私は自分が、嗅覚障害なのではないかと気づき始めてから何年にもなる。その始まりが何であったかは、よく分からないが、夫を亡くしてからのような気がする。
蘭の館や、薔薇の園、花の博覧会等に行って花を褒めて歩いていて、もっと香りが馥郁と匂っても良さそうなものをと思った。
そうなると気になりだして、ちょっと身を引いた感じで観察してみた。 妹は一緒に居るとやたらと、良いにおいとか変なにおいとか言いたてる。
「嗅覚の発達している人は頭が良いらしいから良いじゃないの」と言いながらなら、さて私は?と言うことになる。
医者に診てもらえばいいのだが、それでなくても月に一日は、血圧の薬をもらいに行く医者、胃薬を取りに行く医者、膝の電気治療をしたあげく湿布薬を出してもらって来たりと、医者巡りをしている。
それぞれに一長一短があるので、総合病院でまとめてとは行かない。この上耳鼻咽喉科までかと思うと気が重くなり、そのままにして三、四年が経つ。
俳句を詠もうとするのに季節ごとのかぐわしい香りが届いてこないと言うことは、絵か写真を見ているようでまことに不具合なものだ。 息子や娘が来ると、すぐに玄関近くの窓をあけて、空気を入れ替えている様子なのも気になる。
そうこうしているうちにこの二、三日、これも何が起因か知らないけれど、鼻がすかすかすっきり通り、狂想曲を聴くように様々なにおいがしてくるようになった。 今夜などは入浴の折洗わなかった髪の油っぽいにおいが、まつわってきて嫌気がさして、眠れなくて困っている。
諦めていたのが治るとなれば、お医者にかかって、より改善すると言うステロイドやビタミン剤を処方してもらおう。
何だか嬉しくなって来て、此の秋も香らなかった木犀のことを思い、来年の梅こそはと期待に胸がふくらんでくる。
俳句 枯れ落ち葉赤き二枚は友なりや
石庭につわの花添ふ五輪塔