桜の花の満開の日曜日娘夫婦と、大人ばかり三人で鶴舞公園へ花見に行った。
此処は何年振りかであるが、花も噴水も奥行きの広さも以前のままで、懐かしい。
早々に敷いてくれたビニールシートに座って木の芽田楽や、こんにゃくおでんにビールを少々飲んだりして、たこ焼きや、とうもろこしも花見らしく買ったりした。
上を眺めると、枝にたわわな満開の桜はあたりに甘い香りを惜しみなく漂わせている。花の下にはシートが隙間なく敷かれていて、現役の頃新入社員に席とりをさせて、営業全員で夜桜見物をしたことを思い出した。そぞろ歩きを始めると チューリップも赤の円陣、黄色の円陣と陽に輝いてゆれている。
池の畔では、写真を撮ろうと三脚を立てて白鴫、青鴫、鴛鴦と根比べをしている人がいる。黒い鯉に緋鯉も混じってむらがり、僅かに散ったはなびらをつついている。
子供の小さい時は今のようにカートなど無く、御器所へ出るほど歩かなかったので、擬宝珠をつけた橋の欄干があるのを始めて知った。それは今は亡き(百歳位の)叔父が、動物園で撮ったと言っていたスターもどきの写真の背景と同じなのに気づいた。
この鶴舞公園は戦前は動物園であったことを最近になって知った。
花をバックに一輪車に乗って投げられた刃物を受けたり、可愛い人形を歌に合わせてあやつったりなどの大道芸もあちこちでやっていた。
大道芸の後方で先日整形外科で並んで腰痛の電機治療を受けていた句友のOさんに出会った。
ひょんな所でよく逢うわねーと挨拶がわりに掌をぱちんと叩きあって別れたが彼なら八十六歳くらいだから、動物園のことを聞いてみれば良かった。知っておられたかも。 俳句部はすでに卒業されている。
私達は、ゴスペルのライブの人だかりに腰をおろして聴きほれたり、チリかペルーか民族衣装のフォルクローレをしばらく聴き三時頃帰る時地下鉄の通路を公園へ行く人が引きもきらないので夜桜見物はさぞかしの人であろうと話し合った。
俳句 花の下過不足なしの私なり
ゴスペルの声澄むライブ春惜しむ
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