我が家の押入れの高い所に柱時計と大黒算盤が置いてある。
息子が来た時「これどうしよう」と聞いたが、返事がなかった。私が嫁いできた時店の間のテレビの向うに掛けてあったローマ数字の三尺足らずの当時は、どこの家にも一つくらいは、かかって居た時計である。
今の上皇様の結婚式のパレードも一緒にテレビで見た時計である。テレビは、すこしたつと結婚式には三種の神器とかもてはやされるようになったが、夫の姉のところが、電気屋であったのでそううしたものは揃っていた。
私の時計にまつわる思い出は実家の店の間の、よく磨かれたケヤキの大黒柱に大人の背丈ほどの大きなぼんぼん時計が掛かっていた。当時はどの部屋の時計も二日に一回くらいねじを巻かないと止まってしまうのであった。
私は中の間で寝ていたのでその大きな時計の裏側にあたり、ちくたく、ちくたくと子守歌にしていたものである。
今は蔵の中にごろんと横にしてあった。さて私共のこの時計二度三度と引越しをしたのに就いて廻っていたとみえる。
今私の周りの人はみな自分の身の廻りを身軽にすることに一生懸命である。流行のような気がして私も一日に一つずつで良いから処分して行かなければと思えてきた。
燃えないごみの日に大袋に入れて出そうか、それとも粗大ごみのシールを貼るかと、とつおいつ思案している。時を経たものは、私とおなじアナクロである。
子供の時実家の食事どころにこれと同じ時計がかかっていたことを、鮮明に覚えているが、60年以上も昔のことである。
俳句 糸と針持つこと多し今朝の秋