おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

今浦島

2019-03-26 15:04:29 | Weblog

一ヶ月一回開いている「にぎわい句座」が四月は吟行と決まった。
 私を家まで送ってくれるAさんが、道中にある北部福祉会館を当日の会場として申し込んでおこうと言われた。
 ところが、幾つもある部屋はそれぞれ満杯であった。さあそれからが私の難行が始まる。去年の五色園の日記を見ると
 「やれやれ、吟行は終わった。もうこれからは、主になってこういうことをしないいで置こう]とかいてある」
岩崎川と目的地は決まっているので、句会をする場所と駐車場と歩く行程だけのことなのに、夜も眠れないほど心配するのは私の癖である。御岳団地の古い知り合いに相談すると北小学校の駐車場は誰が止めてもいいし、彼女たちが当日午前中コーラスで使うという、コミセンを申し込ませてくれたので、クルリンバスで行って申し込んできた。
 その旨先生に伺いをたてると「川沿いばかりでは、物足りないでしょうから岩崎城もいれたらどう?」と返事が来た。ならば勝手知ったる道だからと一緒に歩いてくれると言う他の句会のUさんと歩いた。ところが何と大違い。ここにすんでいた三十年前の路地は法外にかわっていた。
 当時夫は盆栽仲間のМさんの家へ日に何度も通っていたし、その家は代が変ってこじんまりした家いえにうずもれているし、私と仲良くバイトでゴルフボールをひろいに行っていたNさんの家も子供か孫か二軒ばかり新しい家が増えているし、路地に入るとこんな有様なので広かった田んぼは家がびっしり軒並みである。
 来たかった城の前面へ着くにはついたが、満足のいく風貌ではなかった。車に乗れないのは私くらいだから、裏の駐車場へ周るなり何なり自由にしてもらおう。あとは桜の咲き具合と会の進行のつつがないことをいのるとしょう。

       俳句   城下町今浦島に桜ふる

 

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笑 っ た 話

2019-03-12 00:23:02 | Weblog

月9日の土曜日に顔を出した息子に私は言った。
 「夕べひどい地震がゆすったねー」「え!地震なんかゆすらんよ」「うそ、私眼をさまして、これは大きい横ゆれだあ天井が落ちて来るかもしれないな、でも起きたくないし、震度3くらいかなと思ったらやんだので眠ったわ」
 この2,3日胸騒ぎがしたので昨日エディオンへ携帯電池を買いにいったのであった。私の感性は怜悧に清んでいたなあと思ったんだった。
「ほんとにゆすらなかった?」「ゆすっていれば、テレビでなりと言うはずだし」と息子
 「は、は、は、いよいよ私認知症かなあ」「は、は、は、は、は、は、」でその話は終わった。
 次の日曜日句会の終わる4時半に娘が会館へ迎えにきてくれた」「ちょっと日が永くなったねーアオキで買い物を一緒にしてから家まで行くわ」と言ってくれた。
 そこで昨日の地震のことを言うと「え、ゆすったよ、夜中の1時頃、私お風呂に入ってて困ったな逃げなきゃならないようなら裸だものと一瞬思ったもの」「本当、やっぱり私が、あってたねー」と笑えてきた。
 3月11日は東日本大震災から8年警察庁のまとめでは、岩手、宮城、福島、の3県を中心に死者は15、897人、行方不明者は2,533人に上がる。11日は地震発生時刻にあわせて全国各地で追悼行事が行われる。と新聞なども書き立てている。
 娘の言う震源地は岐阜県だった震度3の、この話の後日譚を私は未だ公にきかずにいる。
改めて非常時持ち出しのリュックの横に新しい手ごろな大きさの携帯電池をセットよろしく確認して置いた。
       

                 俳句     紅梅に小鳥が止まり蘂つつく

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