日進市には長女が、六年生の時に移ってきた。まだ市制はしかれてなくて日進町であった。
商売を倒産して、本家から勘当されていたのに、良い格好しの夫と、現状認識の甘い楽天家の私とで良くも一生来れたものである。
長女が高校三年の時である。進学希望を言い出されると「男の子を大学にやらない訳には行かないから、貴女は行かなくていい」と理不尽なことを言ったものである。ところが、長女は働きながら夜学の短大へ進学し学生寮へ入ってしまった。
翌年弟が東京へ行くと夫婦二人きりになってしまい、日曜日などに、おはぎを作って持って行ったりすると娘はゼミの最中だったりして、「ここにいる子達は、みんな地方から出てきて苦学してる人達だから、でれでれと来ないで」と言われてしまった。
それでも、娘が卒業式に答辞を読むと言うので出かけようとした朝、ちょっとしたことでつむじを曲げた夫が行かない、送ってもやらない、と言い出しバスと電車で駆けつけた私の写真は、紋付袴で晴れ晴れしい顔の娘とならんで涙顔である。
バイト先からも引きとめられたが、県の職員として就職しそこからお嫁に行ったので家に居たのは高校生までである。
娘も息子も立派な結婚式を挙げたが親顔をして、列席してやれただけで、二家族とも、近くに住んでいる。
夫は孫が出来ると今迄苦労させたからと、保育園の迎えなど本当に良く面倒をみた。娘の家の孫二人にかかっては、主人の呼び名は、かなり大きく成るまで「ぢいや」であった。
俳句 ○ 居残りの補習の窓に虎落笛
○ 学食の窓際に寄り日脚伸ぶ