おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

年 金 者 の 日 帰 り 旅 行

2012-10-28 10:17:39 | Weblog

 久しぶりで、名鉄バスセンター行きのバスに乗った。六時の始発で乗客は私一人である。
 栄などに通勤する人が次第に乗ってきた。畑ばかりであった郊外にはここ数年で家が建て込んで、それをバスの高みから眺めて行く緊張の一時間であった。  集合場所の終点に着くと同行の妹はもう来ていた。
 A銀行企画の[鴨(何でこの字か聞きそびれた)川畔での京料理と平家ゆかりの古寺巡り」に参加したのである。バスは二台であった。
 旅の醍醐味は料理が美味しくてこそであるが、「鶴清」の懐石料理は良かった。川床で鱧が食べたかったが、今はもう秋でそれは望めない。ワインかウーロン茶のどちらかを指定して鯛の刺身はこりこりと私の歯には乗らないくらい新しく、特に海老しんじょうが美味しい薄味の京料理の数々であった。
 加茂川にそって二条三条と走り、大和大路の「六波羅蜜寺」へ着いた。空也の寺で、源平両氏の中心史跡、西国十七番札所とのことで、寺の歴史を聞いてから重要文化財の像の数々を見てまわった。平の清盛は先入観と違って優しい顔の坐像であった。空也の口からは六体の阿弥陀仏が吹いて出ていた。
像の何体かには、目に水晶が入っていた。朱印帖に判を押してもらっている人が居て、ふっと母がそうしていた姿を思い出した。
 次に行ったのは大原の寂光院である。妹が歩くのは苦手と言うのでバスに残る筈だったのでうつらうつら眠っていて、はっと目を覚ますと、妹もろとも誰も居なくて私一人きりなので、これは大変と一キロ程を追いかけたら途中でギブアップして帰って来る妹に出会った。
 坂道を歩いて行き最後は石段を上って寂光院に着いた。先年焼失したので、再建されたご本尊は新しく美しい。やっと追いついたので事前にあったであろう庭園や燈籠や池のみぎわの桜の説明は聞けなかったが、狭い本堂に座って高倉天皇の皇后、建礼門院徳子尼の悲しい話を聞いた。
 門前の土産物屋で[すぐき]と[芝漬]を六個買って秋日和のなかを大原の里の良く出来た野菜畑を眺めながら歩いた。バスは琵琶湖畔をかすめて走り行程表にある土産物店の「井筒八橋」へ寄り予定通り十九時前に名古屋に着いた。おりから発車するバスに「又ね」と飛び乗って妹と別れてきてしまったが、車中よくおしゃべりもしたし、楽しい日帰り旅行であった。

   俳句   稲刈機穂を巻き込んで進み行く

            山城を攻むるがごとき稲雀

 

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 展 覧 会

2012-10-18 05:22:19 | Weblog

 秋、展覧会が盛んである。
誰かと一緒に行こうとОさんにもらった入場券を持ち歩いていたが、終わりの期日が近づいたので、近くの名都美術館へ自転車で行った。
 封筒から一枚出すところを見た受付の女性が「やがて始まる後期にそちらの券が使えますよ」と教えてくれた。
 展示してあるのは「麗しき女性の美」のタイトルで、上村松園、鏑木清方、伊東深水と往年の美人画家のものである。
 此処は毎年此の人達のシリーズがあり、今回は、上村松園、「人生の花」「人形吉野大夫」「舞い支度」その他、鏑木清方は「春宵」「初夏の化粧」「白雨」その他、伊東深水「指」「湯気」「慶日」その他などで、すべて着物の女性がものの見事に描かれていて、私ごときはすぐ、「よくぞ、日本に生まれけり」と感嘆してしまう。
 品の良さ落ち着いた物腰、秘められた情念、こちらも落ち着いた気分で見て廻った。
 シャガール展も終わりがけに栄で人と遭って、お茶をして、いい加減雑談をしてから松阪屋の美術館へ観にいった。
 誘う人、誘う人がシャガールは関心が無い(私はそこまで行かない)とのことであったが、岐阜県美術館も同時にやっているので、どうしたことかと思っていたが、こちらはタピストリー作品(織物)をメインに、シャガールの後押しもあって制作されたと云う版画とのコラボレーションであった。
 イヴエット・コキールという女性作家が、タピストリーとして制作した過程が説明してあり、細部の色彩感覚が遜色のないシャガールのオリジナルで、そのサイズの大きさなど随分な時間と労力を費やしたであろうと思う目新しい感覚の展示内容であった。
 地下でたいこやきの「御座候」を買って久々にすっきりした気分で帰宅すると、ポストに句友からの「にっしん文化祭」への招待状が入っていた。
 そう言う私も文化の日辺りの図書館祭りに展示する短冊の句を何度も何度も練習をして書き上げ提出をしたところである。

      俳句    鈴虫の鈴振りやまぬ夕厨 
             敬老の先ずは一服栗きんとん
              三日月の赤きに雨戸閉てかねつ

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十  月

2012-10-07 10:07:09 | Weblog

 異常気象で暑かった此の夏も、やっと大気が澄んで空が高く感じられるようになった。
 カレンダーに月内の予定を、打ち込むと気が重くなるのはいつもの月と同じである。
 これを楽しみに変えていくには、先ずは異端児めいていささかの抵抗を試みる。
 台風に備えて二階のベランダの物を動かした帰りに本箱に横になっていた「水滴」目取真俊の本を手にした。
 カバーの背に私の字でマジックインクで、タイトルが標示されているのに、全く記憶にない本で初めて読む内容であった。
 「水滴」「風音」「オキナワン・ブック・レビュウ」の三点が収録されていて、「水滴」は芥川賞受賞作である。
 沖縄を舞台に過去と現在が交錯する奇想天外な物語であるが、三作とも沖縄の歴史と尊厳に矜持を正して書き上げている。
 このような沖縄を現在のままにして置いて良いのかと訴える作者の先見性は拾年を経て更に今日的な問題となり、普天間基地しかりオスプレイにおいてをや、と野田政権に向って涙する沖縄県民が見えるような気がする。
 このままにすれば又拾年が経つのであろう。 
 今日は気分転換に娘と三越の北海道展に行った。試食をしながら持参した保冷袋に珍しい物、美味しそうな物を仕込んできた。いくらや、雲丹ものった蟹寿司の美味しかったことは言うまでも無い。
 もう十月も六日にもなる。講師を招いて立ち上げた「にぎわい句座」が半年になり、定着して来た。会則を提出して、場所取りのカードも送られてきた。今月はもう二日に終わったが、名前のように、にぎわっている。私がやめた後も長く続いて行って欲しいという願いも、今しばらくの研鑽と緊張が必要である。
 月水金と午前中練習をしているゲートボールは十五日、地区大会である。体育の日はリクレーション大会であるが私は出ない。
 十四日の「無限図句会」には会計の私は後期半年分の会費と忘年会の会費を集めなければならない。文化の日に図書館に展示をする短冊を提出してそれの設営は幾日だったかなあ。忘れた。その日の高得点者をそれようのブログに載せる用件もある。 
 十八日はエッセー教室で、その宿題が「十月」なのである。それを書こうとぺンを持ったのであるが、このようなだらだら書になってしまった。一つのことに絞って書くのは、おしゃべりに取っては大変難しい。 
 かくかく然然で二十五日は妹と京都へ小旅行をする。それを以って打ち上げとしようか。  

  俳句  初嵐川面の波を逆撫です  
       (九月三十日中日新聞の中日俳壇)に載った
         
         かたらひのあるや飛び発つ稲雀      

コメント (2)
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