女史が怒る「モラル無き政治」に相違無い。
「目に涙する」とする状況をサルコジは突くが、政治とは実はこうした情動的なものであるとされているのではないだろうか?「怒っているだけで、正気を失っていませんよ」と言う女史の態度の方が、指導者に相応しいと思うがどうだろう?
北京オリンピックをボイコットぐらいの圧力も必要とする女史は、中国旅行を経験として示しながら、それでも司法制度に強く懐疑を示すのは当然であろう。一方、トルコを小アジアの立派な偉大な国として慇懃に持ち上げておきながら、イラクと国境を接するような欧州には絶対出来無いとするサルコジの主張は、サルコジを支持するバイエルンのシュトイバー首相でも発言しない理不尽な口調でこれには非常に呆れる。
その反面、仔細な議論の方法は、フランス文化らしくて、ドイツでは今やここまでイデオロギーをぶつかり合わすことはない。シュレーダーとメルケルの討論会は、イデオロギーをちらつかせたメルケルでは無く明らかにシュレーダーの勝利であったが、それは各々の政治姿勢が評価されたと言うよりも、指導者としての器量が判断された。しかし直接投票では無かったので、結局討論会で負けた方が女性首相となったが、それはそれでそのイデオロギーとは殆ど関係の無い大連立の調整役として上手に機能している。
それに比較して、今回はより基本の政治姿勢であるイデオロギーが前面に出ている。消費購買力を財政の基礎に置くサルコジに対して、公正な社会と労働力の再生を基礎に置くどちらもあまり現実的ではないとしか思われない。だから女史のように、大統領権限に対して国会の権力を強化する改正を主張しているのだろう。いづれにしても、EU経済圏内でその国家財政は厳しく監視される。
しかしキャピタルゲイン税や相続税などを使って、自由主義社会を容易に引き締めようとする社会党が、また教育の画一化と最低賃金付きの短い労働時間を主張するのに対して ― また京都議定書を満たさない国の製品をボイコットするのも良かろう ― 、サルコジ側が示すネオコンサヴァティヴな主張の対極化は、本当により良い議論の方法なのだろうか?ディベートと言われるただの技術的な方法でしかないのではないか?
「TVを観た視聴者は民主主義を習えた」とも評価される討論会であったが、対話よりも強引な方法を主張するサルコジ候補が勝利するならば、その評価には賛成できない。
参照:
EUROPE1
四苦八苦する知識人 [ 文学・思想 ] / 2007-05-07
東部前線での選挙動向 [ 歴史・時事 ] / 2007-04-25
サルコジ批判票の行方 [ 女 ] / 2007-04-23
経済、労働、税の問題から、環境、年金・保険、教育、政治システムなどに仔細に討議された。司会者が余り口を挟まないのが特徴のようで、それでも二分ほどだけ攻めのロワイヤル女史が多く喋り、それを護りのサルコジ氏は構わないと認めた。
その主張の内容の「真実と嘘」は全く判らないのだが、基本姿勢は十二分に示せたに違いない。特にこの二人の政治姿勢の違いは顕著であった。
具象性に欠ける感のある女史が、ライヴァルの政策領域に踏み込み、また反対にサルコジが女性候補の信頼を失墜させようとした戦略は良く見えて、ドラマとしてのハイライトは、障害者教育問題に持ち越され、これが女史の強みを見せたか弱みを見せたのかは、聴視者の気質によって別れるのではないだろうか?
同時通訳の影響もあってか、サルコジの印象は大変悪かった。特に、誰もが普通教育の包容力を期待しながらも特別な早期教育の必要性を知っている障害者教育を、あれだけいとも簡単に特別教育の価値を切り捨ててしまう態度は、女史が怒る「モラル無き政治」に相違無い。
「目に涙する」とする状況をサルコジは突くが、政治とは実はこうした情動的なものであるとされているのではないだろうか?「怒っているだけで、正気を失っていませんよ」と言う女史の態度の方が、指導者に相応しいと思うがどうだろう?
北京オリンピックをボイコットぐらいの圧力も必要とする女史は、中国旅行を経験として示しながら、それでも司法制度に強く懐疑を示すのは当然であろう。一方、トルコを小アジアの立派な偉大な国として慇懃に持ち上げておきながら、イラクと国境を接するような欧州には絶対出来無いとするサルコジの主張は、サルコジを支持するバイエルンのシュトイバー首相でも発言しない理不尽な口調でこれには非常に呆れる。
その反面、仔細な議論の方法は、フランス文化らしくて、ドイツでは今やここまでイデオロギーをぶつかり合わすことはない。シュレーダーとメルケルの討論会は、イデオロギーをちらつかせたメルケルでは無く明らかにシュレーダーの勝利であったが、それは各々の政治姿勢が評価されたと言うよりも、指導者としての器量が判断された。しかし直接投票では無かったので、結局討論会で負けた方が女性首相となったが、それはそれでそのイデオロギーとは殆ど関係の無い大連立の調整役として上手に機能している。
それに比較して、今回はより基本の政治姿勢であるイデオロギーが前面に出ている。消費購買力を財政の基礎に置くサルコジに対して、公正な社会と労働力の再生を基礎に置くどちらもあまり現実的ではないとしか思われない。だから女史のように、大統領権限に対して国会の権力を強化する改正を主張しているのだろう。いづれにしても、EU経済圏内でその国家財政は厳しく監視される。
しかしキャピタルゲイン税や相続税などを使って、自由主義社会を容易に引き締めようとする社会党が、また教育の画一化と最低賃金付きの短い労働時間を主張するのに対して ― また京都議定書を満たさない国の製品をボイコットするのも良かろう ― 、サルコジ側が示すネオコンサヴァティヴな主張の対極化は、本当により良い議論の方法なのだろうか?ディベートと言われるただの技術的な方法でしかないのではないか?
「TVを観た視聴者は民主主義を習えた」とも評価される討論会であったが、対話よりも強引な方法を主張するサルコジ候補が勝利するならば、その評価には賛成できない。
参照:
EUROPE1
四苦八苦する知識人 [ 文学・思想 ] / 2007-05-07
東部前線での選挙動向 [ 歴史・時事 ] / 2007-04-25
サルコジ批判票の行方 [ 女 ] / 2007-04-23
貴重なコメントをどうもありがとうございました。
BBSの方にお礼をと思いましたが、先客さまにビビッて、格調の高いこちらで、失礼させていただきます。
本当に、徴兵はないほうがいいです。
気持ちとしては、今の日本の憲法は、以前、ネール首相が言われたように、日本と日本人を守ってくれる、実は宝と思います。
ですから、押し付けといわれるなら、今のままでいい、も選択肢にした、批准投票をまず行えばとごまめとしては存じておりますがいかがでしょうか。
ただ、びっくりしたことに、今の日本の中学生の中には、日本がかつてアメリカを敵として戦ったことを知らない青少年がいるとのこと。
日本の歴史教育も、過去から教える教科書でなく、現代から遡る組み立てにしたほうがいいかとごまめは思います。
ドイツでは、これでもかと言うぐらい、青少年にドイツのかつて行ったことを、教えているとか、とききました。
コメント本当にどうもありがとうございました。
pfaelzerweinさまのブログは日常のことにしても、本当に水準が高くていつも刺激をいただいております。。。
世界が流動的になっているから、国内の福祉より、とにかく国家の存亡の確保が先決という傾向が強まっていく気がする。
なりふり構わず、自国の安泰と利益が最優先という方向。
トルコをEUに加えるのか、中国でのオリンピックを拒否するのかってのも、投票の鍵を握るってのは興味深い。
サルコジの印象は悪いけど、頼りがいがあるって判断になるような予感が。
ご指摘のように、なぜスイスが皆兵なのか、西ドイツは兵役を必要としたのか、なぜそれを廃止する議論が今あるのか、少し調べると解ることです。
そこに、あるものを民主主義の根幹としても良いかもしれません。
やいっちさん、国家の枠が崩れて来ているのは、確実で、その中でローカルの生き残りが試みられます。
サルコジ有利が伝えられます。同様に批判が総決起する可能性もあります。だから、近隣諸国はは見守りに徹しています。
特に、日本は、戦後簡単に自己否定を表向きしてしまって、親が子供に何も言えなくなったような時代があったようで、その親にそだてられた私どもの世代がうろうろとそのまた子供を育てております。
しっかりしたIDの確立、価値観、哲学、心棒を。。
自己のIDが確立されていれば、民主主義の理念の下では、決して郷土や地方や国のものとも矛盾しない筈です。
自己のIDが確立されるためには、どうしても、反面教師にしても、その規範となるような姿勢が存在すると思いますが、どうでしょう。仰る通りです。
おばさん番組で有名な、みのもんたさんの番組で、若い人に大人への意見をきいたら、「自分たちが勉強しないというけれど、その教育制度を作った大人が悪い」と。
フランスの選挙はサルコジ氏の勝利と報じられていました。僭越ながら、一瞬、オーストラリアの弁舌有能な指導者を仰いだ過去のドイツのイメージがよぎりました。
IDの確立が、なにかえたいのしれないもののシンポル操作の影響をうけておりませんようにと、これからの、各国々でのシンポルのありようを、切に、地球そのもの、全体が豊かなありようになるようにと、願っております。
どうもながながと失礼申し上げました。
得体の知れないものにイメージが象られる事しばしばです。それでも、「労働や勤勉」などの普遍的な価値観はどの社会にも存在する訳です。
高度成長期の日本でもそれは疑い無く良いものと信じられて、だから田中角栄が広く支持されました。
どうも戦勝国であったフランスや英国は、その点69年運動があるとしても、従来の権威や規範に則って戦後を通して来ただけに、イメージが形骸化されて来ていたのかも知れません。
そうした形骸化された「制度や規範」を、フランス人専売特許の「破壊する対象」としての反面教師とすることが出来なくなっているとするのが、今回の選挙結果だったのでしょう。
二世であるサルコジが大統領になると言うのは、その点からするとフランス民主主義の勝利と言えるのかもしれません。
と、>形骸化された「制度や規範」を、フランス人専売特許の「破壊する対象」としての反面教師とすることが出来なくなっているとするのが、今回の選挙結果だったのでしょう
>民主主義の勝利と言えるのかもしれません。
と一安心しさせていただきました。