おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

О B 会(その1)

2012-09-26 17:29:16 | Weblog

 「今年はいつまでも暑いわねー」と現在形で言える最後の九月二十四日勤めていた保険会社のОB会が栄の国際ホテルであったので、久々に出席した。
 二回欠席すると名簿から、はずされているそうなのにKさんの骨折りで復活していた。
 会う人会う人、懐かしい顔ばかりである。入社当時の支部長が今はОBになられたとみえて、受付にいて「おお水谷さん」と声をかけてくれた。
 「良くお判りになりましたねー」「そりゃー」と握手をして、研修過ぎに入社試験を受けようか止めようか迷っていた時、夫を説得に家まで来てくれて、帰りに家の前の標識にバンバーをぶつけて、帰られたことを思い出した。
 昔知ったる女性五人と今年定年になったという男性とでテーブルに着いた。今日の出席は百五十二人である。此処は当時大きいイベントがあると良くつかっていたホテルでシャンデリアもそのままである。
 例に依って総会では挨拶や報告が次々とあり、さすが私以外は金持ち集団とみえてコンサルティング部より「資産運用」「相続関連」「保険の相談」を受け付けますよと一枚もののパンフレットが配られた。
 現在の支社長の乾杯の音頭で懇親会に入り料理に舌つづみを打った。
クラウンレコードとキングレコードからキャンペーン中の歌手が呼んであり、からおけタイムになると会員の歌と舞踊があったりした。
 ビンゴゲームは私はやっぱりスカで当たらず終い。
社歌を歌って解散し男性なら二次会と言うところか、中日ビルの下の確か昔は「ふるさと」と言った気がするがレストランで一瞥以来の話で女性五人はもりあがって紅茶を何倍も飲んだ。

    俳句  ОB会百歳の人ビール受く     

          碑の影濃くなりて秋彼岸

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 秋 彼 岸

2012-09-15 09:16:20 | Weblog

暑い暑いと暑さと戦っている内九月半ばともなると、異状気象ながら、朝晩の風が涼しくなってきた。
 冷暖房設備のなかった子供の頃はどうしていたかと想いを巡らせる。夕方行水をして、天花粉をはたいて、団扇を持って表に出て行くとお向かいの豆腐やさんが、仕事を終えて縁台を出して涼んでいて、ここへお座りと場所を空けてくれたりした。
 春日神社につきあたる県道で一日に何本かはバスも走っている道なのに、あちこちの縁台では将棋や碁が打たれていた。
 此処私の育った故郷では、善光寺と観音様と春日大社 が、季節毎にその寺や神社の祭りやそれに付随する催しものがあって、子供を飽きさせなかった。
 観音様の九万九千日だなどと言うと、学校から三キロ程の道を息を切らして飛ぶように走って帰り、余所行きの洋服に着替えて、お小遣いをもらい、一緒に帰った仲間と大門から仁王門、本堂まで、とくに仁王門からの高い高い柏の木に鳴く、ごい鷺の声をききながら、繰り出して行くのであった。
 沢山お小遣いをもらえぬ子に合わせて、綿菓子などをしゃぶりながら、屋台店を巡り寅さん映画に出てくるような、香具師の口上をあきもせずに聞き入ったり、男の子はやどかりのアンテラに集り、女の子は海ほうずきの水中花を取り巻いた。
 今の世の中のようにいじめなどは聞いたことが無かった。仁王門からの三重の塔を含む一帯はなかなかのもので戦後いち早くその一室で鎌倉文士五人ほどの講演を少人数の女学生で聞いた覚えがある。横光利一の語った「笑いの序列」などは良く覚えているが、この人は短命であった。
 春と秋の彼岸は善光寺が賑わった。善光寺は町の一番西で遠いが、行かなければならないようにして維念坊の居の前を通って坂道をあがって行き暗い戒壇巡りに興じた。
 お気に入りのセルの洋服を着ていき、前の店でところてん等を食べに座った覚えがある。
 春は春日大社の祭りで、伝統の山車が各町内から出て集結する社では山車の上で人形がひょっとこ踊りを披露したりした。能舞台もあって仕舞も奉納されたりした。
 果て盆には地蔵祭りがあって、子供が「蝋燭や線香を献じられまーせ」と声を張り上げて詰めていた。町のあちこちに春日大社まで何里とか言う石の道標が埋められている。
 戦後経済復興の名の下に商工会が主催する行灯祭りが、すごい勢いで駘蕩した事があったが、所詮企業態化して、町工場の主体性が無くなると、あんどん祭りも下火になった。
 私達のように故郷を後にした者が郷愁から、無責任に疲弊していく伝統を「町おこしにしたら」などと考えるのみである。
 ふるさとを思いながら、差し詰め明日は今住んでいる我が町の花火に行こうとゲートボールのキャプテンが浴衣に帯を締めて車で迎えに来てくれる。  

       俳句 善光寺の戒壇めぐり秋彼岸
           睡蓮を咲かせて庭の陶火鉢

 

 

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  八 月 尽

2012-09-05 22:24:45 | Weblog

 

 八月三十一日朝7時に娘が迎えに来てくれて、箱根のポーラー美術館へ連れていってくれた。
高速道路の新東名は初めてなので、トンネルの多いのには驚いた。通行車両が少なく車もプリウスなので、スムースで静かなのが嬉しい。
 静岡のサービスエリアのコーヒーショップで、犬の檻が見える側を私が背にして腰掛けティタイムを持った。
 愛知、静岡、を過ぎ神奈川へと入り仙石原の小塚山にある、コレクター鈴木常司の日本最大級の規模を誇ると言われる美術館の展示を音声ガイドを耳にあてて、ゆっくりと見て廻った。
 モネやユトリロ、ルノワール、ピカソ、平山郁夫等何点かは見覚えのある本物に又巡り逢えて幸せな気分であった。
 ポストカードを買ったらしく、ゴッホの「あざみの花」と岡田三郎助の「あやめの衣」とをくれた。箱根の森に面した明るいレストランで遅い昼食をとった。
 次にガラスの森美術館へ行き雨が降ったり陽が照ったりの庭園をガラスの草木から雫がしたたるように見えるのを見て散策した。
 何よりだったのはクリスタルトリオアンサンブルのサマーコンサートと称して演奏楽器は身近にあるガラスの食器などで、グリンカ音楽院の人が唱歌を演奏してくれた事である。「千秋楽」などと言って二学期が始まる子供たちも優しい音色で優しい気分になった。
 そこを出ると私達世代の者は驚くことの一つであるが、ツイッターで宿探しをしている。どこも良い所は満杯で「富士やホテル」にでも泊まりましょうかなどと冗談を言い「新婚旅行じゃあるまいし・・・私達の時代は、伊豆下田、熱海、箱根が常套だったのよ」
 箱根の山は天下の険と上へ上へと車はあがっていき「おくゆもとホテル」に落ち着いた。
 六階の和洋二間で源泉掛け流しが気に入った。花火をする人は五時半からの夕食で、私達は七時半にして、ビールをジョッキ一杯半ずつ飲んでバイキングでも運んでくれるし、ご馳走でおいしかった。
 翌朝は庭園やプールや滝などを散策した。ロビーでモザイクの携帯ストラップや、きりこ風のガラスの醤油入れや、人にあげる土産のお菓子などを買ってチェックアウトをして芦ノ湖まで、七曲りを降りていった。
 サイケデリックな金時神社があった。、「箱根駅伝は、そうとう過酷ねー坂ばかりだから」と話しながら湖畔で車から下りて海賊船をみた。夏休み最後の日とあって、じきにひと回りしてきては人を入れ替えている。きっと外人客も多かろう。
 二日とも、とうとう富士山は、ちらとも見えなかったが箱根はいつもゆっくりと遊んだ感があって好きなところである。 感謝!

  俳句  赤とんぼ外湯飛び交ふ元箱根
       芦の湖の海賊船や八月尽
 

 

 

 

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