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館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

笠木透という巨木・・・・私的雑感。

2014-02-09 07:20:13 | 音楽を思う
雪の中では、何も出来ず、与太記事なら書けると・・・・





この人のことを書いてみようと思って、写真など仕込んだが・・・・まったく、ペンが(指だけど・・)走らず、幾星霜・・・

であった。

笠木透という、原生林に立つ、巨木のような人の話だ。



笠木 透
1937 年、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる。岐阜大学卒業後、小学校教員、出版社社員などを経て、現在は作詞・作曲・編集・陶芸・染色・マラソン・自転車・山登り・素潜りなど、何でもこなすマルチ人間。日本のフォークソングの歴史の1ページ『中津川フォークジャンボリー』を企画・制作・主催。その後『フィールド・フォーク』を提唱。フォーク・グループ「我夢土下座」~「フォークス」を経て、「F.F.C.Union」を創設。同時に創作集団としての「雑花塾」を結成。フォークソングは弱者のうたであり、無名人が書く大人の生活綴り方のようなものだと、メディアにのらず、全国の町や村を歌って歩いている。その親しみやすいうたの数々は、平和・自然・人権・暮らし・遊びなどをテーマに、創作曲は900曲をこえ、人から人へと伝えられ、口ずさみながら、詠み人知らずのうたとして全国に広がっている。

近年、憲法9条を守る運動に重きをおき、2005年夏より『憲法フォークジャンボリー』を東京・上野水上音楽堂で連続開催。その流れが『地方版憲法ジャンボリー』や『ピース・ナイン・コンサート』として全国に波及している。音楽を通じて、日本国憲法第9条を守り生かすことを目的とする、『音楽・9条の会』『蓮根の会』の呼びかけ人の一人。最近は、CD と小冊子をセットにした『CD 文庫』を企画制作し、2010年にそのvol.1 を発売以降、シリーズのvol.5 として『私のこどもたちへ~東日本大震災』が震災1周年にあたる今年、3月11日に発売された。山口・上関原発反対運動にも古くから関わり、祝島でも数回コンサートを開催している。著書・CD・歌集・写真集など、多数の出版物がある。


などと、ネットを検索したら、書かれていた。



確かに、多数のCDだわな・・・・

まず、聞いてみようか?我が大地の歌!

名曲だねぇ・私に人生といえるものがあるなら!

いいね!海に向かって・・

みな、彼の初期の名曲だ。

これを超えるのが難しいと思えるほどの、名曲だ。
この、広く深く、包摂するやや叙情的フォークが、聴く人の様々な思いに訴える(例えば・・「愛していたのに」の対象が、聴く人によっては、異性への愛であったり、巣立つ子供であったり、友や家族であっても、曲が成り立ち、堪えうる詩の力がある)。

彼のコンサートといえば、客がどこかで、この名曲の1つくらいは聞きたいと思っているのを知っているから、いくつかは彼も歌うが、このような初期の名曲を、踏み越え・ものともせず、彼は歌を作り続けている。まるで、生き急ぐ?ように。

近年の彼の曲は、初期の叙情ではなく、今の時代に挑み続けるかのような曲が多い。

危うく・きな臭さくなる時代に・ますます人間を蹂躙する時代に、必死にフォークで挑もうとする恐ろしいほどの気迫を感じている。
そのあまりに、如実的な歌に、時に近づきがたさを感じる事もある・・・



このLPで(写真はCDだけど・・)、保存可能な姿の、彼の音楽にめぐり合ったのだった・・・

そして、ここにあるフォークに、感銘を受け、以降の僕の音楽の1つの核になるのだった。

フォークは民衆が作り・育て、弱いもの・無名でいつも権力に追いやられている人々の側にあると。
無名な民衆が、生まれた歌を歌いついで、フォークになると。

権力の横暴に・その権力に組する時代の流れに「謀反」する音楽だとね。



彼は又、音楽だけでは伝えきれないらしく、たくさんの本も出している。
みな、腑に落ちる本だ。




これが、最初の本かな?
彼の青春は、60年安保・・・今の彼の音楽を作っている「哲学」が彼の中に生まれた自叙伝。
もう、絶版だろうが、彼と彼の音楽を知りたい人は、つてを頼ってでも入手し、読むことを勧める。
(ググってみたら、アマゾンで古本が買える)



若く・悩み多き姿の彼だ。



その本を開くと、僕が写っていたりする・・・若く、今の姿からは想像もできない、まだ、未来が扉を開けて僕を待っていた頃だ。

「これ、僕なんですが・・」
「おう!ほんとうだな」
「また、どうして選ばれたんでしょう?」
「写真は、写真家の田辺順一さんがあちこちのコンサートで撮って、彼が選んだ。きっと良い被写体だったんだろう」
などと、会話した記憶がある。

私的雑感は、どうも与太の方向に進む・・・まあ、これが僕の属性なのだが・・・



そろそろこの与太記事も最後に・・・・・・


さて、その彼・・・

この頃は「歌った以上、そのように生きろ!」

と言う。

まったくおっしゃるとおりなのだが、意外にそれは難しいのだ。

しかしフォーク・・・大それた、主張など大声を上げて歌うのだから「歌った以上そのように生きる」ことは実に大切で、そうでなければ、うすっぺらになる。

実に厄介な話だ。ロストなどまじめなので、そのように生きられそうな歌を、歌う事になる・・・


そればかりか・・・「自分たちで歌も作れ・・・・」などといい始めた。(いや、実際はずっと前から、全国のあちらこちらでそのように言い続け、実践もしていた彼なのだが・・・)

いや、やっかいなことだなぁ・・・と、思っている。

面と向かって、厄介なことを話してくれる人は、信用が置けるか・・・・・・

厄介な事が多いが、僕は、彼の音楽の傍にいて、彼の歌を歌いついで行きたいと思っている。彼の歌を、そのいくつかが、ロストの琴線にふれ「歌いたいなぁ」と沸き立った歌を、その歌の心を共有したいと思う人たちや、「お前たちの間に、僕らはこの歌の思いで挑む」と、闘志沸く人たちの前で、歌いたいと思っている。


しかしまぁ・・・与太話が、長くなっちまったなぁ・・・・

END
コメント (10)
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