館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ジミー・マーチン  僕の育った音楽Mの仲間達その17。

2011-07-23 05:21:58 | 僕の育った音楽
昨日日記

1・近場の日帰り温泉初体験。いや・・・坐骨神経・・でん部に鈍痛のこの頃・・なので。

2・風呂、休憩のスペース・食堂・マッサージと、かなり良かった。はまるかも・・

3・エアコンのいらない1日。気温30度くらいなら、エアコン無しで大丈夫なんだ・・と、実感。しかし、T市だからなぁ・・・

4・近所のしっかりした焼肉店が潰れた!大腸菌にセシウムが追い討ちをかけたか?


さて、土曜は「音楽」だ!

今日は、どマイナー・・・・いや・この界隈ではメジャーなんだぞ!






1949年、マック・ワイズマンに代わってブルー・グラス・ボーイズに入団、以降約5年間リード・シンガーとギターとして大活躍します。
1954年にブルー・グラス・ボーイズを退団したジミーは、オズボーン兄弟と力を合わせてバンドを結成し、数曲の録音を残す。
1956年には念願叶っていよいよ本格的に自らのバンドを結成。

まあ、この界隈の王道を歩んで、ブルーグラスの世界では「ミスター・グッドゥン・カントリー」とか、「キング・オブ・ブルーグラス」と呼ばれて、強烈な個性で人気抜群だったのだ。

ギンギラのコスチューム・オーバー(過ぎる)アクション・実に田舎風、泥臭いボーカルと、ショウとしての、見事にライブバンドとしての、ブルーグラスを作ったんじゃないかな?


ギターもね、タイミングよく入るリード・ギターや、フレーズが良いよ。

まあ、何と言っても、あくの強いボーカルが僕には魅力的だったけどね。


古きよき、ブルーグラスの、忘れられないシーンであります。

コメント (6)
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