夫を先にあの世へ送った者同士が寄ると必ず話題になることは夫の最後に「ありがとうと言ってもらった?」と言う会話である。そのような言葉を貰ったと 喜ぶ人は、看取りの期間があった人達で、突然逝かれた場合には、有ったのか、無かったのかはっきりとした記憶はない。
しかし具体的なシーンは無かったとしても、それは夫婦のみが知る折々の態度や会話の中で確信に満ちた記憶として残っており、夫と妻の最後の「挨拶」である。
私の場合、夫は「こんな俺に一生ついて来てくれて感謝しとるよ」「何言ってるの」「あちこち連れてってくれてなあ、ありがとうな」と言ってくれたことがある。だが私が夫を連れて行ったことは、一度も無い。
「どこへ」「お伊勢さんや方々へ」と、とっさに夫との伊勢旅行は三回きりで皮肉を言われているのかと思った。
最初はまだ子供が小さい頃、二見が浦で馬車に乗ったり裾をたくしあげて海辺で水に浸かったりして遊んだ記憶がある。
二度目は私が会社に勤務していた頃、営業成績の報奨として初詣切符をもらったので、これを利用し二人で出かけた。
このとき、買ったサザエの入ったケースを肩にかけ、電車を待つ間三種の神器の話をしてくれた夫の横顔が今でも記憶に残っている。
亡くなる前の年に、お隣さん夫婦と観光ホテルに一泊で行った。おかげ横丁を歩いている写真とか、自称セミプロの夫が、からおけのマイクを握って唄っている写真とかがあるからそれが嬉しかったのか。
正月に恒例の家族の新年会をしたとき、待ちくたびれて独りお酒を飲んだ夫は、主の席につくことをせず、やぐら炬燵から出ようともしなかった。
京都の大学へ帰る孫を送って一晩泊まりで出かける時「本当はおぢいちゃんも行きたいけど今度にするわ」と言った夫。夫を置いて 一日京都で遊んで帰った私に「俺は、もうお前が居らんと駄目だわ」と言った夫。
強い、きつい、どなると思っていた彼のお別れサインが、こんなに沢山あったのに、気付いてやれなかったなあ、と今にして思う。
新婚旅行の最初の挨拶がふるっていた。「こうして夫婦になったからには、お互い今迄とは一線を画して、一生懸命やっていく覚悟をして欲しい。それが出来なければ今ここで帰ってくれ」と引導を渡されたのであった。「ふつつか者ですがよろしく」と私は言わなかった覚えである。
俳句 ○ 白鷺の沢とび立ちぬ夕間暮れ
○ 秋晴れに歩き通して足湯まで