12時過ぎに出発なので・・・まずは、しゅうまい弁当。今のところ、空弁で一押し。
2時30分過ぎ・・・女満別に到着・・・
北見はどこまでも玉ねぎなのだ・・・
そして、大豆・ピート・ジャガイモ・小麦・大麦・・・だわさ。
観光協会のパンフから・・・「オホーツクの森」
正直・・はずれ。
北海道の森・・山を散策なら・・・明日から、毎日お山だんべ?
いたるところ、タラの芽・コゴミ・ワラビ・・・北海道の人は山菜食わないのかぁ?
ホテルへチェックインして、本日のメイン・・「自由民権運動・秩父事件」・・・首謀者の1人「井上伝蔵」終焉の地を訪ねる・・開始。
1884年・自由民権思想に接していた農民達が、富国強兵の大義名分の中、増税を繰り返す政府に対し、蜂起。
秩父困民党の名は、知っている方も多いだろう・・・首謀者達7名は死刑判決を受けるが、ナンバー3の会計長であった井上伝蔵は逃亡・・・2年、秩父に潜伏の後、札幌を経て、野付牛(今の北見中心地)に移り住み、名を変え、大正7年、65歳で他界する。
この写真のビルが終焉の家だったらしい・・・北見市北2条東1丁目7番地だ。
さらに我々は東へ進む・・・
東5丁目にやってきた・・・
北見は、屯田兵の町でもあった・・・
観光協会の紹介はこのようである。
「明治30(1897)年、土佐(高知)で組織された北光社移民団が28日にも及ぶ長い航海で網走に上陸し、さらに、3日間の日数を重ねて着いたのが野付牛(現北見市)と呼ばれるこの土地でした。また、北光社とほぼ同時期に入植したのが北の防備と開拓を目的にした屯田兵でした。
この両者の強じんな開拓魂が、想像を絶する困難にも負けず北の大地を切り開き、ここに北見の歴史が始まったのです。」・・・北光社は、あの坂本龍馬の甥である坂本直寛によって組織化された移民団であり、もう一人のリーダー的存在であった前田駒次は、この地に水稲の耕作をした農業の父といわれ野付牛北光社農場管理者でもあった。前田は初代村長だ。
伝蔵の足跡が残る場所だが、市民にはなじみが無いようである・・・
葬儀が住職の特別の計らいで行われた、寺の跡だ。
寺は、今は移転し、立派な寺になっているらしい・・・(海坊主談)
屯田含む、官製の開拓を色濃く残す北海道では、政府に弓引いた民権運動は、発展する町にふさわしくないと、記録も残さず、意識的に触れない・・・そんな現実であったようだ。
こうして、初日の北海道は夜の帳に入っていったのだった・・・
夜は、海坊主チョイスの宴が待っていた・・・
モデルは海坊主とイケちゃん。
久々の再会・・・・・
乾杯!
やつはいつも、餃子!
近況を確かめ、がんばっている姿を確かめる・・・
さすが、北海道の魚介は旨い。
海坊主の友達で、フェースブックで、見かける友人も、加わって、交友が増える。
「鴨ちゃん」!
実直ないい男であった・・・
これから4日間お世話になる、海坊主に感謝だ!
仕事は薄いらしいが、それでも、いよいよ佳境を迎える彼だった・・・・
かわいい、奥様にも会えて、北海道の初日は終わったのだった・・・・
あすから、いよいよ、お山でお魚なのだっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!