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館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ミッキースペシャル・2019秋の沖縄旅・・2日目・・集団自決の島を反芻す。

2019-11-24 05:28:43 | 旅は続く
長いぜ・・・とにかく、まとめることのヘタな俺の文章は長いぜ!
興味ない人はパス!!!!

ツブク観光で参加の3人は、反芻の意味で読むべし!!!




那覇も遠くの島影になって、やがて、渡嘉敷島が立ち現われ、その渡嘉敷をぐるりと回れば、座間味の波止場が見えてくる。
デッキ最後尾に立ち、遠くを眺める・・・(トラベルミンも飲んだし)これが、とりあえずの船酔い防止策であった・・・




本土へ米軍がなだれ込む前に、米軍は座間味含む慶良間の島々を砲弾の嵐でずたずたにして、前線基地にする。座間味島はまさに「米軍一歩の地」なのだ。



民宿に行き、各部屋に荷物を置き、まずは座間味の「戦跡」をめぐるべく、「じいさま暴走族」で出発したのだった・・・



自決を免れた(意図せず)当時19歳の宮平春子さんの証言を頼りにそこを回る(実際・ほとんどが証言の場所しか残されていない)。
1・25日は、産業組合壕の近くにあった、家族壕に居たが、、助役だった兄から、「明日は艦砲射撃が始まり、敵の上陸は免れないので水杯で乾杯し一緒に死のうと言われる。
2・兄の子どもたちに、晴れ着を着せ、白いオニギリを食べさせる。子どもたちはお祭りのように無邪気に喜ぶ。
3・村人の多くは「忠魂碑」前に向かうが、艦砲射撃激しく、たどり着けず、大きな産業組合壕に向かう。
4・組合壕には村民も入っていて満杯状態だったが、兄は「ここは役人だけで自決するので住民の皆さんは出て行ってください」と促す。(組合壕では村長含め行政の役人67人が自決している)
5・ここで兄と別れる・・・・さ迷った彼女は、生き残る・・・

読者諸氏はあたりまえのことだろうが、集団自決は、あの曽野綾子が言うように「美しい愛の姿」でも何でもない。
天皇制とその所産である。天皇のために命をささげるとか、「生きて虜囚の辱めを受けず」と言った、皇国教育の洗脳の行きついた悲惨以外の何ものでもない。
天皇のために死ぬことが美化され、捕虜になれば女子は強姦され、男は惨殺されると教育された、馴れの果てである。

その忠魂碑を訪ねる。畑のあぜ道・・その奥・・まったく不親切な(ある意味踏み入れることをどこか拒むように)場所さ。



碑の台座は、今も当時の砲弾の跡が生々しいのだ・・・・



つぎに向かったのは「教職員壕」・・ここも集団自決の場所だ。校長が手りゅう弾を爆破させ、集まっていた職員がすべて亡くなっている。
ここは、先の証言にない場所だ。



道路際に建つこの碑の崖下に豪があった。産業組合壕である。67名の方が自決している。一杯で入れず、彷徨った人が助かったりしているのだった。



坂道を進むと「平和の塔」に行き着く。座間味の平和の礎である。座間味関係者で、沖縄戦で亡くなった、軍人・軍属・そして住民の名が刻まれている。



塔からは座間味のが一望できる。小さな島は、眼下の座間味地区が一番大きな集落だが、歩いて15分もすれば、村内を回れる小ささである。ここは、港を有し、島の真ん中に位置する。向かって西(右)方向の山を越えて阿真地区、東(左)に阿佐地区があるが、戸数は少ない。



高月山という山を僕らは登っているのだが、やがて展望台がある。そこからは、座間味地区・阿佐地区が良く見える。
写真は阿佐地区・・・・当時眼下の崖下に「従軍慰安所」があった。皆、朝鮮慰安婦達だ。



こうして戦跡巡りを終え、後半は自然史的座間味に突入した。2つの展望台をめぐり、豊かな青い海・・・東シナ海を満喫し、地層の露出など眺め、うっとりする。




ビーチにやってきた。刺すような日差しに、のどはカラカラ・・・おばぁの店でビールを調達。ギンギンに冷えていて至福だった。



バイクを返し、島に1軒だけある「ジェネラルストア」で酒・食い物・氷など買う。



民宿の屋上で、時間を気にせず、飲み明かすのが、俺の座間味のお決まり。皆もそれでいいと、宴が始まった!2時間以上飲み続けたか?



夕方の1・2時間・・・自由な時間があって(ほろ酔いで、よく覚えていない・・)島の祭りに参加する。

座間味は11月の毎週土曜日は「感謝月間」と称し、島中で祭りのようなものが開かれる。今年は11月の土曜日は5回あるので、毎週5回行われるのだった・・・・店は閉まり・民宿も夕食は無い。だが、村民総出で、波止場に集まり、店はそこへ出店を出す。食べ物も飲み物も種類豊富に購入でき、いろんなジャンルの出し物(しっかり1年かけ練習した!!)が繰り広げられる。手は抜かない・島を盛り上げたい熱気が結集する。

俺は、この島の祭りにこそ、島人(しまんちゅ)の肝心(チムグクル)・・・心・心意気・打たれてもあきらめない・・オール沖縄の原点があるように思えてならないのだった。何度も参加しているが、いつも1人なので、乗り切れないのだが、今回は、ゲスト3人の見事な溶け込み様に、最後まで初めて楽しめた気がした。
さらに言えば、「しーぶん」(沖縄方言・島言葉・しまくとぅば)という、文化が沖縄には脈々と生きている。しーぶん・・・おまけという文化だ。
例えば、おばぁスナックに行く・・・やがて、おばぁと気心が通うと、「これ、**さんが持ってきたさぁ・・」と、頼んでもしない、つまみが仰山出てくる。もちろん、無料だ。
こんな場面に何度も出くわす。6月にはせいごうさんやミネさんは、巨大な冬瓜と泡盛人瓶持たされた・・・

この「しーぶん」精神が、この村民あげての祭りに僕は脈々と生きていると思っているのだ。

テーブルは民宿が確保してくれていて、前列の特等席だった。




空手・中学生の(たぶんこの人数が島の中学生のすべて)エイサーだ。学校は複式で、同じ敷地に、幼稚園・小学校・中学校だ。高校生になると島を離れる。



ステージからの客席の眺め。村民・観光客一体で、300人は超えているだろう・・・



すでに序盤から、のりのりのお二人・・・(ツブク観光の名を辱めないよう注意はした・・・)




やがて、大人のフラダンス・・・彼女たちはハワイまで行って習っている。最後は、ステージに上がって一緒に踊りましょう・・などとなるのだが・・言われなくてもあの3人は登ったに違いない・・

写真、せいごうさんと、ミッキーを探せなのだが・・・ど真ん中にいるわな~




フラも終わり、突然、R&Bに乗って、フェリーの梯子から3人が現れる・・・ドリームガールズである。




こうなると、3人・・・席に座っているはずがない・・・・ステージ下になだれ込み・・・・



やがて、ステージへ駆け上ったのだった・・・・わしゃ、この島で「プラウドメアリー」を聴くとは思わなかったぜ!



そして、「ミルクムナリ」の音楽に乗って、すもうダンサーも登場・・・なぜか男なので、3人はステージには駆け上らない・・・




祭りは最高潮になり、トリの出し物、大人たちのエイサーが始まる。見事に本物のエイサーだ。



もう、お分かりだと思う・・・・いくつかの聴かせる出し物のあとは・・島はお決まりの「カチャーシー」タイムに突入するのだ・・・



動画を撮りまくるミッキー・・・ミネさんとせいごうは、溶け込んでどこにいるやら・・・・
こうして、「感謝月間」3週目は終わったのだった・・・



まぁ・・このまま終わるはずがないのはわかっていた。ミネさんは、祭りでも開いている呑み屋を民宿ベーベーから聞き出し、やつらは向かったのだった・・・写真・・店の前のお別れの図。
せいごうさんとミッキーから聞いた後日談は最高だった。

ここは「おばぁスナック」ではない、居酒屋である。どこで調べたかミネさん・・島におばぁスナックがあるはずだと・・・ミネさん、居酒屋の店主に「おばぁスナック」の場所を教えろと、迫る。

ミネ「**って、おばぁスナックの場所どこ?」
店主「そんな店ありませんよ?」
ミネ「いやあるはずだ?」・・・ここは、しつこく迫る・・・

店主「ないいんだよなぁ・・・おばぁがいいなら、俺の母親呼びましょうか?」

こうして、座間味の夜は更けていったのだった・・・・



翌朝の朝飯・・・・

3日目は、いよいよ、米軍本土上陸である。

コメント (2)
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