来客があるのではと思いコンビニへお茶受けを買いに行った。その七、八分の間に行き違ってポストに足跡だけが残っていた。
そこいらに姿がないものかと、公開している満開の桜の学院の校門あたりを見てみたが姿は無くて爛漫と咲き誇る桜の景観であった。
翌日は美容院へ、次の日は母の法事で出かけていて、さて十三日朝日新聞の「あいち俳壇」が明日の締め切りなのに気づいて、慌てて十四日の消印に間に合わないものかとポストへ投函に行って驚いた。
あの桜が無い。あたり一帯赤い桜蘂の木々ばかりで夜来の雨のせいか、がらりと景色が変わっていた。たとえようのない程がっかりと気落ちした私は、咲き始めてからの半月あまりの長い間華やいだときめきをもらって気も張って居たのだと分かった。
そめい吉野は終わった。見納めと認識しないうちに終わってしまった。本当にがっかりした。
気を取り直して今日は整体へ行った。先日美容院の予約時間に遅れまいと市のクルリンバスが四月から、時間や停留所が変わったので、一筋北を走るようになったバスに出くわそうと一区間を走りに はしって、飛び乗ったので今頃膝が痛むようになったのである。
膝に注射を打ってもらったその足でスーパーで買い物をして振り分け荷物で帰宅した。私が車に乗れないなんて此処に来て本当に不自由をしている。
途中蕨を摘んだ頭の上ももう葉桜めいていた。
大島りょう太の句の
○世の中は三日見ぬ間に桜かな
のようにがっかりしているのは私だけではあるまい。来年は早くから予定を立てて吉野の桜を見にいきましょっと。
俳句 ○ 奥美濃の和紙漉く里や夕朧
○ 文庫本顔に落として朝寝かな
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