おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

石火光中 (白居易の詩に、石火光中此の身を寄すとある)

2007-03-30 11:21:23 | Weblog

 

               前日から髭を剃り

                 姉妹と楽しく語らうはずだった

  

               三人も来るのか

               そんじゃどこかへ

               逃げて行かないかんなあ

              ん、もう、 自分で呼んどいて

 

               その日は喜寿の二日前

               朝風呂で心臓麻痺でいってしまった  

        少し笑って

 

               生老病死

               生まれることだと思ってた生とは

        生きることだったんだ

               始めて気ずいた婆さんは

               取り残されて卑屈になった

               伏し目になった

               生も歓喜死も歓喜とは

               まだ思えない

 

               アル中でも根は商売人

               計算したような臨終               

               検診も受けようとせず

               せいいっぱいに生きていた

 

               カンネツに絞ったタオルが

               湯船の縁に

 

               酒持ってこいとはもう言わない

            俳句

              * 草餅や一人点前の盆の上

              * 朱の橋をまなかいにして草の餅

 

 

  

 

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細胞分裂

2007-03-25 18:13:15 | Weblog

 初孫が中学生になるので、お祝いに靴を買ってあげるわと、デパートへ行く娘の車の中で

 「はやいわねー。未だこの間貴女が、六年の卒業だったと思えるのに、私の時のことでさえはっきり覚えてるのに」
 「人類って細胞分裂だって」
 
 私の十二歳の夏は終戦だった。国中が復興に血道をあげるはざまが、ローテーンだった。
 高校も未だ大学への予備校化はしてなくて、就職した会社で、仕事が終わるとその頃の風潮に習って労働組合運動に専念していた。

 メーデーには名駅前の旅館に泊まって鶴舞公園に集まり、八時間労働、最低賃金法などを戦ってシュプレヒコールをした。 結婚して商店主婦となったが、台頭してきた現金仕入れ現金販売の巨大資本に十年で、あえなく負けて辛酸を舐めた。

 子供二人がそれぞれ結婚し孫が出来ただけでも良しとしているのにこの日娘が        

 「私いろんな意味で自立してるし、自信あるし、良い娘に生んでくれて有難う」

と三十九歳、直立不動で頭を下げてくれた。 

 おおてれにてれた私は、「苦労させてーそれが返って良かったんじゃない」

勲章をもらってしまった。

 歳相応を認識し良い縁に触れて生活し、細胞分裂ならば少しでも質の良い分子を残してやらなければ・・・

 これは、十年前の話である。   

俳句

 * ラガーマン牛乳がばと飲みゆけり

 * フランスに立つとふ電話風光る

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さくら1

2007-03-21 17:41:31 | Weblog

 藤ヶ丘は、どうして地名を桜ヶ丘としなかったのかと、不思議になる程、桜が満開になる。ビルは新しく、住人の層は若く、学生も多い。商店街の花祭りの、数々のイベントの中の一つには鼓笛隊も通る。 今日を限りと凛として咲く桜、桜、桜の花群の並木道を、感嘆に息を詰めながら、今年も歩こう。先年万博の折り駅周辺が、改築されたりしたから、桜事情に変化がなければ良いが。 もう一週間もすると花の街となる.

  俳句 

       *   花筵腰下ろしたき人と居て

           *   花の茣蓙一会の人と酌み交はす          

     *       花衣友の訃報を聞きつ解く

          *   花の下別れに小さく手を振りて          

           *   散る桜御計らひにためらわず    

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いじめ

2007-03-17 17:37:14 | Weblog

 *月*日 終業のベルが鳴った。早く学校を出なきゃ、集団下校も良し悪しだ。授業時間の違いのせいで、三年生ばかりで帰る時がきつい。脇道へ腹で押してきて、一緒に遊ばない僕に金をせびるんだ。

 *月*日 僕は標的にされている。いままでおとなしかったAもBも、ぐんぐん躰が大きくなって、ひ弱な僕を追い越して番長格だよ。コンビニで弁当買って夕飯済ましといてと、もらってた金を取られた。僕、何も喋らなかった。

 *月*日 多勢に無勢、シカトされてるって気がつく。何で僕がと思う間もなく放課に迄つるんで仲間をふやしては、囃し立てるようになった。うざい。きもい。死ね。あっち行け。学校にくるな。一人で耐えてやり過ごした。

 *月*日 殴る、蹴るには耐えたけど今日は決定的な事をしやがった。パンツをはがされたのだ。一度で足りずに二度までも、そんなに見たきゃ自分のを見るがいいさ。昔爺ちゃんの田舎じゃすっぽんぽんで泳いでたんだぞと、心の中で叫びながら、涙が出た。

 *月*日 トイレの向こうで女子が何事かとひそひそ話しをしていたのも、みじめになった原因、受験受験と唄ってる母親は、親父が帰れば、いちゃいちゃしてるし、お洒落にうつつをぬかしてる暇があったら、兄弟生んどいてくれればよかったのにな。

       (フィクション)


    俳句       逆さ富士映り鴛鴦まどろめり

                     卒業の袂華やぐ学生街

                     沖縄は春なり海はエメラルド

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弥生

2007-03-13 23:55:31 | Weblog
 ホテルキャッスルの前で、市バスを待っていた。早春とは言え、三時過ぎると吹く風は冷たい。
 お堀の水鳥が七羽、私の視界で、長い首を水につっこんでは餌をあさっている。
太陽に映える城の景観とマッチして、とても美しい。
 車に乗れない私は、今日も良く歩いて先の細い靴の中が痛い。
水の面を眺めながら、ふっと11月にいった琵琶湖の鴨の壮大な軍団はどうしているかしらと思った。
 バスが来るのが見えた。ほっとしてくるりと向きを変えると、道の向かい側の駐車場の網越しに、老婦人が、私に頭を下げてなにやら頼んでいる様子、見ると帽子が、風に飛ばされて道の中程にある。拾ってと言っているのかなあと思うのとバス
が停まるのと、同時であった。
 バスは帽子を、轢いたであろうか。婦人に答えられぬまま、私は開いた入り口から中えと乗り込んだ。
 この事がいつまでも、気になっている。

      俳句  
         * 堀の鳥沈むも浮くも水温む
         
         * にび色の湖北の空を鳥帰る

         * 庭にくる番の鳥を見て日永

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活け花

2007-03-08 16:38:31 | Weblog
 誕生日に大きな花束を、いただいた。
玄関の下駄箱の上の花瓶にローズ色のストックを、天、地、人、として黄色を添えにする。スイトピーの透けるように薄い花びらの淡いピンクや、ブルー、イエロー
を中間に挿して、マーガレット、の白も奥にいれる。後ろから覆うように、霞草を活けると、何ともゴージャスな投げ入れになった。
 壁にマリーローランサンの絵でもあれば、フアンタジーそのものである。
座敷の盛り花は、桃とチューリップ、フリージアだったが、スイトピーを何本も追加したら、遜色の無い節句の床の間になった。立ち雛の掛け軸も嬉しい。
 まだ余るので、小ぶりの竹かごの花器にボリュームいっぱいに活けキッチンのテーブルに置いた。
花同士が呼び合い活けてもらいたい色を主張するのか、白と黄色のコントラストは
この季節清明の一言につきる。気を貰って私は健在である。

         * 俳句
               一望の潮目縞なす春のいろ

               幾人も育てし母や葱坊主
  

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雛人形

2007-03-05 00:54:01 | Weblog
 思い出は、自分の行く手に繰り出して進むもの。
子供の頃、長女の私のお雛様は大層大きな立派なもので
あった。母は楽しげに、右近の橘左近の桜と歌うように
飾っていた。
 紫宸殿を模したものか御殿の両側には、廊下が巡って
いた。五人囃、足軽、御調度の下、緋毛氈の先には、土
雛がずらりとならんでいた。
 本人は、さして喜ぶでもなく見に来る近所の子供たち
と一緒に庭に立って、おひねりのあられを、もらったり
していた。
 私の長女の時、松阪屋から届いた御殿飾りのそれは、
晴ればれしい顔の父が{お前の家の床の間に合わせて誂
えた}というちょっと小ぶりな物であった。
 高校生で、もういいからと言う迄出していたが、初孫
の時それを修製にだした。
 人形店で00作と名のあるこんな良い人形は大事にな
され。今はプラスチックばかりだよと言われて始めて、
亡き父の愛情にきずいた。
 娘は良し悪しがわかるかして、良い表情のお雛様と二
十年も飾り続けている。
 私のひいなも四姉妹達者な内に実家の蔵から出して性
抜きをせねば。

      俳句 ○ ははそはの土雛も飾り数え歌

         ○ 病院の受付せばめ押絵雛   

              
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鬼百合の園

2007-03-02 18:55:41 | Weblog
 三月は私の誕生月なので、記念にブログを始めること
にする。サイトのタイトルを、「おにゆりのその」と言
う。 何故鬼百合かというと女学校三年生の時に東京高
師から、教生で、来ていた先生に憧れて皆で良く先生の
下宿へ話しを聞きに行った。
 三月お別れにと、隣の部屋の画家に先生がイメージさ
れたそれぞれのタイプを花になぞらえて描かせ、それに
詩を書いてくださった。
 皆さんは、山茶花、菫、たんぽぽ、水仙、マーガレッ
ト等と優しい花なのに、私は鬼百合であった。それ以来
それがコンプレックスになっていたが、60年も経つと、
開き直って、あの時代カサブランカがあったら、どうだ
ったかなーと思うようにしている。
 ま、身辺雑記、俳画、俳句とつたない遊びで、鈍行で
出来たら良いな。

       俳句 

            庭の梅身の丈となり咲き初むる

            日当たりて墓に鶯聞きに行く 
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