館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2019梅雨明けの沖縄のはずだった怪しい4人旅その2・伊江島!

2019-07-01 04:54:50 | 旅は続く


23日9時半・・伊江島に上陸。民宿でしばし歓談し、予約してあったレンタカーの手続き・・・
嫌がらず運転手になるミネさんは偉いのだ!(雨を降らすけど・・・)




6月23日は沖縄は慰霊の日・・・学校は休みになり、強く戦争に向き合う日だ。
伊江島の慰霊祭は伊江島の戦火が終結した4月21日に行われるが、やはり参るひとは居る。

ここは、伊江島のある意味平和の礎にやってきた。

「沖縄戦で犠牲となった島民と軍人約3500人をまつった芳魂之塔がたてられている。
沖縄戦の中でも激戦地として知られる伊江島で戦死した守備軍将兵約2,000人と住民1,500人、計3,500人が合祀されています。
伊江島戦では、伊江島地区隊(井川正少佐指揮の下、第2歩兵第1大隊、独立機関銃中隊、速射砲中隊、野砲小隊)のほとんどが戦死した一方、地元住民も女子救護班、女子協力隊、青年義勇隊などを編成して戦闘に参加し、犠牲者を出しました。」と、伊江村のホームページにある。

伊江島に来たら、僕は必ずここに来る。





前回のミネさん・セイゴウでも訪ねたここにやってきた。せいごうさんは、歌をここを題材に作りたいらしい・・・
とうとう、井上ひさしのこれを題材にした劇が上映されるときで、タイムリーでもあった。
旅・・・現地・現場を歩くのは、思わぬ出会いもあって、同じ場所が、大変貌したりする。



駐車場から見るガジュマルは正直それほどの大きさを感じず、よくまぁ、ここで見つからなかったものだと思うのだが・・・・



見学していた僕らに話しかけてくれたお方は、何と!このガジュマルの立つ家の持ち主(手をかけ守っている)宮城さんであった。
宮城さんの家の敷地は駐車場より1段低くなっていて、そこから眺めるガジュマルは、見事な巨木であった。
彼の母親から聞いた話として、樹上で暮らした兵隊の食事の話、病気になった話、などなど、深い印象を受けるものだった。
何かが、宮城さんに僕らを引き合わせてくれたのかもしれないな・・・




りりこのために、いくつかの戦跡など回りつつ、伊江島に来たらここに登らねば・・と、やってきた。(俺は2度登ってるのでパス!)



登頂前の3人・・・



中腹の駐車場からの眺め・・・伊江島はコメ以外は何でもできると言われたほど、土が良く、豊かな島だった。その島は今も面積の35%は米軍基地として、居座り続けているのだ。
豊な、綺麗に使われている、農地が一望できる。



達成感漂う彼ら・・・・・



登って降りると、売店のかき氷が美味いのだ。




戦後、銃剣とブルドーザーで力ずくで奪われた沖縄の土地。その土地闘争に火をつけたのは伊江島の戦いだった。
その中心人物「阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)」さんの「わびあいの里ぬちどう宝の家(反戦平和資料館)」をじっくり見学した。



この当時戦った農民たちが作った「陳情規定」はいつ読んでも素晴らしい・・・

だが、伊江島・・・・・

ここの現在の館長は阿波根さんの養女である謝花悦子さんだ。その話は、結構堂々巡りするのだが、鋭い話も満載だった。

辺野古と高江は新基地反対で騒いでいるけれど、「ここはひと声も出ない。真謝・西崎の区長は反対してますが、村議会では議員10名のうち、革新はたった一人」。

 「この島は、90%以上が契約地主になったから、もう基地は容認。契約の金がなければ、子供を大学にもいかしきれない、ローンも払えない、生きることができないという状態になっている」「金さえあれば生きられるというような時代ですから」

 「(瀬長さんと)阿波根とは、一生涯、一心一体でした。何の相談もまず阿波根に声がかかり、阿波根も何でも瀬長さんに真っ先に相談していました」

などなど印象深い話だった。



納得のお言葉である。




次に、花好きのミネさんのために、雨の中・・こちらに向かった。村営のここは、つい最近まで無料だったのに、有料になっていた。
敷地も整備されたので、維持費に、やむなしかもな。



まぁ、見事で、100種類を超えて、こんなにあるんだって感じ?



しばし、ご堪能あれ!











続いて、僕らは行っているが、女房のためにいくつか回る。
集団自決のガマ・・・・




島の水源にして、晴れていれば海が化ける絶景ポイント・・・





そして、僕の行きたかった「ゴヘズ洞」を訪ねる。

2万年前と言えば、いわゆる旧石器・・そして800年前と言えば弥生・・・この悠久の長さの中、ここは人類が関わり続けた場所だ。そして、現代も関りは続いているわけか・・
ロマンだな!

洞は、僕らが吸い込まれそうな大きな口を、ぽっかりと開けていた。



米軍基地のゲートで写真。



土地闘争の拠点だった「団結道場」!




最後に、戦争時代沢山の命を救った、隠れ家「ニヤティヤ洞」・・・

中にある「子宝石」を持ち上げるとご利益があるとか・・・(俺にはもはや無用だぁ・・・)

美しい場所なのだ。

ってわけで、俺が一人で行った時の、晴れた日の伊江島・ニヤティヤ洞の写真を最後の1枚には載せるぜ!!!


コメント
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