おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

夏 風 邪

2010-06-29 15:43:04 | Weblog

 夏なのに風邪を引いた。
 6月13日の親戚の通夜からこちら最近では1日に1つづつなのよ、と口では言いながら連日2つも3つもの用事をして一寸オーバーワークであった。
 1例をあげても、18日ゲートボールを終わって降りだした雨に傘を挿して片手運転の自転車で買い物も2軒して帰り、遅い昼食をしていると、実家の街にいる妹から電話がかかり補聴器の紹介をもらったから中日ビルの東まで行くけど、栄まで出てこられない?とのことである。
 こんな時にこそと千種区の施設にいるその下の妹の面会に行こうと、本山の地下鉄のベンチで本を読みながら待つこと1時間、5時に現れた妹とそこまでタクシーで行ったが名城線のあることは私の頭からはすっかり抜け落ちていた。
 久しぶりの再会に姉妹は喜び、手足と神経が連動しないだけの彼女はきれいなブラウスを着て中でいちばん美しかった。
 帰りは栄まで送り、二人鈴の屋で夕食をして、オアシスから乗る妹と別れて8時半過ぎに帰った。
 泊るように言っても夫のある人は帰ってしまう。
 次の朝は検診が入っていたので医者に行き、アピタでお治しにだしていたポーチを受け取りスギヤマで、ドリンクを買ってきた。そのような毎日だったが決定的なのは次の日であろう。
 5時起きをして剪定したままにしてある庭木を細かくしてビニールの袋にぎゅうぎゅうに詰めた。
 新聞を読み始めた頃から、お尻が寒くなってきたなと思ったらやっぱり風邪を引いてしまった。
 やらずの風邪であろうか、7月5日から、日進市の文化協会が連れて行ってくれる中国旅行に申し込んであるのである。
 1週間前からマニュアルなどパンフを送って来ている。
 さあ困ったそれまでに治らなかったらどうしようと焦ること、焦ることタオルを熱くして温シップを気管支の上にのせ、汗だくになりながら買い置きのパブロンS錠を1瓶とトローチの1箱を毎食後に飲みまだその上に花粉症の薬も飲み喉の痛みには、おえーっと吹き付ける薬を試したりして、一気火勢にどうやら治る見通しがつく所まできた。
 良かった、よかった、あとの5日間は穏やかにして美容院に行くだけにして、何でも大連に参加しなければ今更不参加と言うわけには参らぬ。

  俳句 ○紫陽花を種々に咲かせて街楽し
     ○さかあがり出来し幼に緑挿す

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携 帯 電 話

2010-06-20 20:25:12 | Weblog

 携帯電話を持つと言っても現役時代ポケットベルを持って営業をしていたので、聴く事や物を言うことにはたいした苦もなく適応できた。
 ワープロを打っていたので、それと違う日本語のメールも楽しくて家族と良く交信していた。
 そのうちにパソコンを買ってブログに入れる写真も携帯で写したのを取り込んでいた。
 私が携帯か携帯が私かと思う程必需品となり、枕元に置くやらお風呂にまでお供をしていた。
 5年経ったある日「サービス期間が切れるので変えるように」と通知が来ていて3月31日の深夜変わった信号音がして切れてしまった。
 翌日近くのソフトバンクに行くと待ってましたとばかりに「この中のどの色が良いですか」と言われてシルバーを手にした。
 新しい機種の説明も殆どないまま契約書に署名捺印をして帰ったがそれからが大変余りにサービスメニュウが多くて、何かをしようとすると、神経が磨り減る。
 
いちばん困ることは今までの携帯なら写真を撮ったり運んだりのカードは横から差込であったのに、新しいのでは小さなカードをいちいち本体の裏をはずして取り出ださなくてはならないうえにそれをしているうち、電話の機能は止まっている。
 
取り扱い説明書を見ようにも今までのように冊子になって丁寧に説明したものは無くて折りたたみのパンフのようなものが一枚だけである。
 これではと思ってすぐに電話をしたら「一旦契約されたものはお取替えできません2年間はお使い下さい」とのことで、苦労しながら2ヶ月が経ってしまった。
 営業職をしていた私がクーリングオフに気がつかなかったのも馬鹿げているし、いつものくせで何事も相手に合わせてしまって苦労する。
 面倒くさがらずに、最初から、納得のいくものをアタックすべきであった。
 昨日もお隣さんが、仙台に行かれる間に何事かあるといけないからとメモに書いて置いて行かれたナンバーを登録していて、間違えて発信してしまった。
 孫にも「お婆ちゃんデコメールしてきている」と笑われた。
 当分振り回されることになりそうである。

  俳句 息詰まりそうな緑や温泉郷
     育ち過ぎ金魚を池に放ちけり

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 う つ わ

2010-06-10 10:47:32 | Weblog

 
 2009年8月に国民の絶対的な支持率を得て民主党が圧勝した。
 それまでの官僚主導の行政を何とかしなくてはと想っていた民衆の多くが積極的に一票を投じ国政に参加する夢をたくして鳩山内閣は誕生した。
 それまでの政権がなしえなかった事業仕分けや、国家公務員制度改革に実績を積み上げていたけれど、のっけから鳩山首相と小沢幹事長にまつわる多額の金のでどころをマスメデァが毎日毎日放送したり完膚なきまでに書きたてた。
 進退を問われるうち米軍基地移設案でさもさも腹案があるように見えていた総理の実態は5月まで5月中5月末ととどのつまり米軍普天間飛行場を名護市辺野古崎と言う日米合意案を大義名分にしようとして沖縄県民の怒りをかった。
マニフェストは失敗したのである。正直なだけの紳士スマイルの鳩山さんは かっての小泉首相の郵政改革の時のようなライオンヘアーを振り乱しての説得やお詫びのパホーマンスもないままたった9ヶ月で小沢幹事長と抱き合わせの辞職となった。
 さて総裁は管直人(支持率61%)になった。「最小不幸社会」を掲げる現実主義者の管さんは基本的な考えとして「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」の道を1体として作って行くとのことである。
 第1の道が公共事業中心の需要拡大。?第2の道が規制緩和など構造改革路線。第3の道は成長が期待出来る介護、医療、観光、環境、等に予算を重点投入するのだそうである。
 現在、介護は需要があることを良いことに働く人は低賃金である。家庭が看なくなった社会とか家族の現実から目をそむけてはいけない。 
 一番ネックの米軍普天間飛行場を名護市辺野古崎と隣接する日米合意案に地元の反対を押し切って実現する様子である。
 私が3年前に沖縄旅行をした折なんでバスガイドが基地問題をそこまで我々にうったえるのか、観光案内を重点的にして欲しいのにと思ったことがある。
 だがその走っている視界に巨大な米軍家族の住宅が一線を画して広い領域を占拠しているさまをつぶさにみて、痛ましく思ったことであった。
 私達の年代は「ひめゆりの塔」と映画化された惨劇を胸にきざんで居るのだから、知らぬところで両国の密約があったにしても60年はいい加減時効にしたらどうであろうか。
 高杉晋作にあやかって「奇兵隊内閣」と名付けたと言う管首相よ充分な器であることを期待する。

  俳句  踊り竹あらまほしきは脚の振り 
       卯波寄す若者去りし漁師町

       

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  無 明 (昭和20年代の小品)

2010-06-02 21:21:12 | Weblog

 盆前の厚生課は特別忙しい。
 給料計算の外にボーナス計算、帰郷旅費、汽車の切符取りや、荷造りやら、400人からの女子工員をあらかた帰郷させると、忙しかった反動で広い工場内はしんとして寂しくなってしまう。
 Тはさきほどから汗を拭き拭き「来る」「来ない」「来る」「来ない」といらいらしながら駅の時計を眺めていた。
 明日から連休と言う日に郡上の盆踊りを見に行こうと同じ課のS子を誘ってみたのだ。
 慌ててホームに駆け込んできた彼女はブルーのデシンのブラウスにグレーのフレヤーのスカート胸元にチュールの白いボー茶と白のコンビのハイヒール、手には小さめの白いバックと妙齢の婦人振りであった。
 二人は風の入り込んでくる車窓側に向き合って掛けた。「家どう言って出てきた?」「友達と郡上踊りに行くと言って、本当でしょ」
 どちらも二人になって幸せな気分であった。
 郡上節が、せつせつと夜空を渡り近郷から来た浴衣の男女が踊りながら街を練り歩く。
 その壮観な様子にS子は踊りの輪に入りたかったがТは、それようにしつらえた別の櫓の上でジルバやマンボに夢中である。顔見知りの女性がここまで来ても数人いるようである。
 ダンスの出来ないS子は所在無げに隅の椅子にかけて涼しい夜風と遊んでいた。
 一晩中そうしているわけにも行かず夜食を取った店で仮眠をさせてとТが交渉した。二人は疲れがどっと出て畳の上に長くなった。頭の下に組んだ腕の上に同じ姿勢のTの腕が重なりS子の鼓動は激しくなったが又人肌のぬくもりにほのぼのとしてもいた。  「八千万人の中の二人である事をわすれずに(当時の日本の人口)つきあっていこうね」とТが言うのを常識的なせりふとS子はおもったが彼女自身それを打ち破るだけの情熱を感じてはいない。
 先ほどから「これからは学歴社会になって行くそうよ一緒に大学を受けましょうよ」と言ってくれたU子や「どうして今貴女が就職なのか僕には判らない心境を教えて」と書いた手紙を自分で届けにきた浪人中のMのことが脳裏にひらめいた。、それならと面倒な手続きをしてOKの申請書が来た通信大学の書類はそのままになっている。
 だから こうしていること自体が、安逸をむさぼっているような気がしてブラックホールに自分から落ち込んでいく気配になるのであった。
 短夜の夏の仮眠は二人を重苦しいものにさせていた。

 俳句  新緑やゲートボールに老い盛ん      
      朝毎に植田一枚づつ増え来

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