Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

緑の木曜日への感慨

2007-04-05 | 
四旬節最期の聖週間である。その受難週の聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日をしてカーターゲとして、特にカトリックにおける宗教的な儀式以外に、個人の日常生活に少なからぬ意味を持っている。中には厳格な長い期間の断食をこうして終える者もいる。

そうした現在でも生きる宗教的な生活感と平行して、中世からルネッサンスへの心境を芸術として覗いてみるのも愉しい。

手元にフランドルの作曲家オケゲムの有名なミサ曲「ミミ」の録音CDがある。これは、レベッカ・スチュワート博士が監修指揮している。その中で、フランドル派の大作曲家のこのミサ曲を、その教会調の特徴や幾つかの学術的成果から、聖週間に最適なミサ曲と確信して、ミサ曲に最適なグレゴリオ聖歌を挟んで録音している。

その論旨や演奏実践について、優れた演奏実践が居並ぶ中でここでことさら評価するつもりは無いが、制作としてのこの企画は、様々な興味あることを考える切っ掛けとなるのも事実である。その内容を見て行く前に、ルネッサンス期のこの大作曲家について、簡単にそのプロフィールを見て、その創作の原点にある環境に思いを馳せる。

この作曲家が育ったブルゴーニュ公国は、現在のアルザス・ロレーヌからオランダへと跨っており、フランドル地方の産業発達に伴ない、文化的な中心はブルゴーニュからフランドル移って行った。そこでは、同時代の画家ヤン・ファン・エイクなどと同じく、前の時代を受け継いで多声音楽の芸術は高度に発達して、それが南のルネッサンスに対して北のルネッサンス文化を代表する文化圏にする。

パリがイングランドとの百年戦争で崩壊して、それが復興するにつれて、これらフランドル文化が果たした役割は大きいようで、その中でもフランス・ブルボン王朝にて重要な役割を為したのがこの作曲家であり、王が好んで居を構えたロワールの瀟洒な宮城に近いトュールの聖マルタン寺院は、この作曲家の主要な仕事場となっている。

その芸術は、あまりに知的で思弁的と言われるほどに高度に完成しているが、後輩の作曲家デ・プレがこの先輩を偲び強い影響を受けているだけでなく、アムステルダムの思想家エラスムスが追悼を認めているだけあって、その人物の大きさが知れるのである。

その人物像はあまり定かでなくとも、その芸術が五百年以上に渡って伝える、創作者の創作過程や意志なども色々と想像できる。特に面白いと思うのは、やはりこうした芸術家が、スコラ哲学からヒューマニズムへと進む時代に生きていたその軌跡を、作品の中に見つけることが出来るからである。(続く
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