おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

有 松 と 桶 狭 間

2011-10-31 22:12:10 | Weblog

 今年の「寿句会」の吟行は絞りで四〇〇年の歴史のある有松と桶狭間古戦場であった。
 天気予報が冷え込むと言っていたので、しっかり着込んでKさんと隣り合って迎えの市役所のバスに乗った。
 有松に着くと二班に分かれてガイド嬢に従って旧東海道の有松絞りの商店街を見て歩いた。
 尾張藩が絞りを藩の特産品として保護したことが繁栄につながったとのことで、岡邸、服部邸、小塚邸、武田邸等往時のままの建築を懐古の感慨にふけって、立ちつくして見た。
 カメラを出して井桁の家紋や、なまこ壁や、卯建の向うに見える松などを写した。
 確か随分前に来た時には、服部邸のたたきを筒抜けて庭も見たように記憶している。連子格子の家は今やディサービスの施設になっていてそれらしい人が出入りをしていて時勢の移り変わりが偲ばれる
 絞り会館に入ると、絞りの実技をみることが出来てDVDも見た。絞りの品物も並んでいてハンカチを五枚買った。
 一昔前私位までは、婚の荷には、絞りの浴衣を何枚か、外出用には総絞りの羽織を入れたものである。
 昼過ぎはバスで古戦場へ移動した。あらかじめ連絡してあったのか絞りのはっぴを着た、おそらくは郷土史の研究の方達であろう、二十八名の私達グループに負けないくらいの人数の方達に迎えられた。
 古戦場の跡地をこんせつ丁寧な説明を聞きながらぞろぞろ歩いた。おおまかには次のような話をしてくれた。
 
先ずは天下分け目の関が原の戦い(千六百年)をさかのぼる事四十年、二万五千の軍勢を率いる今川義元と三千人の織田信長が、此の地で戦いたった二時間で少ない軍勢の信長が勝った。
 その奇襲はそこにあるねずの木に馬を繋いで宴をしているところを、攻めたのである。戦死者の隊長クラスの記念碑が七基あった。
 信長が義元を打ち破り、その後東海、北陸、近畿へと勢力を拡大し豊臣秀吉の天下統一、徳川家康の江戸幕府へとつながる道を築いたとの事である。
 ねずの木は枯れていたが来春芽を吹くであろうか、吹いて欲しいものである。
 
俳句 服部邸駒寄せさびて秋深し
        皸の絞り女慣れし指裁き
    秋冷や語部多き桶狭間

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墨 汁 一 滴

2011-10-21 18:26:34 | Weblog

 墨汁一滴を読んだ。
読もうと思った動機は今月の句会の兼題が「子規忌」であったからである。知り合いがこれを貸してくれた。
  ○ 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
 を詠んだ人だからと言うよりはドラマ「坂の上の雲」で子規を演じた香川照之の印象が強かったからと言う不遜な思いから読み始めたのであるが、明治三十四年一月十六日から七月二日迄の病床日記である。
 読み始めると面白くて仕方が無い。最近記憶力がとみに衰えて、通り一辺に読み過ごすようで情けない。
 気に止まった二三箇所は田打ち畑打ちの区別の関連で必ずしも春の季語ではなく夏もありとあるし春夏秋冬を歳時記の四季に分けるには困窮したとある。 
 類別上の便宜を言うものなれば実地の作句はその時の情況によりて作るべく四季の名目などにこだわるべきに非ずとある。
 自分の句が月並調に落ちては居ぬかと自分で疑はるるがなんとして良きものかと問ふ人あり。月並調を恐るるといふは善く月並調を知らぬなり。一度その中に入りて研究すべき、月並調を知らずに徒に恐るるものはいつの間にか月並調に陥る。月並は表面もっともらしくして底に嫌味のあるもの多し。
 大体の趣向できたらば句作の上に前後錯雑の弊なきよう言葉の並べ方即ち順序に注意すべし、かくして大体の句作できたらばその次は肝心なる動詞、形容詞等の善く此の句に適当し居るか否かを考へてみるべし。
 これだけに念をいれて考ふれば「てにをは」の如き助詞はその間に自ら決まるものなりと。(引用は旧かなのまま)耳が痛い。
 そうこうして面白がって読んでいてふと傍らの読売新聞の俳句投稿欄に目をやると、此の間自分なりに俳句を始めたわと言っていた、同人の「もめん文集」の発行もとのIさんの句が
  ○ 一列に並び咲きたるタマスダレ
で載っているではないか。彼女は子規の姻戚に当たると言っても過言ではない家系の人である。
 去年に引きつづいて斑鳩の文化財団へ投句をするよう案内をくれていたのに、ぽしゃってしまっていたがおめでとうの電話を入れた。
 法隆寺のお庭を造園し守っている明氏とはいとこでその方は「しんしょう」と言う結社の主事との事である。今迄彼女が出した何冊かのエッセー集の中に病床の母の俳句をポストへ投函に行くことが良く書かれていたが、さすが血は争えぬ。晩年彼女は俳句にのめり込んで行くであろう。
  
  俳句  寝転びて軒の青さや糸瓜の忌
      糸瓜忌や優勝ならずタイガース

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松 茸 狩

2011-10-11 16:56:13 | Weblog

  もう七十年程も昔の事でございます。
父は毎年秋になると、私を七、八歳ごろから自転車の後ろに乗せて家から三キロ程先の持ち山へ松茸を採りに出かけたものでした。。 
 他所の山の道端には縄が張ってありました。訳を尋ねると「泥棒に入ってはいけないよ」と言う目印とのことでした。「だってどこからでも入れるよ」と言って私は笑いました。
 その時松茸は山を下から上へと歩きながら目を配って見つけるものだと教わりました。子供の目は目ざとくて良く採れると思うのに大きな岩まで来ると父は「ここからは子供の足では大変だから、ここを動くな」と言い置いて、赤松の間へ消えて行くのです。
 置いてけぼりにされた私は持ってきた着せ替え人形を出して一人で遊びました。目の前にはあけびの蔓があったり、どんぐりや松ぼっくりが落ちていました。 
 小半時もたつと父は手ごろな籠に松茸や鼠茸や、ろうじをいっぱい入れて「お待ちどう」と笑って現れるのです。
 私はほっとして父の背中につかまりながらちょうど聞こえてきた
隣町の運動会の音楽を心地良く聞いたものです。
 その夜の松茸御飯は子供の口にも大変美味しくて鼠茸の味噌和えや、ろうじのお汁で食卓を賑わせておりました。
 私が女学生の時父は自分の職場の銀行からの行楽の松茸狩りに倉知(地名)へ連れて行ってくれました。私は職場のお姉さん達と仲良くしながら、ビジネスで人を受け入れる松茸山ならではのその量や大きさ山の深さに目を見張り喜びで満足でした。
 その後、昭和二十六年に入社した会社からは、リクレーションで小瀬(地名)の山へ松茸狩に行き、頂上で採り立ての松茸を沢山入れてすき焼きをしました。確か何百人で山に入ったダイナミックな行楽でした。
 やがて昭和三十年代に入ると、燃料革命が起こり家庭も石油に続いて、電気や瓦斯で調理をするようになりました。建築資材は安いラワン材の需要が伸びて木を伐らなくなり、焚きつけの松落ち葉もかき寄せなくなって山が荒れ、国産の芳しい香りのする松茸は採れなくなりました。
 私の実家の山のあった所は今では開発されて街になってしまいました。山も父母もすでにこの世になく妹弟の中でも、松茸狩りの郷愁は私が一入りなのかも知れません。
 毎年運動会が行われる体育の日ともなると、「天然の美」の歌とともにそぞろ想い出されます。

  俳句  山で焼きし松茸の香に思ひあり

       身の丈に合はぬカメラや今日の月

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2011-10-03 18:48:17 | Weblog

 十月、いよいよ秋本番である。
 道野辺の花は、朝未だき月見草がより黄色を濃くし、はぎが小花を散らし、芙蓉の花はぽっかりと愛らしく清楚に咲き、木犀が点、点、点と黄金色に香りを放ちはじめた。
 日本列島は、東北の地震、津波、放射能の被害からの復興が悲喜こもごもで、遅々として進まない最中に又九月半ば、追い討ちをかけるように、台風が豪雨をもたらせ今度は近畿地方に堤防決壊や家屋の浸水やら、被害の爪あとを残して去った。
 政権は野田首相に交代し相も変わらずけんけんがく他党と協調性のない論議を繰り返している。
 私は何を以って気分を高揚させ身の回りに楽しみを見つけ出して息をして居ようかと複雑な心持である。
 そんな日常の中、今日総合運動場で、リクレーションゲートボール大会があった。体験しに来場する人々を楽しませて、誘導するのである。
 グランドゴルフの現役メンバーが何人も参加していて普段パターに馴染んでいるせいか、ステックの遣い方も上手な方が多かった。
 何と言っても年齢が若くて若いと活力と乗りが違う。会場も華やいだ。ゲートボールも、もっと若い人を誘わなければ発展が無い。
 帰りに車に乗せていってくれたIさん宅に寄り茶菓のもてなしを受け、大きな栗と茗荷を戴いて帰った。
 設計事務所をされていた亡き夫君が建てられた山際の家で、裏からは三階建てになっていて、窓からは市街が遠くまで望め下からの栗の木や柿の木のてっぺんが目の前にあった。
 夜はテレビを観ながら二時間かけて皮をむいた。明日は栗御飯を炊いて茗荷汁を作ろう。鶏のからあげや天麩羅もしよう。酢鯖はある。 妹がフランスの土産にワインのロゼを呉れたので上手にコルクを抜こう。
 それを舐めながら俳句の兼題の「子規忌」と「無花果」を詠まなければ。
  ○ 仰山の無花果前にひとりきり
などと詠んでも若い講師の先生は一人居と言う淋しい句には点を呉れない。
  ○ 無花果の熟れを確かむたなごころ
としようかなあ。
 秋の夜長をこおろぎがちろちろと鳴いている。

   俳句 古戦場かぼそく聞こゆ虫の声

 

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