おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

に お い

2009-11-17 14:34:54 | Weblog

 私は自分が、嗅覚障害なのではないかと気づき始めてから何年にもなる。その始まりが何であったかは、よく分からないが、夫を亡くしてからのような気がする。
 蘭の館や、薔薇の園、花の博覧会等に行って花を褒めて歩いていて、もっと香りが馥郁と匂っても良さそうなものをと思った。
 そうなると気になりだして、ちょっと身を引いた感じで観察してみた。 妹は一緒に居るとやたらと、良いにおいとか変なにおいとか言いたてる。
 「嗅覚の発達している人は頭が良いらしいから良いじゃないの」と言いながらなら、さて私は?と言うことになる。
 医者に診てもらえばいいのだが、それでなくても月に一日は、血圧の薬をもらいに行く医者、胃薬を取りに行く医者、膝の電気治療をしたあげく湿布薬を出してもらって来たりと、医者巡りをしている。
 それぞれに一長一短があるので、総合病院でまとめてとは行かない。この上耳鼻咽喉科までかと思うと気が重くなり、そのままにして三、四年が経つ。
 俳句を詠もうとするのに季節ごとのかぐわしい香りが届いてこないと言うことは、絵か写真を見ているようでまことに不具合なものだ。 息子や娘が来ると、すぐに玄関近くの窓をあけて、空気を入れ替えている様子なのも気になる。
 
そうこうしているうちにこの二、三日、これも何が起因か知らないけれど、鼻がすかすかすっきり通り、狂想曲を聴くように様々なにおいがしてくるようになった。 今夜などは入浴の折洗わなかった髪の油っぽいにおいが、まつわってきて嫌気がさして、眠れなくて困っている。
 
諦めていたのが治るとなれば、お医者にかかって、より改善すると言うステロイドやビタミン剤を処方してもらおう。
 何だか嬉しくなって来て、此の秋も香らなかった木犀のことを思い、来年の梅こそはと期待に胸がふくらんでくる。

  俳句  枯れ落ち葉赤き二枚は友なりや
      石庭につわの花添ふ五輪塔  

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「風のつらら」ですってよ

2009-11-07 08:46:34 | Weblog

これを詠んだかたから、私との関係性、靖子ちゃんと先生の関係が解らないと指摘されたので、注釈を入れる。2007年11月6日「木の葉散る」で書いた従姉妹のことで、先生とはその夫のこと高校の先生をしていた詩人。

 靖子ちゃん、先生から「風のつらら」と言うタイトルの小説が送られて来ました。
 一人称で書かれた二百ぺーじからなる本の妻の名前は矢津子でしたが、まぎれもなく靖子ちゃん、あなたのことでした。内容は、 乳がんから皮膚に転移した末期癌の妻を、自宅で看取った一組の夫婦の、ある愛の物語。
 乳腺症になった時、癌センターで看てもらって、近くの遠赤をしてくれる病院へ変わって二十年来異状がなかったと言うのに、他の病院で、マンモグラフィで測ってもらうと、手遅れだったそうで、さぞかし泣かれたことでしょう。
 闘病が始まると、岐阜から通っていた、名駅の高層ビルにある着付け教室の学院長補佐役を退かれた。
 動けるうちにとオーストラリアの七百名もの招待客の、結婚式で、あなたが着付けた花嫁さんは赤系統の振袖姿で、あなたはしぶいグリーン系の着物で手を携えて進むと拍手喝采だったそうで退き際に華を飾りましたね。
 自宅で開業しお弟子さんを取ったり、プライバシーは他人にしゃべらなくても、やましい事ではないと理解してくれる先生に車を運転してもらって、着付けの出張をしたりして、生甲斐にしてらっしゃったのに掌の腫れが人目につくようになり、背中にまで癌が蔓延するようになると、今度はすっかり閉じこもってしまわれた。
 2004年の手術以来2005年の放射線治療、抗癌剤と進むと「迷惑かけて、こんなになったら死んだほうがいい」「そんな事ねぇて、放射線すれば治るからがんばろうや」二人で背負って癌の進行に立ち向かわれた。
 あまりの苦しさに「殺して」と言ったり「一緒に死んで」と言ったり躰全体に癌が拡がって背中が痛いので抱きしめてやることも出来ない。
 余命六ヶ月の宣告を受けてからの苦痛は居ても立っても居られないものであったと。
 ポータブルトイレや、シャワー椅子を入れたり、
痰を取ったり、座薬を入れたり、ガーゼ交換も日に何度もで、先生も一緒に死んでと言うのが自分の言葉かと錯覚するほどであったらしい。
 誇り高い彼女を例え正月が越せなくても、人間性を失わないうちに死なせてやった方が良いのかと思ったりしたとのこと。
逝く時は気がつくと息をしていなくてそれはそれで、たまらないもので先生は、ご自分を責められました。
 「あなた、
私のこと書くでしょ」やっぱり物書きは有る意味冷酷である。自分達の生き様として此の小説は書かれた。
 太陽が照りだすと庭の蛇口のつららに水をかけて置かないと破裂することがある。その破裂して雪に噴射するしぶきは体内に飛び散る癌細胞であると、先生も未だ精神的におかしいのか、それとも詩人だからの発想なのでしょうか?靖子ちゃん。

  俳句 雑木道しばし歩みて水澄めり
     どて南瓜牛を飾りて
ハロウィン

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