行ってみようと思った前日に、県も・村も・飛び越えて「区」などという行政の末端に、飴と鞭の飴をばらまくよ~と、やってる政府。
この「飴」の受け入れを「区長」が表明。「ヘリパッド建設は反対し続けるが、出来てしまった2つのヘリパッドの補償はちょうだい」って、おかしな論理なのだが・・・
辺野古で、該当地区などと4つの、隣組のような集まりに「飴」をばらまく手法はここでも使われている。その飴、100人程度の該当地区に一千万を超えるってのが辺野古。
ヘリパッドの建設・・米軍基地の拡大は、こんな小さな行政区の問題ではないし、この国の国民なら、皆、かかわる問題ではないのか?
こうして、該当地域を矮小化し、札びらで頬をたたいての手法は、原発立地自治体ってやつでやっていたのと同じだ。これで、広大な大地や海を失った僕らではないのか?
沖縄県米軍北部訓練場のヘリパッド建設・・・・
1996年の北部訓練施設の不要部分の返還の条件に「6つのヘリパッド」の建設を政府が約束する。
当時は、普通のヘリとの認識だったが、ひたかくしにされた「オスプレイ」が顕在化して、村も県も、「話が違う!」と今に至る・・・
沖縄は真ん中は米軍基地が連続するので、北部の地域に行くには東海岸を通る1本の道か、西海岸を通る58号線しかない。
東村高江は、東海岸をずっと行けば、行きつくのだが、高速を使って名護の許田の終点まで行って、西から東へ抜ける道で行ったほうが速い。
北部は中央はやんばるの森、その広大なやんばるの森は、大宜味村・国頭村・東村があるのだが、その東西を結べる道路は2本しかないのだった。
僕らは写真の名護から続く331号線で東村に向かった。
名護は市街地を抜けると、畑・・・沖縄のパイナップルの大産地なのだ。
やがて「やんばるの森」・・・
東村のやや人口の多い場所を抜けて、やんばるの森の縁に、抗議のテント・建設場所の入り口はあるので、手前の人口の多い場所にあるこんな施設で、トイレ休憩・・・
抗議の場所は、トイレ・食事・水・・・と、自前で考えておかなければならないさ。
沖縄はこのような、手っ取り早く言えば「基地予算で作った施設です」ってのは多いさ。原発立地市町村で「原発の迷惑料で作りました」ってのとおんなじさ。
いよいよ、あと4・5キロってところに来た。沖縄に着いてホテルで読んだ新聞では、抗議の現場に行かせないために、とうとう観光バスも止められているって記事にあきれた。
いよいよ1キロあたり・・・
僕は、もういつも一緒に旅をしているような、旅の友のような、個人タクシーのSさんと行った。
Sさんは事前に調査で数日前に1人で来てみたらしく、足止めされ、行き先を問われ、1人だったので「ドライブ」と言ったら通してもらえず「いつまで待てばよいの?」と問うと「3時間かなぁ・・」と、ふざけた話だと、いやがらせだと、憤っていた。結局かれは、この日ゲート前まで行きつけなかったらしい・・・へたにあらがえば、何されるかわからない恐怖もあったという。
だから「津布工さん、行きつけないかもしれません、かなり危険な状態です」と言っていた。
やはり止められ「免許証を見せて」・・Sさん「なぜ?」・・警官、無言・・で免許証を要求する・・・
警官「どこへ行くんですか?」Sさん「お客さんを案内して辺戸岬(ずっと、なん十キロも先の本島最北端の観光スポット)に行きます」(止められたらこう言おうと話し合っていた)
警官「この先、人が集まってますが、くれぐれも停止しないように!」
こうして、第一関門通過・・・・タクシーで観光を装ったのが功を奏したな。
他のあきらかにレンタカーやら、現場に向かう個人の車など、4・5台が僕らの前に止まっているが、止められたままだ・・・・彼らは、いきつくのだろうか?
1度第一関門を通ることができた僕ら・・・タクシーで客が乗っているので、第二関門も少し止められたが、通過。
まだまだ、先は遠い・・・・・
写真先の、小さな人の塊は、徒歩で向かう人たちと、それを囲み、行かせない警察。
抗議現場・ゲート前に近づいた・・・・
通り過ぎて、新聞記者(沖縄タイムス・赤旗など確認)の車が止めてある最後尾に止めて、僕は歩いて戻りつつ、現場に行こうと決めた。800mはあるかな?駐車した場所から・・・
Sさんは、危険だ!と言うが、携帯も電波はOKだったので、「行ってみます。1・2時間抗議に加わって、事態を見てみます」と言って歩き出した。
ずっと、本土から動員された警察の車が続く・・・なにわ・愛知・警視庁・・エアコンをかけて、待機し交代勤務だ。
写真・・・あの土人発言でお騒がせの「大阪」の警察車両だ。
まさか、通り過ぎた僕が、舞い戻って目の届きずらい場所に車を止め、北から現場に向かうとは、想定外らしい・・・
米軍施設を、200人は超える本土の警察が守り、行き来する、資材を運ぶダンプは、雇われた警備会社の人たちが交通整理や、アクセスの連絡を無線で取り合っている。
小さなテント前では、小さな拡声器で、声を張り上げ「建設はやめろ!」と叫び続けている。
ひっきりなしに資材を運ぶダンプの通る時間と、ナンバーなど記録する人、ダンプがゲートに入る都度に、運転手に、思い思いのプラカードで建設反対を訴える人たち。
路肩に座り、抗議する人達5・6人を30人ほどの警察が威嚇し・取り囲む。あれが、暴力でないとすれば、暴力とは何だ?
写真の警察官の奥に、路肩で抗議する5・6人が居るのだ・・・
ダンプを記録するねーねぇと、話が出来た。切実な話も聞いて、名を名乗り、わずかな時間でも同じ中に入りたいと告げた。
住民150人程度の高江地区。
地区住民で反対運動をしているのは6世帯という。
6世帯で3人家族なら、18人。
わずか18人だろうか?
これを人口7万の我が館林で考えたら、12%・8400人が抗議の声を上げているのだ!その8400人がゲート前に並んだら、ダンプは通れない。
パトカーに先導され、4台のダンプが続き、最後尾もパトカー・・・この1クルーが15分置きに(腕時計で、僕は計測し続けてみた・・)、絶え間なく毎日続いているようだ。
ダンプが通るたびに、土ぼこりがものすごく舞い上がる・・・
途中で買ったおにぎり・水・・・・それらを、食べることも呑むことも忘れて、この場に居続けた・・・(彼ら・彼女たちは、どこで、どの時間で、食べ・飲んでいるのだろうか?)
ダンプが、建設現場に続く坂道を登るごとに、反対を訴える人たちが坂道に登り、運転手にプラカードを示す。
他に、手段などといったものが見当たるだろうか・・・・非暴力の現場で・・・・
現場を後にした・・・・連帯する組織の旗がたなびく中、車に戻った。
途中、警備する警備会社のお兄さんといくらか話をした。「トイレどうしてるの?」なんてさ。あっけらかんと、街で見かける若者達の気楽さと、人なつこさそのままに、気やすく話ができる不思議さがあった・・・普通の、おにぃが、仕事でそこにいた。
驚くべき光景が、帰りの道では、そこかしこに起こっている。
関門を通過できず、足止めされた人たちの何人かは、車を乗り捨て、徒歩で現場に向かっていた。
その1人1人に、2・3人の警官が付き、取り囲み、行かせまいとする。
女性は3人で取り囲まれ、セクハラまがいで、腕をつかまれ、抱き付かれ・・・・振りほどき進むが、押し戻される。
反対車線を進む、おじいも2人の警官に体を押し付けられ、阻まれる。
押し戻されながら、5歩6歩と前に行く・・・また押し戻される・・・
ゲート手前、数百メートルでは、息をのむこんな光景が続いていた。
明らかに、女性には激しいボディータッチでさ・・・・・
これが、(珍しく、尾ひれも背ひれもつけないで)、僕が、高江で見てきた一部始終だ。
緊張したでしょう。
凄まじい圧倒的な力・・
よく伝わってきたyo