館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2016・うりずんの沖縄旅・2日目(3月24日)コザを訪ねる。

2016-04-02 06:01:57 | 旅は続く


基地と沖縄を考える時、浮かぶのは「コザ」!

そして、オキナワンロックを思うときは、やはりコザだ。

ものすごい衰退と聞き、数年前ゲート通りだけ立ち寄って歩いたが、10月に赤嶺の駅でこのフリーペーパー(冊子)を貰ってから、1度しっかりコザを歩いてみようと思っていた。



路線バスで行く沖縄・・・下調べをして、那覇バスターミナルから具志川線23系統に乗り込んだ。
タクシーなら30分弱だが、1時間を少し過ぎて、コザにやってきた。



コヌカのような雨が降っている・・・胡屋十字路から嘉手納基地第二ゲートに向かう「ゲート通り」だ。



衰退に歯止めをかけようと沖縄市が地域活性化のために建てた「コザミュージックタウン」・・・今のところは、成果は上がっていないらしい。

コザと言う地名は実は無い・・いつしか米兵が間違えて呼んだ似た地名がコザになった。沖縄市に字程度の狭いエリアがコザだ。



観光協会に行き、コザのパンフなど入手。

コザは音楽とエイサーの街だ(だった・・・)。

戦後には民謡界から嘉手 苅林(かでかる りんしょう)や登川 誠仁(のぼりかわ せいじん)をはじめとする優れた唄い手を輩出。ベトナム戦争時、コザのロックミュージシャンは戦地に向かうアメリカ軍兵士達を相手に毎晩パワフルなステージを繰り広げ、オキナワンロックの礎えを築き上げ「紫」や「コンディショングリーン」といった伝説のバンドも誕生した。名のあるミュージシャンをほかに並べれば、喜屋武マリー・喜納昌吉とチャンプルーズ・初代ネーネーズ・・・・新しいところでな、オレンジレンジか?

喜納とネーネーズもここでは商売にならず、今は那覇の国際通りに店を構えている。




確かに、胸が苦しくなるばかりのシャッター通りとなっている。

1964年の北爆以降、泥沼化してゆくベトナム戦争・・膨大な戦力はここ、沖縄からベトナムへ派兵されたのだ。その米軍の兵士の落とすマネーがここコザに墜ち、街が盛り、米軍の持ってきたJAZZやロックを貪欲に吸収した沖縄のミュージシャンたちは、音楽もヤンチャンプルーしながら、1級の音楽と音楽の街を作り上げたのかもしれない・・・それは、強姦や日米地位協定に守られ、罪がうやむやにされる各種犯罪と隣り合わせで、存在したのだったが・・・。





昼12時、パークアベニュー通りも、サンサン通りも、中の町通りも、人影は驚くほど無い。
キバナイペー(コガネノウゼン)の街路樹が、悲しいほど綺麗だった。



悲しいことに、観光協会でもらった、コザのパンフの説明は「でもありました」と、過去形で結ばれていた。
明日はベトナムに向かう・・・もう帰れないかもしれない・・最前線に向かう兵隊たちはベトナムの戦地手当すべてをここに落とし、一夜の享楽と酒・音楽に酔いしれ前線に向かったという。

72年本土復帰・75年ベトナム戦争終結・・・やがて、コザの繁栄は急激にしぼむのだ。



10軒に1軒くらいかな・・やってる店は。ここが発祥の地である「タコス」の店。



FM局は頑張っている感じ?



明るい店は、各種支援センターであった・・・・




嘉手納基地とコザ・・・・写真の名所目印を結んだエリアがコザだ。



沖縄市がコザに焦点を当てて開設している「ヒストリート」!ここは、本日のメインと言うほどの場所だった。
見どころ抜群、沖縄で、1度は訪れるべき場所だと思った。




戦後のコザの歩み・・・展示された1つ1つが、生々しく、じっくり見たら1時間だろうか?



そして、僕もTVでかすかに見た記憶のある「コザ暴動」。



全国にコザの名を広める事件が起こった。1970年12月20日の未明、米軍人の起こした人身交通事故がきっかけとなって起こった「コザ騒動」である。この騒動は沖縄の住民が米軍に挑んだ実力行使として戦後史に刻まれている。 コザ騒動は米軍統治下で日本の法律が及ばないところで起きた。しかし一件の人身交通事故だけで騒動が起きたわけでないのは言うまでもない。沖縄戦に続く、25年間の米軍支配によって、沖縄の住民の人権は、軍事政策優先でほとんど無視されてきた。 そのつもり積もった怒りがその事故をきっかけに爆発したのだ。



・・・・・・




こちらの別館は、そのコザの文化に軸足を置いた展示で、これまた、良かった。






すごいレコードが展示されてるぜ!





ところで泡盛蔵・・・南部沖縄では、結構まとまって蔵があるが、中部・北部沖縄では、大きな市に1つか2つ・・しかも、交通の便は悪い。
せっかく沖縄市なので、タクシーに乗り片道1000円強の「新里酒造」に立ち寄った。
見学を事前に申し込んでないので、直売店で、蔵元限定の泡盛など。ネーネーを冷やかしながら購入した。

こうして、また、バスに乗って那覇に帰ったのだった・・・コザは思いで深い場所になった。
通りすがりでなく、こうして歩いてみるのは大事だな。



しばし、ホテルで休息や、部屋呑みなどして、夜の那覇。小桜に挨拶。



つい先日、無念にも亡くなってしまった志賀氏も通った小桜。話は入院まで伝わっていたが、亡くなった話をして、しばし悲しみを共有した。




旨い酒・旨いつまみを食べたが、どうも、コザのコヌカ雨で体が冷え、体調が思わしくなく、無理せず、明日は楽しく飲みたいと、本日1軒のみで、おとなしくホテルに帰った・・・

こうして2日目の沖縄は終わったのだった・・・・

長いなぁ・・・・すまん!
コメント (2)
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