おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

文 集 仲 間 の 新 年 会

2011-01-31 14:05:24 | Weblog

 近郊から平均年齢七十二歳の女性十人が(夫々の理由で欠席は五人)例年のように栄の「梅の花」へ集まった。
 二十五年来の「もめん」と言う文集仲間の新年会で、今朝のように風花が舞いうっすらと積雪も見られるような日でも出かけて来る。
 逢ったとたんに話に花が咲きお酒の乾杯のあと軽い豆腐懐石なので十一品ばかりを美味しく頂いた。
 皆の原稿をA4用紙三枚の文集にして、二ヶ月毎に送ってくれている主催者のIさんが「近況を一言づつ」と言われるとTさんが嬉しそうにハワイへ行ってきたと海豚とキスをしている写真を見せたり、最近では野良猫が三匹家
の子になってしまったと言いМさんは男の孫が結婚し今年はひ孫が生まれそうと話した。詳細は前の文集の続きなので話もはずむ。
 私は夫の七回忌を済ませたらはっきり言って気落ちして淋しくて仕方が無い。おシャリ様まで納骨したからだろうか、と言いその法事の折、眼鏡が壊れてしまいアピタの三木で作って今日掛けて来ようと思ったのに間に合わなかった。
 向うの言いなりに黙っていたらどんどん高額なのにされて八万九千円も支払ったのにレシートも領収証も無くて引換券だけをもらってきていた、と気のおとろえを話して笑われたり慰められたりした。
 私より二歳くらい若くて子供が無いので正真正銘お一人様のZさんがいつになく高揚して絵の教室で、展覧会に出す裸婦像を描いているんだけど休憩になると男性が目のやり場に困っていると話して居たかと思うとすうっと気分が悪くなり目が回ると座椅子の背によりかかってしまった。
 少し休んで帰ると言うので付き添ってくれるというGさんと二人を残して中日ビルのサンモリッツに席を替えた。
 
今日休んだNさんは住んでいる家が売れたので、東京の息子さんのところへ行かれるんだけどきっと挨拶すると涙が止まらなくなるから来なかったのよねーなどと語り合った。
 やがて口ぐちに
「老人会では御座いません。新年会で女正月です」と言いながら来年を約束してそれぞれが散って行った。
  
   俳句 雪しまき饒舌なりし仲間達 
      「坂の上の雲」を完読冬篭り

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大 寒

2011-01-20 06:56:43 | Weblog

 齢の数だけ大寒を七十七回も経てきたのかと思う。
子供の頃には親の言う「大寒」の語源に索漠とした恐れを感じていたものである。
 それは暖房といえば掘り炬燵か火鉢くらいなもので右を向いても左を向いても寒かったからである。
 日本社会が高度成長期にさしかかると、石油ストーブ、電気ストーブ、冷暖房機などと家族が何人居ても子供があっても恐いものなしの普通の世間の人並みに年がら年中春のような快適な五十年を過ごして来た。
 そんな住環境のせい等で最近では地球温暖化が問われ出してきている。
 今年はこの一月十六日からこちら寒気団が日本列島をすっぽり包んであまり雪の降らない此の地方でも二
〇センチも積もったりした。二日で溶けてしまったが 朝晩は振り掛けほどの雪が舞ったりして底冷えのする寒さである。
 いよいよ明日は大寒の入りである。こんな寒い大寒の真っ只中で夫を死なせてしまったかと毎年気の重い季節であるが、今年はそんな事を言って打ちひしがれては居られない。
 二十三日の日曜日に夫の七回忌を勤めることにしているのである。  俳句 大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子
 本家はベンツで来る夫婦であるが、今朝義妹から電話で「大きなくしゃみをしたらぎっくり腰になってしまって入院することになったので主人だけが出席します」と言ってきた。
 私より一歳齢下で、親子ほど齢の違う兄の起業した雑貨問屋を婿さんとで受け継いで守り通し子供に継がせている私の敬服する義妹である。
 その上の姉は八十六歳タクシーで来る。九十二歳の長姉は長男の車で来る。
 もう一人は定年後М大学の非常勤講師のТ君、親は夫の姉の四人姉妹の内の次姉であるが今は施設に入っていて九十歳である。
 高齢化社会だけあって充分とはいえぬまでも女性はみな健在である。
 招いたのは夫の親族だけにしたので私共の孫、子を入れて当日出席出来るのは十三人だろうと仏間に座布団を並べてみたり新しいストーブを買い込んだりと今から緊張している。
 そんなところへ今朝男の孫が、「おばあちゃん医者へ行くなら僕、
流感で診てもらいに行くから乗せていくよ」と迎えにきてくれたのに「昨日自転車で行って血圧のお薬もらってきたわ、二十三日迄はインフルエンザうつさんといて」と言ってしまった。「もう殆ど良くなったから」「治りかけがうつるのよ」と全く可愛気のないばあさんであった。
 「有難う」とも言わなかったなあと底冷えのするコートでゲートボールをしながら反省することしきりであった。
 天気予報では今夜も雪が舞うと言っている。

 俳句 白きベールルビーほのみせ木々寒し
    墓に来て今日の寒さを語りかく
    半日で溶けてしまひぬ道の雪

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形 見 分 け

2011-01-15 10:26:54 | Weblog

 女正月には早い十日の成人の日に姉妹三人が実家に集った。 
母が逝って二年近くなろうと言うこの日、施設に居る妹はさて置き三人姉妹で形見分けをしようと寄ったのである。
 すぐ下の妹はもうじき世界一周のクルーズの旅に出るから洋服が欲しいと言う。その下の妹は古布を集めているから、どれだけあっても良いよと言う。私は死ぬのが近いから今更物は増やしたくないと言いながら、中の間にストーブを持ち込んで先ず洋服、着物、羽織、コートと仕分けをした。
 せり市みたいに「要る」「要らん」「欲しい」「じゃんけん」などと子供みたいで面白かった。
「お母さんこんなに衣装持ちだとは知らなかったわ」「今時着物なんか米兵へ行ってごらん一山千円だよ」などとドライな三人の娘達は、着物を着た立ち姿の美しかった母の面影には誰も言及せずかえって義妹の方が、「これはお母さんのお気に入りで、着られると綺麗でしたよ」などと言ったりした。
 生前母は娘達の顔を見るたびに譲りたがっていた装身具の本物は霧散していて旅行先で買って来たようなネックレスや指輪、ブローチなどがじゃらじゃらといっぱいあった。
 私の娘は祖母を慕って良くしてくれたのに、指輪の一つも分けてやれないのに胸が痛んだ。
 要らぬ要らぬと言いながらせめて形見だからと娘には大島の派手なものと帯を、私は手持ちの派手になった被布をこの際地味なのに変えようと選んでいたら結構ふた風呂敷にもなってしまった。
 後日息子に取りにこさせるからと預けて置き、妹二人は車に積み込んでお手打ちと相成った。
 義妹が始末しなければならないものがたんとあり、大変なことと感謝する。
 車で来て引き払って行ってくれる業者があるそうである。
差し当って使えるものをスーツケースに入れて高速に乗り、がらがらと引きながら九時に帰宅した。
 形見とは身につけたり身の回りに置いて故人を偲ぶものである。
  
  俳句 福袋並べられたるカーショップ 
     鉢巻の並びし畑のもの寒し

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 新 年 会

2011-01-07 16:21:31 | Weblog

 どやどやと先に来たのは娘一家の四人であった。
寄植えの鉢を持ち上げて玄関の下駄箱の上に乗せたり、襖をはずして二間続きに手助けをしてもらうところから、家族の新年宴会は始まった。
 配膳の様子を一渡り眺めた娘が「これだけのしつらえを一人でするのは大変だったね」と言ってくれた。
  俳句 年用意出来る楽しさ老いてなほ 
 息子一家も揃いおもたせの年賀の品も床の間に積まれた。
ご苦労さまなことに、孫二人は仕事で欠席し八人が集まった。
 今年は私がお屠蘇の交誼の言葉をふられたので、
「それぞれの繁栄を願って息災で一年頑張りましょう」と言いぱちぱち拍手と相成った。
 孫の誰かが結婚したら持たせようと大事にとっておいた調度の器など来年のことは分からないからと、此の時とばかりに下して使った。
 三段重のおせちのつきだしと、刺身をつついている間に例年の事ながら蟹鍋の蟹も豆腐やえのき茸などぐつぐつと良く煮えてきた。   皆がおいしいおいしいと堪能して、あちらの鍋もこちらの鍋でも蟹の殻が、がら入れに満杯になるころそれぞれの鍋奉行が卵雑炊を作り始めた。
 孫の一人は海苔に鋏を入れ、刻み葱を勧めていた。私は台所へ立っていき森英恵や桂由美の蝶や花柄の椀に作って置いた味噌汁をよそって運んだ。漬物はきく芋をこの日の為に漬けて置いたのを出した。
 やがてアイスクリームやスイーツやコヒーが並ぶ頃、おどけた私が年下の孫に「積年の恨みを晴らさなきゃ、かるたをしましょうよ」と言ってみたが視力が0,1になってしまったから出来ないと言われ孫娘三人がコンタクトや眼鏡の話しに華をさかせていた。
 これもパソコンが原因の現代病であろう。私はいま阿刀田高の連載エッセイ「恋する小倉百人一首」を読んでいるが、その面白さを黙って胸に秘めて、家族のアルバムをどさーと何冊も出したら自分達の幼い頃を改めて見て楽しんでいた。
 最近の写真はパソコンファイルやデジブックにあるので拡げて見る訳には行かない。
 「来年は麻雀を持ってくるわ」と孫が言い私は私でからおけセットでも用意しよう、私の父は自分は下戸なのに、皆にお酒が行き渡ったころそれぞれの十八番を歌わせていたなあと思ったりした。
 十一時過ぎに皆が引揚げていき楽しい新年会は終わった。良いお正月であった。
 次の日私はなにはともあれとタクシーで初詣りに出かけた。
  俳句 連奏の琴の音響き淑気かな 
     達筆の賀状たてかけ小半日

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年おめでとう御座います

2011-01-01 00:06:35 | Weblog
 二〇一一年が明けました。雪が舞っているところも多いようです。新しい年を新たな命で謙虚に生きようと存じます。なべての人に良い年でありますように。合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする