おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

縁(えにしその2)

2008-01-30 19:03:25 | Weblog

 日進市には長女が、六年生の時に移ってきた。まだ市制はしかれてなくて日進町であった。

 商売を倒産して、本家から勘当されていたのに、良い格好しの夫と、現状認識の甘い楽天家の私とで良くも一生来れたものである。

 長女が高校三年の時である。進学希望を言い出されると「男の子を大学にやらない訳には行かないから、貴女は行かなくていい」と理不尽なことを言ったものである。ところが、長女は働きながら夜学の短大へ進学し学生寮へ入ってしまった。

 翌年弟が東京へ行くと夫婦二人きりになってしまい、日曜日などに、おはぎを作って持って行ったりすると娘はゼミの最中だったりして、「ここにいる子達は、みんな地方から出てきて苦学してる人達だから、でれでれと来ないで」と言われてしまった。

 それでも、娘が卒業式に答辞を読むと言うので出かけようとした朝、ちょっとしたことでつむじを曲げた夫が行かない、送ってもやらない、と言い出しバスと電車で駆けつけた私の写真は、紋付袴で晴れ晴れしい顔の娘とならんで涙顔である。

 バイト先からも引きとめられたが、県の職員として就職しそこからお嫁に行ったので家に居たのは高校生までである。

 娘も息子も立派な結婚式を挙げたが親顔をして、列席してやれただけで、二家族とも、近くに住んでいる。

 夫は孫が出来ると今迄苦労させたからと、保育園の迎えなど本当に良く面倒をみた。娘の家の孫二人にかかっては、主人の呼び名は、かなり大きく成るまで「ぢいや」であった。

  俳句 ○ 居残りの補習の窓に虎落笛

     ○ 学食の窓際に寄り日脚伸ぶ

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青春時代の一ページ

2008-01-23 14:59:35 | Weblog

 今迄の人生を、大切に生きて来なかった。

 出身高校の、桜ヶ丘便りが届いた。B四版二つ折四段の新聞である。

一面に同窓会会長のS氏の写真が、就任の挨拶と共に載っていた。そのS氏の若い日の面影を求めて見入っていると、青春の透明すぎた疾風が、心の底をうずかせる。

 スキー場で出会って初めて口をきいたのがきっかけで、高校時代上級生であった彼が大学の帰省で地元にいる間ひんぱんに会っていた。

  「日曜の度に、岐阜までタクシーでは小遣いがもたないわ」

 といいながら、その日は車で迎えに来て、助手席の私は行く時から質問攻めにあっていた。何度詰められても自分の胸のわだかまりに正直で、失恋をして、今まだその人が忘れられないと答えていた。

 「あなただって、さっちゃんが好きだったんですってね」

 となじったり、父が

 「なんだ町工場の次男坊か」

 と溜息をついたとか無意識にずいぶん彼を傷つけたらしい。彼の好きなジャズ映画を観に行った筈なのに、それをやめてしまって

 「今日は飲まなきゃ居られん」

 と言って何軒も、はしごをする彼に、いつもと様子が違うし、どうしたものかと所在なくスタンドの高すぎる椅子で足をぶらぶらさせながら、ワイングラスの中の緑の液体を眺めていた。

  帰り道、酔っ払い運転は溝に片輪を落として傾いた。JAFの来る間如月の月明かりの中で、寒さに耐えて靴をかたかた鳴らしていると、解けていたのか後ろから優しくリボンを結びなおしてくれた。

 そのころジョン・ウエイン主演の西部劇映画が風靡していた。何の主題歌か忘れたがバッテン・バッテンボーと唄う「黄色いリボン」が町のあちこちにながれていて、私もジョーゼットの黄色いリボンで髪をポニーテールにしていたのであった。

 それから一度赤倉へスキーに誘われたが、泊まりがけではOKしきれなかった。そのくせミトンを編んであげるほど、ほだされて来ていたのに、それを渡せないまま一冬のアバンチュールは終わっていた。

  爾来五十年以上彼とは一度も袖すりあうほどの縁にも恵まれなかった。

   俳句 ○ 鈴鹿より伊吹御岳雪の峰

           ○ 雪解水旅の序となる清冽さ

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縁(えにし)その一

2008-01-18 13:35:20 | Weblog

 昔から、親子の縁は一世、夫婦は二世、主従は三世といわれている。

 先ずはわが息子との縁を省みると、「死なん子なら一人、(芝居のせりふと見た)どうやったら始末できるか聞いてくる」矢継ぎ早に身籠ったのを気の毒がってのことであろうが、私の妊娠が分かったとたん姑は嶮しい顔で言った。

「そんなー男の子かも知れないから産みますわ」と言って三百六十三日の間に長女と長男が、つまり一年の間に二人の子供が生まれた。

 息子は中学時代、野球はエースピッチャー、生徒会は会長、高校では、バレンタインデーだけは、待ち伏せされるから休むという少年であった。

 就職する時のことである。大学の帰省中明日は試験だから、何時に起こしてと頼まれていた私が、寝過ごしたか忘れたかしてしまった。二階からどどどっと駆け下りてきた彼は、面接会場へ遅れる旨の電話をした。

 人間万事塞翁が馬、その電話の声や話し方が良かったとか、何分遅れると言った時間にきっちり現れたとかも、評価の対象になったとかで、難関突破の合格を果たしたのである。

 その後中学の教師をしている、高校生時代の同級生と結婚して、三人の子をもうけ、二十五年ひたすら走り続けてきた。

 ところが一昨年、事もあろうに四十八歳で、会社を退職してしまった。それ相応の立場を用意されての東京への転勤なのにもう嫌だから、だと言う。

 五十歳に手の届く者が、女房と話し合って決めたことなら親としては何も言うまい。

 九月から一年三ヶ月自宅から、ここの二階へ、通ってきて朝は七時から、帰りは二十時までひたすらパソコン詰めの生活を送っていたが、それの起業化は夢と諦めたのか、去る会社の営業部長として就職し、今年からは来なくなった。

 「今迄有り難うな」「うん、大変だろうけど、頑張ってね。主なんだから、」「じゃあな」

 私の脳の認識度ときたら、今は未だ二階に息子がいるような気がしている。追々元に戻って、隣の仏間の夫を、意識するようになるであろう。ちなみに今日は夫の三年忌である。

 所詮一世との縁はこんなものなのであろう。

 息子は、正月前趣味の海釣りで、五十センチ以上のグレを釣り上げた。一年余りの精神的な、もやもやが吹っ切れたこととおもう。

 俳句 

   ○ 天領の陣屋跡なり白障子

   ○ 仁和寺の梅はやばやと咲きいたり

                             

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男児 (生まれ出ずるもの)

2008-01-10 09:31:55 | Weblog

 早朝別居している長男から、「これから家内を入院させる」と電話をしてきた。いよいよ月満ちてと思いながら、出勤のバス停で空を見上げると寒気のひどかった朝の太陽は、この時間晴れやかで、空は青くうすはけで散らしたような雲が速いテンポで、ちぎれたりくっいたりして動いている。鳩が群れをなして旋回しているいつもの風景も、私にとっては、荘厳な吉兆の予感がするから不思議である。

 息子は男の児をのぞんでいる。永い一日がたち夕食を済ませ、夫に「一度顔を出してくるわ」と言って息子と二人で出かけたら、丁度生まれたところで、ナウスステーション前に現れた男の先生が、「Мさん、今生まれました。2、442gの男の児です」とさりげなくおっしゃると、思わず頬がゆるんで、にこにこ顔になるのが自分でわかった。

 しんまいのパパは、マスクをして新生児室の中で、ガラス器の中の子供と、私は外の廊下からガラス越しの対面となった。裸で丈夫そうに手足を盛んに動かしている命は、小さくて、いとほしく、立派に男の児であった。息子はよほど嬉しいのであろう、補育器の中の児をつぶさにしげしげと眺めていた。

 ベットルームに行くと彼は、奥さんにおおぎょうに「よし、よくがんばった!!」と言った。嫁は涙ぐんで笑っていた。この時生まれた孫は今大学3年生である。すっぱぬかれたと言うだろうか。

 ならば、もう一つ2月8日は弟の誕生日である。小学五年生の私は夜中に母に起こされて、産婆さんを呼びに行った。凍てつく道路や橋の上を、かたかたと下駄の音を響かせながら、走ったり歩いたり急いでいると、春が立つたとはいえ、殆ど寒月と言いたい月が、こうこうと人気の無い世界を洗いだすように照らしていた。左手の山も近く無気味で、遠吠えのように犬が鳴いていた。

 上4人は女ばかりだったので、父の喜びようはひとしおで、男だ、男の児だ!と座敷机の前を離れて、私達のふとんに言って廻った。戦争後期、灯火管制が頻繁にあるようになったので、離れではなく書院が産褥室になったのも、待機する父には良かったようである。

 沢山の餅を搗いて町内中に配った。65年も前のことである。ちなみに自分の息子の時のことは、タクシーで前の年にも世話になった病院へ、駆けつけた事ぐらいで何にも覚えて居ない。

  俳句 ○ 仏壇に尋ねて配るお年玉  

      ○ 抽斗に戦果の独楽の溢れをり 

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はつはる

2008-01-02 11:46:16 | Weblog


吉祥如


  俳句 ○ 漣に光あまねし初日影

     ○ 傘寿までシミュレーションし雑煮食む

     ○ 静寂になりて琴の音初詣

     ○ すれ違うバスの窓より初荷旗 

     ○ マリーナに小さき日の丸冬の海

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