おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

   坂

2010-03-26 14:57:48 | Weblog

 私の住んでいる所は竹の山と言う地名からして、なだらかではあるが高みである。
 おおげさに言えば家の前で自転車のぺタルに足を乗せればあまり踏まなくても東以外は私の日常の行動半径へは行ってしまえる。
 東側は希少な広陵地帯が名残をとどめ愛知学院大学の桜に始まって御嶽山(長野の分身)の山桜もちらほらと白を増すさまを眺めながら南へ下って行く。
 行きは良い良い帰りは恐いと言いながら黄色の菜の花や池の鳥が帰っていき漣に泳ぐ僅かな留鳥に里山の風情を味わうのはゲートボール場までの楽しい25分のサイクリングである。
 ところが今年は今迄身に覚えのなかった花粉症に取りつかれて涙と鼻水とくしゃみに悩まされることになった。
 良くないことは重なるものでこのブログを製本する3月になったので、重複で間違ったヘッダーフッターの修整に悪戦苦闘しているところに、市の検診で世話になったお医者から「去年の8月に出した検便の結果が良くないので精密検査をした方が良い」と電話が入った。
 何で去年の8月のを今頃通知してくるのかと思ったが今日胃薬をもらいに行ったお医者にそのことを言うと、
大腸のMRIを撮ってくれてこれでは判らないから次は明後日内視鏡で診ましょうと言われエニマクリンなどの検査食を沢山、雨が降って傘を挿しているのに持ち帰った。
 さあて明日は後輩のAさんと御園座の約束がある。5時開演なのに若い彼女は昼から出て電気館をみてから入ろうと張り切っている。
 今更断る訳にはいかないし遊ぶことにもエネルギーの要ることである。
 私が入場券を持っていて誘ったのだから私の行程で行けば良いのに先のお医者の日にちの摺り合わせと言い、いつも相手に合わせてしまって苦労する。
これからはワンクッション置く慎重さを持つように気を配ろう。
 とにかく明後日は自転車で、この坂を西へ向いて朝8時半までにさあーっと下りて精密検査に行こう。

    俳句 春の雨庭に忘れし移植鏝
       春宵やすっくと立てる観音像

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そ れ か ら

2010-03-13 00:04:30 | Weblog

 市から国勢調査員登録申込書が届いた。
 五年前に携わったからである。二十歳以上の健康な方、責任を持って調査を行える方、税務、警察、選挙活動に関係のない方、秘密保護に関して信頼のおける方、任期は九月一日から十月三十一日迄、募集人員は六百名で定員になり次第終了すると書かれている。
 五年前に華々しく開催される筈の万博に一緒に行くはずだった夫を急に亡くした。やがて開かれた万博にフリー切符で足しげく通い設置されたブースの数々がが、今でもそのまま記憶にある程であるがその時は悲しくて、気持ちが暗く重くちっとも楽しくはなかった。
 大体夫は私が勤務先を変えるたびに気がつくとその近くに勤めていて、お互いの通勤に良く車で一緒したものである。
 そんなに心配なら床の間に飾っておいて自分が磐石に働いてくれれば良かったのに。
 「営業に関しては兄貴の社長も右には出られない」と舅の折り紙つきであったのに一度商売に失敗したら人間がちぢんで行ってしまっ
た。 
 私の勤務先へ営業所の監査役として紹介すると姫路や金沢横浜静岡などへ出張し先方が待っていると飛行機が恐いからと新幹線で着いたり、不良債権もあばききらずにその額の大きさに尻はしよりで逃げ出して三年で退社したりと先ず肝っ玉の小さい人であった。
 それを会社を見る目があるわと感心するような馬鹿な私であった。
女性であることを忘れて働いたつもりの私が夫に死なれて万博も終わってみると、退屈な時間に困り、先の国勢調査を引き受けたのであった。学生相手であったので認識の薄い年齢層で、何度もなんどもオートロックのマンションに通って、足を痛めてしまった。
 整骨院の先生が言われるには、万博以来足を痛めて通院する患者が増えたとの事、その上私の場合は、国勢調査でも歩いたのである。
 報酬はマッサージと膝の水抜き代に消えた。それから足も直って喉元過ぎれば暑さも忘れ
、今また応募しようかと迷っている。
 あの要領の良い夫が居たなら当然そんなことはやめろと言うに違いない。そう言う私も五年経ってやっと一人住まいにも慣れて来た。    

   俳 句  夜の星写したるやも犬ふぐり

        爆音のみ響きて低き春の雲

 

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喜 寿 に 思 う

2010-03-02 16:13:14 | Weblog

 普段、歳のことはあまり気にせずに暮らしていて、喜寿になってしまった。
 誕生日の前日二月二十八日に子供と孫の二家族が、新装なった食事処の「木曽路」で祝いの席を設けてくれた。
 開会に当たって代表で息子から一言「七十七は七を三個重ねる喜ぶと言う字に似ているので古来その歳を喜寿として祝うことになっている。ここまで長生きをしてもらって喜ばしい限りである。今後とも健康に気を配って米寿までも卆寿までも長生きをしてください」と祝福の言葉があった。
 「今日は祝ってくれて有難う。喜んで五年前に亡くなったおじいちゃんの分まで躰に気をつけて暮らそうと思います。皆大きくなって・・・これからは人間としても、大きくなって行ってください」
 と当たり前のことしか言えなかった。
二、三日前に娘から何か欲しいものは無い?と聞かれて即座に電子辞書と言ってをいたら、随分と高価そうな辞書を贈ってくれた。
 私の必要とする歳時記はもとより日本文学が三百冊も、英語、フランス語、中国語も入っているとのことである。
 
老眼鏡をかけてルーペで広辞苑を見るのは重いのと字が小さいので難儀になって来ていたので有難いことである。
 只電化製品を買っても取説を詠まない私がこの先は使いこなせるように、勉強をせずばなるまい。
 孫一同でリボンで飾られた室花の大きな花盛りがプレゼントされた。
晴れやかな皆の顔を目の辺りにして嬉しいやらてれくさいやらで豪華な祝い膳を完食した。(但しその晩は抜いた)
多くの料理に金粉がかかっていた。
 家族が増えることは良いが一人でも欠けると寂しいから感謝して喜びの日を過ごそうと思うことしきりである。
 それと早速このブログを製本して三冊目を配ろう。年々歳々ネタも同じようなものばかりで一冊目のようにバラエテェーに富んだものが書けなくなってきている。
 この次は傘寿で句集ということにしよう。
 
季節は粛々と春に向かっている。孫達からの沢山の花を分解して、投げ入れやら盛り花やら仏華に活けることにする。感謝!
  

  俳句 春愁や喜寿の祝いの膳に着き

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