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田中正造さんが、生まれ、育ち、20世紀最大の公害に、命を懸けた土地が、僕の生まれた町に隣接し、僕の町とて、かれの足跡だらけではある・・・
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1970年代以降、住民の中に、正造への明確な認識が育ち、行政も動かされることになる。
だから、「田中正造うんぬん・・」と、碑なども建てられ、ゆかりの地は、少しずつ整備され、目に付くようになった。
ここも、気になっていた・・が、どうせ、碑とお堂や祠か??
などと思っていたが、いや、驚きだった。
公民館として使われていた、正造の隠居所は、しっかりした「資料館」になって、ボランティアの人たちが、熱心に活動していたのだった。ここは、栃木の佐野市だ。
写真・資料館外観。
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写真・資料館内部。
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裏には、正造が地域にために、診療所として貸していた(開放していた?)母屋がある。
資料館も母屋も、当時の部材など使って、整備されたらしい・・・
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当時から残るものは、この「さるすべり」の木らしい・・・
今、21世紀最大の公害・・原発の爆発が撒き散らした放射能で、汚染された日本。
収束など、姿も見えず・放射能は垂れ流しの状態だ。
命の重さが、何より勝ると、富国強兵・殖産興業と、国民の命を顧みなかった政府や企業に、猛烈な戦いを挑んだ正造と、その回りの百姓達。
同じだ。
全く同じ状況だ。緊張を利用して軍備を強化して、やがて9条を変えようとする政府。
経済優先で、輸出企業(大企業を)の利益のみ考えた経済政策が、住民の・国民の命を蹂躙している21世紀の福島原発だ。
どう、戦いを挑むか・・・正造から学ぶことは多いのだった。