館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

沖縄2014・梅雨明け旅その1・・21世紀日本の偉大な考古学的発見をこの目で見る。

2014-07-06 06:36:58 | 旅は続く
さて、沖縄旅のおよその整理が終わった。細かい紙のファイリングは本日予定。
あの4月の旅では、7割はホテルで寝ていた・・そして、帰ってから病院・・・あわただしい治療の日々だった。
回復!リベンジの旅が始まった!実に快調、4月を取り戻すべく、濃厚な旅が出来た。
そのせいか、記事も多い、ぞなもし・・・

そして、マニアックなのは、ボクの属性でしかたないことなのだった。

どれも長く・・・皆さんの興味を引くとも思えないのだが、少しでも沖縄に興味を持たれたら、こんな沖縄もあるのかと、感じていただければ幸いだ。

第一弾は、のっけから、呆れるほどマニアックだと思うのだった・・・・




グスクを模したといわれるこんな建物。



高倉の建物や、古民家などが庭に並び・・貝化石床など・・・持って帰りたいが重過ぎ・・



僕は、2万年前の沖縄に触れるべく、旅の第一目的にやってきた。



沖縄は石灰質なので、土壌はアルカリが多い。だからいわゆる旧石器の人骨など完全な姿で発掘されている。
ところが、骨は出るが「生活痕」いわゆる石器とかが出ない。人は居たが、生活は?発掘人骨は、この沖縄で暮らしていたのか?流れ着いて、死んでしまったのか?はるか2万年の「失われた環・・ミッシングリング」が存在した。ここに、日本人のルーツにつながる鎖が、また切れていたといってよい状況だった。

これが、今年の2月に一変する!

サキタリ洞遺跡の発掘資料の整理で、「生活痕」・・・が見つかった。何と!貝器であった。ついに、ミッシングリングが見つかったのだった。

この成果は、旧石器時代と縄文時代との間の約1万年にもおよぶ人類史上の空白を埋めてゆく見事な、今注目されていることなのである。

その「サキタリ洞遺跡発掘調査速報展」が3月にあったのだが、来れなかった。その時配られた資料がほしくて学芸員を捕まえたのだった。

学芸員ベーベーは、資料は残っていないが、博物館の1部をコピーさせてくれた。




レプリカながら、展示のブツも改めて見る。



こちらもレプリカ(本物は東京が持って行ってしまっているのさ)ながら、18000万年前の有名な「港川人」だ。



1日置いて、そのサキタリ洞の現場を見に行った。



民間の経営する「ガンガラの谷」にそれはあって、ガイドツアーを申し込まないと見れないのであった。




まだ、発掘途中の生々しい現場。現地に立つって、自分の中に入るリアリティーが全く違うのだった。




いいねぇ・・



太古の時代に崩落した鍾乳洞を15人ばかりの(人数制限があって、30分置き?程度に、ツアーが入ってゆくのだった。
やはり、見学者は増えたらしい・・・民間、大儲けでなかろうか?(と、下世話なわたし・・・)
右端がガイドベーベー。



まず、巨竹(キョチク・まじこの竹の名前ですがな)に驚く・・・



きのこなども・・・左は樹上で高すぎて同定できない。右は子のう菌類だろうと思われるが、名前は不明。亜熱帯のきのこは勉強が不足しているのだった・・・



洞の主のガジュマルだ。



展望台からの眺め・・遠方の橋の右の林に「 港川人」の発掘現場・ 港川フィッシャーがある。ここから1キロ程度の距離、この洞との関連は考えて良いのだろう。
今度は(11月かな?)そこだな!!!!!港川フィッシャーに行く!!!





ツアーの最後は「武芸洞遺跡」で終わる。
縄文前期(8000年前?)から縄文晩期(3000年)あたりまでの遺跡調査が進んでいるが、人骨や、石器やら、3000年前の石棺墓の発掘と、目覚ましい成果が上がっているのだった。
写真1枚目は、洞の近景。

2枚目は、石棺墓。

3枚目は、石棺墓の上で蓋の役割をしていた、石。


基地予算が入って、多くは、作らなくてよい道路などに回る・・・そんなお金があったら、こうした遺跡の発掘に回せよ!
と、いつも思うのだった。
見事な、自然や遺物の残る、美しい島が沖縄なのだ。
コメント (2)
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