これは2月2日の話・・・・ちと、古いが、先生の話をまとめきれないでいた・・・
久々に末娘に会う。
新宿の東南口で待ち合わせたんだけど、僕らを見つけ、とびはねるようにてをふって、僕らのところにやってきた。
そのあと、まぁ、あんなこと・こんなこと、堰を切るように話し始めただよ(女房に)。
んで、昼飯を、がっつりたべて、彼女は買い物すると・・バイバイした。
僕らは、池袋にでて、石神井公園駅に向かった。
次のイベントまで少し時間が有ったので、駅の傍でコーヒーをのんだ。
あれほど昼飯食ったのに、この期に及んで「アップルパイ」など食える、おなごってやつは、おかしい・・・
と、こんなところに、やってきた。
東京は、小さな行政区まで、りっぱな建物が建っている。
先生の指導する(一緒に学んでる?)作詞・作曲の教室の発表会だった。
成果は、立派な楽譜になっていた。
ここも、「自分の歌は、自分の言葉で作ってみる」の、実践の場であった。
主婦であったり、サラリーマンであったり、市井の人の、なんでもない人の、実践だ。
その曲は、先生の意図する「日本音階」「母国のDNAに残っている音」で作ってみるなのだった。
震災・福島体験者が、言葉を編む事の試みの披露・・・・
印象に残る歌もあって、音楽が専門家でなくても出来るんだなぁ・・と、思ったね。
さて、先生・・・ワレラにも「歌作り」をせい!と、おっしゃる。
まるで、笠木氏のようにだ・・・・
大蛇二匹に・・・にらまれた、蛙?
音楽のたびは続くのだった・・・・