おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

昔 の 仲 間

2009-01-28 22:20:12 | Weblog

 二十五年来の文集仲間の新年会は、今年は[蓬莱]が建て直し中とかで、松坂屋本館の東の広い道を挟んだところにある、パークプレイビル十二階の「梅の花」であった。

 私にとって此処は前身の松栄食品へ保険セールスとして十七年も通った懐かしいところである。毎日顔を出すので靴を買ってあげねばねーと言われたりした。

 五人が欠席で九人が一年ぶりのにこやかな顔を合わせた。

なれそめは西友のカルチャーセンターでエッセー教室を申し込んだ仲間である。

 しばらくして西友の都合で、其処では授業が受けられなくなると、高針の郵便局の座敷で(局の男性がいた)そこも追い出されると名東図書館で、携わられた先生が五年ほどでお辞めになると今度は、自分達だけで十年ほど作品を持ち寄っては合評会を開いていた。

 やがて解散し二人が栄のアサヒカルチャーへ行き、四人は自分史の「ふだんぎ」へと流れた。私は一年のブランクの後地元で俳句を習い始めた。

 そんな中、同好の士とは良く言ったもので、誰がどんな文を書くかどんな傾向か知りつくしている。

 毎年新年会を欠かさずするうち、文集は荷が重いけど通信ならとアサヒカルチャーへ行ったIさんが言いだして、切手を貼った封筒を送って置くだけで、十五日締めの達者な仲間の文章がA四版三枚の名称「もめん通信」として来るようになった。

 休むことなく月一回もう七十回を数える。無論無償である。好きでやってくれるのだからと言う事になっている。今月号の彼女の「お正月こぼれ話」の冒頭に、私は私のおうちがなかったけれど、今は私のうちへ帰ってくる家族がいる。生きているってステキ!孫は四人になりましたとあった。

 戦争が原因で両親を亡くした彼女は、親の出身大学の夜間を出て単身篠島の先生になった経歴の持ち主で、小説に出来るほどの(現に二三冊は出している)有為転変のある方で、どこかの極楽とんぼとは大違いで芯が通っている。

 梅の花の豆腐料理を堪能した後、 中日ビルのサンモリッツへ移って気心の知れた者同志、短い冬の日を長々とおしゃべりをした。

 俳句 ○ 料亭の床に一輪女正月

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 成 人 式

2009-01-17 23:45:23 | Weblog

 今年は、四人目の孫の成人式であった。

男の子の時は知らぬ内に済んでしまった感じだったけれど、女の子は、これで三人が着飾って見せにきてくれた。

 水色の振袖ですらりと高い背で、ひいき目を差し引いても美人である。感激して相好をくずし、慌てて家の前やら庭で写真をとったが、ショールやバックを持たせずに、写してうっかり婆さんであった。

 どの子の時もあとで、友達との約束があるというので、成人になったことについてじっくり話合った事はない。

 遡って私の成人式の時は施行され始めの昭和二十八年で、夥しく世の中が変わっていく時、たった一人のレジスタンスをきめこんで出席せずに、会社で仕事をしていた。

 あれから五十余年私も随分とまるくなって、行政がお膳立てをしてレールを敷いてくれるなら、それに乗っかれば良いじゃないの、昔だって元服式はあったのだしなどと思ったりしている。

 かんじんの一言、「自分達の社会なのだから、立派な大人として自分の属する社会に貢献する人間になるよう、恒久的な理想に向かってまい進して」などとはおこがましくて言えない私にもなっている。

 これだけ世界経済が厳しくなると、日本式エコノミックアニマルでは、通用しなくなって、とんでもない厳しい世代を受け継がせることになるのではないかと危惧する。

 それでなくても私達の時代に北方四島、拉致問題、靖国問題など解決せずに、世代を受け継がせるのであるから。

 武力さえ使わなければ、今のところ日本は、安穏な立場で居られるのだから、と言うだけがせめてもの花向けの言葉である。

  俳句 ○ 手袋の大きさ比ぶ爺の膝

     ○ 着飾りて仏に詣ず成人日

 

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  目 覚 め

2009-01-09 06:04:37 | Weblog

   人のふところの中にいる
   あたたかな愉悦は
   だらんとした歓喜は
   ここは何処

   からだを縦に削いで
   いえ ぶ厚くへいで
   くるんでくれている
   人肌のねんねこ

   ナイーブな感覚の
   恍惚の中で顔を右に向ける
   肩に洟をすりつける
   涙目をうっすらと明ける

   弛だんしたノンレムが
   ゆるやかに覚めて行く
   さしこむ朝の光に
   このふところは
   さながら麻酔のゆりかご
      病院のベット 

   そうだ
   今日は大腸癌の
   MRIを撮る日だった

     俳句 ○ はたはたと雀飛び来て日向ぼこ

        ○ 濡れ縁の端で手招く八手花         


      

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  謹  賀  新  年

2009-01-01 00:52:41 | Weblog

     招  福

俳句 ○ 大初日悠々として明けにけり   

   ○ 年始客こちらが酔ふて慙愧かな

   ○ 集ふれば一族郎党淑気満つ

   ○ 餅花の枝垂るる故郷の床柱

   ○ 落柿舎の訪ふ人の無き初景色     

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