おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

  柏  餅

2010-05-24 15:31:44 | Weblog



 このところ、私は全く張り合いをなくしている。
というのは「子供の日」ともなれば柏餅を蒸してお重に詰めて娘の家、息子のところと配っていたのに「頼むから持って来ないで」と言われてしまった。
 欲しければ要るだけの量を買ったほうが良いと言うことらしい。いつまでもかちかちになって冷凍庫に入っているのだそうな。
 それは私の柏の葉に対する思い入れが濃いせいである。
 実家の庭には四月になると私の生まれる前からそこにある大きな柏の樹がのこぎり型のぎざぎざ葉っぱで若葉を茂らせる。
 節句にはくどで火を焚きせいろで柏餅を蒸したものである。
若芽が出ない内は古葉が散らないので、子孫繁栄の縁起かつぎにもされた。
 終戦直後の食糧難の時代は私が良く作っていた。成長期であったのであろう。
結婚してからはよく母が携えて現れた。
 弟の許へ嫁いできた義妹は親様は学校の先生らしかったが、爺様は和菓子屋さんだったとかで、見よう見まねなのか手つきも様になっていて、米の粉にお湯を入れて練り掌のひらサイズに平たくのばして、自家用に煮た小豆を丸めて包み柏の葉でくるんで並べて圧力釜で手っ取り早く蒸しあげてあつあつでもてなしてくれるのである。
 帰りに沢山の若葉を夫の車で運び、さっと湯通しをして色の変わらない保存を工夫したものである。
 最近の核家族家庭では各々が時間の折り合いがつかなくて銘々がそれぞれの時間に食事をすることが多いと聴く。
 同じ釜の飯を食んだ仲とか家族の連帯感はどうなるのであろうか。
そうは言っても私自信も一人住まいを良いことに好きなものを好きな時間に頂いている。
 百年経てば生活様式も変遷するものとみえる。そこへ行くと自然は人為をほどこさないかぎり悠久なものである。

  俳句  百年を経たる樹の葉の柏餅
       えごのはな降るほど散りて庭重し





 

 

 

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こ と ほ ど 左 様 に

2010-05-15 08:46:18 | Weblog

五月は陽気が良いと言う建前から組まれたのであろう、月曜日から金曜日まで休みなしのゲートボール週間であった。
 月水金の練習日の間に春の定期大会と市長杯大会が入ったからである。定期大会は雨模様で決行され帰りには降りだして濡れて帰った。
 市長杯は市の運動公園で市長挨拶で始まった。負けたのはやはり強いメンバーの中に技量不足の私が紛れ込んでいるからである。戻り寒の日々であった。
 反省会ならぬ今日の練習をして帰って、ブログに入れる竹の絵を書いているとМさんから電話が入った。
 「おにゆりの苑」3巻を読んでいるのだけれど桜桃忌の桜と桃の字が入れ違っているとのことで、吃驚して確かめると言われるとおり何度も校正したのに私の目は節穴で桜桃と読んでしまっていた。
 やんぬるかな一番大切なタイトルとヘッターが間違っている。目次と中身は大丈夫だがこれは大変と思っても時既に遅し、一昨日運送屋に来
てもらって七冊を出してこれで今年も終わったと肩の荷を下ろしたところだったのである。
 私はそれぞれの場所で良い友達に恵まれているが、このМさんは俳句の同期生で私が動の性分ならこの方は静で、人から廻ってきた自家本など一気に読んで次にまわすところを一ヶ月かけて、念入りに読んでくれる。
 西のМさん東のKさん、Kさんは先ほど届いたと連絡してきたが今頃読んで気がついているであろう。赤面の至りである。
 ゲートボールの会長にも技術が上達しない言い訳と言ってはなんですがと言って一冊入れたが一字変換間違いを見つけたよと言われた。
このことだったろうか。
 次回訂正した朱印を押した付箋を届けるとして、後はどうしたものであろう、図書館のはキャッチする術があるけれど、新聞社に送ったのは取り返しがつかない。
 かくして今年の書評は没になっても致し方ない。ことほど左様に緻密でないのは愚かしい。
 この竹の絵、月曜日にゲートボール場近くの友人と三越へ片岡鶴太郎展を観に行って買った絵葉書を手本にして書いているのだが、買ってまだ下ろしてないファンデーションのチューブ入りを落として来てしまった。

   俳句 街騒のとどく路地裏春の宵
    やどかりを見てをりし子の買はず去る

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  写  真

2010-05-05 22:18:56 | Weblog

 商売をしていた頃忙しさにかまけて、幼稚園から帰って来た子どもたちを店の奥で遊ばせていた。
 そのうち友達を連れて来て遊んでいたが、襖には突貫して穴を開けるし、
バケツに水を入れてチリ紙をひたして鳥小屋に投げつけ貼り付けたりするような元気な二人の姉弟であった。
 気がつくといつの間にか大切にしていたアルバムもはがされて家族の写真の大切な何枚かを消失していた。
 夫の正月の着物姿とか、年子なので毎年行う熱田神宮での七五三の写真も見当たらない。わざわざ写真屋に出かけて行って撮ったもので、今となれば懐かしく大切なものである。同じ写真はその都度実家に届けてはいた。
 孫が可愛かったのであろうか幸い父母が几帳面でアルバムに貼って残していてくれた。
 今更と思わぬでもないがこうして落ち着いた余生期に入ると、自分史や作句、
エッセイ等文章を書くことばかりに集中するのではなくて、写真の整理収録など身の回りを整えることもしなくてはいけないかなと考えている。
 私の生い立ちの記録とでも言うべき宮参りから幼稚園、小学校女学生迄、この家になくて実家にあるそれらの写真が急に欲しくなった。
 結婚がきまって祝いを届けてきた叔母の立会いでそれまでに書いたものや手紙などは蔵の裏で焼いたが、たくさんの高校生時代や独身時代の写真は缶に入れてそのまま実家に置いて来た。
 50年以上たって缶の蓋があくであろうか。興味と共に少し心配である。スキー姿のポートレートもあったはずである、ねんごろに処分しよう。
 母が亡くなったあと実家にしたらこれらは不要な物の部類に入るであろう。箪笥双棹の着物も4人姉妹いずれも引き取りてがなくて、離れにそのままになっているのは私達の責任である。
 それらもさることながら人生の集大成としてとりあえずアルバムの収録をしよう。 
母が亡くなったら急に実家が遠くなった気がするけれど、甥に子供も出来て代が変わったし、いろいろ処分したいことであろうから、すぐにでもしないとこちらも歳をとってしまう。
 今の時代はパソコンのフアイルのBSで保存出来るから手間はかからないのではないかと思っている。

 俳句  薔薇アーチ子供は巣立ちいまもなほ 
     春宵や池のほとりにハモル人

コメント (4)
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