おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

一年落着

2008-02-29 09:24:27 | Weblog

 三月一日の私の誕生日を記念して、 ブログサイトを、開設してから満一年である。マンネリ化して来たのと、近頃全てに対して、万年飢餓児みたいに、満足感がないので、遊びに来た娘にブログを止めるよと言ったらそれは駄目と言う。管理されている訳でもないのに何を言うの?惚け防止だとでも言いたいのかしら。

「誕生日何を買って欲しい?」「何んにも要らんわ・・・強いて言えば旅に行きたいだけ」

 それならば温泉へ入って美味しいものを食べようと、西浦温泉へ連れて行ってくれることになった。違うんだなあ、それって、きっと娘がしたいことなのではないか。私はスポーツウエアを着てで良いから歩き廻りたい。ヨーロッパへ行きたいと思っている。パソコン教室で、ちらりとそれを洩らしたら、今、ツアーでいけるよと言われてしまった。ほんと、でもそれって、誰か友達がないと侘びしすぎる。

 以前一期一会の文章を書いた時、向上しようという意識で生きていると、その時時に必要な人に必要な所で逢えると書いたことが、あったが私もラッキーチャンスに恵まれた。ブログを製本にすることを薦めてくれる人に出会えたのである。紹介者と一緒に会ってその気になり、一つの転機を得た。早速要望の原稿を添付メールで送ったら文章の校正が四箇所も来て前途多難を思わせる。慌てなくて良いのだけれど、パソコンも壊れたら足跡がなくなってしまうのだから製本に取り掛かることにする。

 前に、梅見に行きたいと言っていたのを、覚えていた娘が豊田の梅の坪で途中下車して、梅を観てから西浦温泉の高台から三河湾を一望してこようと言ってくれるので、後期高齢者になるのを記念して一くぎりしてこよう。今宵は二人でお酒を飲む。

  俳句 * ビル真下ぐらりと傾ぎ春寒し

     * 春寒し草花の根の落ち着けど

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忙しいばかりでいい加減の日日

2008-02-20 14:12:06 | Weblog

 喫茶店で句友とモーニングをしていて、おのずから三人句会になってしまった。

 今朝此処へ来るまでに詠んだ句を披露するにあたって、私が猫柳の事を、えのころと言ったら、すかさず季が違うと一人がのたまい、一人が、電子辞書を開いて、えのころ、猫じゃらし、秋の草とおっしゃる。

 子供の頃、通学路に柳畷と呼ぶ小川があって、その細い枝に銀鼠色の毛皮のような粒粒が正月の餅花のように、つき始めると、寒いとは言え春が来たなあと思ったものである。この地に住んでからもよく御嶽山で剪ってきては菜の花を添えて、活花にしたものである。

 えのころ、といっていたのは間違いだったのかと、次の飛機雲、飛機の雲の話題に移ってしまった。

 俳句なんぞは、のんびりと余生を楽しんで作句して居れば良いと思っていたのに、皆さん、それはそれは一生懸命で、例えば「河豚」と言う兼題が出れば食べた事がないからと知多半島まで行くとか、料理屋へ行くとか(食べた事のない人がいるなんて思っても見なかった)(お年玉)を配ると詠ったら、畏まってもらうものであったり、しっかり庶民派に属してないと点盛りでずっこける。

 市役所で税金の申告を済ませて、「ザ、めし屋」風なところで、一人で昼食をした。牡蠣フライ¥188円、高野豆腐¥105円、蕗のお煮付け、¥105円、生卵¥58円、味噌汁¥84円、御飯小¥137円、合計678円の値打ちな食事をした。

 家に帰って、パソコンの猫柳の写真をクリックして見ているとあるではありませんか。(えのころ、よのころ猫柳の異名)とある。私の育った田舎の呼び名は健在であった。

 さて明日のお仲間は、午前中は高齢者教室の作品発表会で、踊りなどを見てから、展示のしてある、句の短冊を撤去して、サンコムネット(パソコン)の、若い人のグループへ走りこみである。エッセイ教室は月に一回きりなのに、身一つなので、休むことにする。ファージーな日日である。

 俳句 ○ 飛機の雲池に矢と引く鴛の水尾

    ○ 探梅に応えて紅の雨雫 

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ばあばの食べ物アラカルト

2008-02-12 18:53:09 | Weblog

 え、鬼饅頭!そんなものが、召しあがりたいのですか。

 ここのところ毎日薬物メタミドホスの混入で、冷凍餃子が、話題になっているので、手作り餃子のことかと、思いましたわ。

 お安い御用です。子供の時、せいろに何人分も作って居たんですもの。私達戦争中の年代の者は、薩摩芋や、南瓜は、それしか無くって代用食として、毎日毎日食べていたのでアレルギーというか、何年も見るのも嫌だったんだけれど、あなた達がケーキつくるより簡単よ。

 先ず中くらいの薩摩芋を半分、一センチ弱の賽の目に切って、塩をまぶしてレンジ強で一分チンする。(現代ふう)

 その間に、ボールに小麦粉を、二つかみ入れ、お砂糖大匙三倍ほど(沢山入れれば、お茶受けによし)タンサン少々,色粉代りに、ウコンの粉耳かき一杯を合わせて、硬めに水で溶く。チンした薩摩芋も入れてまぜ、蒸し物さなの下に水コップ一杯半入れた圧力鍋に濡れ布巾を敷いて、手で(手が一番)どろり、どろりと重ならないように円く並べて、ガスをつけ、いきがあがってから五分蒸す。

 下の水が無くなる寸前に火を消すと、はい美味しい鬼饅頭の、出来上がり。出来立てが、しんじょうです。

 パンをきらした時お試しあれ。そういえば現役時代いつも営業帰りに覚王山で買ってきて皆に配っていた人がいたっけ。けっこうリピーターも居られるようですよ。

  俳句 ○ 立春や心積もりの模様替え

     ○ 沈丁の香りの中の立ち話

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節分

2008-02-06 00:16:42 | Weblog

 節分は、立春の前日、もとは四季それぞれの分かれ目を言う語であったが、現在は冬と春の境目のみを言う。 この夜、寺社では邪気を追い払い春を迎える意味で追灘が行われる。民間でも豆をまいたリ、鰯の頭や柊の枝を戸口に挿したりして悪鬼を祓う。

 徳川家康が名古屋開府に際して美濃の大須から移築させた寺、大須観音では派手に節分会が行われる。現代では宝船に乗った七福神がミス観音ものせて、一時頃栄を出発し2キロのパレードをしてきて、三時頃大須観音に到着し本堂前の特設舞台で、名古屋の福の神による鬼追いの儀式で、節分のハイライトを迎える。。

 私の家では炒った豆を升に入れて儀礼的に「福は内、福は内」と豆を撒くだけであったが、一昨年初めて句材を拾いたくて、大須観音へ観に行った。今年も行くつもりだったが、一年の内この頃が一番寒く雪もよいの天気だったので、家に篭ってしまった。

 大須は一昔前、今は亡き舅達の時代には、大層な繁華街であったらしい。七つ寺のお庫裏様が舅の姉で和尚様が、近衛兵時代の友人とかで、何につけても、大須、大須と言っていた。姉妹は、食いはぐれがないようにと、成田さんとか京都の花園とか、お寺へ嫁がせてあった。

 その年の大須観音の豆撒きの様子は、高く組まれた広い廊下の櫓に並んだ年男年女が、恵方に向かってマイクの号令に合わせ、一斉に手にした升から、「福は内」と叫んで豆をまく。撒く人が粛々と入れ替わって並ぶ。私はその下で、見よう見真似で、紙の買い物袋を差し出して豆を受けた。今年はさしずめ雪の用心に持参した傘を開いて、逆さにして受けた人もあった事であろう。大勢の人で、門の並びの芭蕉の句碑まで豆が飛んでくる。鳩も群がってついばんでいた。日本では、こうした古来からの謂れのある行事は、信じる信じないに拘わらず習慣として、踏襲されていくのであろう。

 後で判ったことであるが、句友も一人で行っていて同じ所で観ていたらしいのに、どちらも気ずかなかった。二人でならば帰りの珈琲が美味しかったであろうのに。

  俳句 ○ 鬼やらい鳩の豆追ふ観音寺

     ○ 豆撒きを帽子で受くる善男女

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