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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

辺境のとても小さな人々

2007-04-11 | マスメディア批評
(承前)カムチャッカ半島から、フェリーで、クリル列島の北へ入り、南下して国後・色丹島へと、更にサハリンへ戻り根室からアイヌを通って函館へと抜ける。

カムチャッカのアジアで最も高い火山から北海道まで続いている火山帯を番組の軸に、現実の社会を映し出していく。また、丁度国境警備隊による日本の漁師の射殺事件後で、それを両サイドから見ている。

第一部について第二部を観る限り、煙を吐く火山と地震の大地に、熊や野生動物と土着民族と植民活動の末裔の社会が、美しく厳しい自然を背景に、浮き彫りにされる。なによりも北方領土の島の状態は凄まじく、地元の議長や医師にも語らせているが、どうみても極地越冬隊もしくは河原に居座った住民のように、貧困に喘いでおりロシア最高の出生率で生存権ならびに居住権を主張しているに過ぎない。もともと、人々の生活たる文化もなければ何も無い、軍事基地しかない土地のようだ。

そこで思い出すのが、アメリカインディアンの聖地グランドキャニオンにスカイウェークと呼ばれる馬鹿げてみっともない施設が、ドイツ製の透明ガラスを使ってこのほど建設されたことである。そこでも、新聞取材は伝えていたが、インディアンの共同体は失業率が高く、観光客に芸を披露する以外に収入源が無く、彼らの聖地を汚すのに関わらず、今回の投資を受け付けたと言う。背に腹はかえられない。しかし、その犠牲が、共同体の将来になるものとは誰も信じていない。それどころかインディアン共同体の幹部が私服を肥やしているとする観測すらあるらしい。

そしてグランドキャニオンへと繋がる街道筋は寂れて、シベリアのそれと変わらないようである。そうした街道筋には投資者の興味が向かないのは当然なのだろう。

こうして汎ベーリング海繋がりの種族やそれに近い部族を見ていくと共通したものもありそうで、アイヌの酋長の「我々弱いものが生き残って行けないようでないと、世界平和は訪れない」の発言に現れている。反面、帝国主義的にペテルスブルクもしくはロシアや江戸や東京がこれらの北方民族を駆逐して、中央集権的にテリトリーを確保しようとした歴史は摂理のようなもので、それはどこでも変わらない。

恐らく、本国の視聴者にはシュレージンやプロイセンからの引揚者を思い出した人も少なく無い筈である。そして少なくとも北京のチベット統治政策を否定するならば、この北方領土問題を現在の露日間に横たわるような政治社会問題として扱えない筈である。ネットにあるような政治的なプロパカンダが如何に現状の生活感と異なるかも判るようだ。

中央の政治権力に対して、あまりにも小さな人々が翻弄されながら生きる姿が映されていた。


追記:協力日本人スタッフは通訳の方だったようであった。
コメント (2)
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