飛行機はすいていた。隣が居ないというのは、結構楽だと知った・11時発なので、昼飯は機内。
3時前に那覇・・・深呼吸・・島の空気だぁ・・・
ゆいレールで空港から、おもろまち。
おもろまちは、建物も新しく、道も広く、まるで都心のような景観・・・それもそのはず、米軍基地の一部返還で、生まれ変わった場所。
免税店やら、巨大ショッピングモール、美術館・博物館と、再開発で大きな経済効果を生んだ場所だ。ここや、北谷の返還と再開発で「基地が無くても、基地がないほうが経済的に潤うんだ」と、県民に知らしめた象徴的な場所なのだ。
やってきたのは博物館・グスク(城)を模した建物だ。・・これが見たかった。
僕らの直接の祖先「現生人類」は、20万年前に1人のアフリカのイブから生まれた。やがて、4・5万年前にヨーロッパそして、アジアへとグレイトジャーニーが始まる・5万キロの旅だ。気候や風土の違う地域に生きる過程で、人種のような個性を作ってゆく。日本への到達は4万年から3万5000年のころだと、現在の考古学の成果は教える。最古の人骨は石灰岩の島、沖縄にあるのだ。
そしてその沖縄、琉球は、歴史年代区分が本土と明らかに違う。いわゆる旧石器時代の骨・・その時代に生きた人々と次に考古学的遺物から読み取れる文化段階の「貝塚時代(本土なら縄文)」は5000年の空白がある。そしてその時代は大まかにいえば平安の頃まで、ずっと続き、12.3世紀になって、突然(九州からの文明の大量の伝搬で?)鉄器と共に農耕や戦争を伴う村の形成が始まり、グスクの時代と言われる社会が始まるのだった。
文字が残る時代以前は考古学・・土の中からの生活痕やら遺物が歴史を紐解くキーなわけで、紀元前6600年ころから始まる貝塚の時代は、断続的に九州・奄美の人々が沖縄諸島に移り住み、南方や中国から渡ってきた人々と、混血を繰り返しながら、現代沖縄人の祖先になったのである。
海を渡り本土との交流が始まった縄文の頃が今回のテーマなのだ。
かなり、期待したが、本土の博物館や資料館から借りた土器や石器など遺物の現物はそれなりだったが、網羅的で、ある意味「沖縄の人に本土の縄文を伝える」って展示で、もう少し本土縄文と、沖縄の関わりに視点が当たった企画(先の人種的混血などを含む)を想像した僕には期待外れでがあった。
かの、佐原眞氏が、実際行った「編み方とそれでつく土器の文様」などの展示は写真でしか見たことが無かったので面白かった。
十日町出土の火焔土器現物・・・。
1度のっぺらぼうの土器を作り、そこに、飾りを付けてゆくって制作方法だったのには驚きだった。今回最大の収穫だったかも?
出口にはレプリカが置いてあり、触ってみてくださいだった。
火焔土器・・・なろほど、あの製法だと重い土器だったんだなぁ・・・
ヒスイもかなり重い石だと初めて知った。(今度糸魚川にヒスイを拾いに行くかな・・・)
博物館から5キロくらいかな・・・ホテルにチェックイン。このホテルは大浴場があるのがいい。気温28度・・驚くほど温かい島で汗をかいた。
7時過ぎに夜の街へ・・
今日はタンパラヤでぐだぐだ過ごすと決めていた。
セイボーは「なんだよ?今度は2月じゃなかったのかよ?」などと、相変わらずだった。うれしそうだったけど。
泡盛「美しき古里」が沁みた。
な・・・つまみ。
焼きそばにしようか、沖縄そばにしようか悩んだが(小さな悩みだ)そばにした。相変わらず美味い。
こうして、1日目は終わったのだった。