Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

愛と食と生と職の説法

2007-04-10 | 
ヴァチカンからのミサ中継はやはり興味深い。愛を掲げるベネディクト16世が、復活祭の食を糧とするミサを執り行うので面白い。当然のことながらユダヤ教の過ぎ越しの祭りの伝統によっている。

絶食明けの復活祭は、大食いと大酒飲みの無秩序暴飲暴食が諌められる時期であるのも事実である。メディチ家のお抱え画家のジャコポ・リゴッツィがそうしたアレゴリーを描いたスケッチ図柄が新聞に掲載されている。車フェラーリほどの価格でネットで落されたとある。

本場で作らせたと言うビザンチン風のイコンも、今回初めて公開された。さて教皇が叫ぶUrbi et Orbi、即ちローマから世界へ向けての祝福は、こうして愉悦に富んで執り行われるが、この伝統的巨大宗教団体の醍醐味である。オランダからの花がサンピエトロ寺院を飾るのもヴィーナーノイヤーコンツェルトと同じで、教皇から特別に祝福される。

埋葬の方法について読むうちに、ワインの土壌について想いが至る。キルヘンシュトックなどと呼ばれる地所は多く、嘗ても何気無しに考えた事があったが、確かに墓所のある近くのワインは人々の養分を吸っている可能性が高い。何もこれをして、カニヴァリズム的に考える必要は無い。生態学として動植物の連鎖に再生を加えるのも当然のことであり、ワインに土壌の特徴が現れるのも環境として当然なのである。

手元にあるシュティフトと呼ばれる墓地の下方にあるワインを開ける。このワインは何時飲んでも味がある。その土壌の粘土質の下支えが語られるが、なにもそれが石灰質にしても意味するところは変わらない。

翌月曜日のベルリンのヴィルヘルム記念教会からの中継は、戦後の復興とバッハのカンタータが演奏された記念にバッハの音楽礼拝となっていた。EKD会長のヴォルフガンク・フーバー博士の説教がメインに据えられて、その楽曲説明を伴ないながら合間に因みのカンタータが演奏される。

聖金曜日まで振り返る形で行われるので、復興上演されたマルコス受難曲の内容に近い。その内容からすれば当然と思われるものもあるが、またバッハのパロディーテクニックと呼ばれるような、曲想の使い回しなどを考えれば全然不思議ではないのである。

説教によって、過ぎ越し祭のユダヤ人の生贄の発想を乗り越えて、古い酵母に感染されずに新たにすることは難しいからこそ力を借りる必要があるとする。グローバリズムの猛威を受けて職場を失ったりする事象に対して、そうした風潮を防いで行く精神が明確にされる。食の祭りに子供たちにオースタークーヘンが配られる。


写真:うさぎの耳
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする