おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 一 年 ぶ り で

2011-08-28 14:33:27 | Weblog

  毎年恒例の軽井沢での高校時代の同窓会へ、いそいそと出かけた。
 名古屋から実家のある町の集合場所までは、私が一番遠いので、もう来年はやめたと言いながら毎年参加してしまう。
 栄オアシスから一時間ニ十分最後の私を、皆を乗せたバスが待っていた。
 予報通りの曇り空のもと中央道を入ったり出たりして、車山の麓でお蕎麦の昼食をして、メルシャン軽井沢美術館で、アンデル・シダネルの薔薇と光の絵画を観て併設されているウイスキーの蒸溜所での案内も聴いた。
 旧軽井沢でバスを駐車場へ入れて、そぞろ歩きをして、おきまりの刺繍の店でポーチやテーブルクロスを買った。
 
人と約束してきた枕カバーは中国産そうろうの刺繍になってしまっていたのでがっかりして買い控えた。 
 
万平ホテルまで歩いて行ってジャムを買い込んだが、コーヒーを戴く暇も無く東京勢の待つ山荘へ急いだ。
 一年ぶりの懐かしい顔ぶれで今風にハグをしている人もいる。夕食は涼しさを満喫しながら話が尽きない。
 男性はよく飲んでいた。次の日は八時に出発して国営のアルプス公園へ行ったが雨なので視界を充分に楽しむ事ができずに、今NHKで放映している朝ドラの安曇野の「ひまわり」のロケ地を見に行った。
 道祖神も雨に濡れあぜ道もぬかるんでいたが、背の低い蕎麦の花が田圃一面に咲き、水車を共にした藁葺き屋根の家からは、今にも物語の竹蔵が縞柄の木綿の着物で出て来そうな風情である。
 わさび農園の畔の店で盛り蕎麦をいただき、次に小布施の町
 を散策してから岩松院へ葛飾北斎の八方睨み鳳凰図の天井絵を見に行った。
 天井絵で有名な寺で以前来た時は寝転んで観たが今は椅子が置いてあって観光用に入場料も取る。
 本当によく走ってくれる運転手はわたしたちのこの学校の後輩で戦後生まれの人である。
 ラストの日は諏訪の片倉館へ寄ってくれて、結婚までを関の片倉で働いた私としてはおおいに満足であった。
 長野県は一度ならず二度三度と訪ねるところが多いけれど同期の方たちに会えて二、三日行動を共にできるのは何にも変えがたい楽しみがある。
 来年もきっと参加するであろうと、二十一時に我が家に帰り着いた。今日は恵那山トンネルで虹を見たけれどおおむね雨は降らなかった。
  
   俳句 秋りんやロケ地に三角屋根の赤

       道祖神膝にまつはる葛の花

 

 

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  立  秋 

2011-08-16 08:26:51 | Weblog

八月八日の立秋を過ぎても、まだまだ暑い。今年はそれからが連日の酷暑であった。
 そんな猛暑の中、A氏が「山帰来」の生えているところを見に来られた。
 ひとり生え(実生)でたった三ケ所三本だけの蔓では期待外れであったらしく、こちらも葉を摘んであげるでもなく、根を抜いてあげるでもなく家に入り冷房の効いた涼しい部屋の窓際で、干菓子に抹茶のお水点てをして差し上げた。
 しばらく四方山話や俳句談議をして帰られたが、帰りがけに「家内が山帰来の葉をいただきに来ると言っていた」と言われたので始めて、あ、A氏の誕生日に柏餅もどきが作りたかったのかと一人で勝手に解釈した。
 私はまたA氏の俳号が[
山帰来]なので、家にあるわといった私の家の庭へ所在を確かめに来られただけくらいに思っていた。
 それならそれで、ゲートボールの夏休みが終わったらゲートボール場の外回りの土手を探し
て見よう。
 きっと沢山あるであろうと思うのは、今の季節高砂百合があちこちに咲いていて、私が正月におせち料理に入れるくらいは、掘れば百合根がいくらでも採れるのだから、「山帰来」別名「さるとりいばら」も在るのではないかと楽しみである。
 A氏のブログを読んだ方が、名前の由来を教えてと言ってきたので、ブログ創設当時の一ページを紹介した。それは、初恋の人に嫌われた!〇〇さん嫌い、嫌い、嫌いから来ると嘯いておられる洒脱な方である。
 その住まわれる隣町の広報の文芸欄には、毎月二十句ほどが選評して掲載してある句暦四十年からの先生なのである。
 ここでもう一人今日ホームページの「カタルシスの季節」と言う小説を完結させた能登清司氏の事を書こう。
 もと、 朝日新聞の論説員で私がこの「おにゆりの苑」を製本するのに前書きを依頼した文芸家協会の評論家である。
 「カタルシスの季節」も丁度、立秋明けのお盆近くに無神論者のまま知り合ったばかりの女性の腕の中で倒れて 、極楽の彩色の幻惑を見ながら人生の終焉を迎えて完結するところが心憎い。
 スポンサーの現れるのを心待ちにしておられる。
 以前何かのコマーシャルで「男は黙って勝負する」と言っていたが、私の周りには立派な方々がいらっしゃる。
 
   俳句   立秋や白き風吹く学生街

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蚯蚓の戯言「SF」まがい

2011-08-05 09:17:43 | Weblog

 夜半、目が覚めてうつらうつらする事がある。
私は夢を見ていた。「ご破算」という夢である。
 テレビが放映した「周恩来」をみたせいであろうか。文化大革命頃の六億の民が人海作戦でしゃにむに働かされている労働者の姿をみたせいであるかも知れない。
 日本にも列島改造論をぶち上げ国中に道路を作ってしまった首相が居た。
 それらをご破算にして日本列島高台民族にする夢である。
 標高500メートル以上、海岸は断崖絶壁である。富士山をどうしようかと言う質問も出たが、それら1、2の山を残して埋め立ての資源にするのである。
 一度見た邯鄲の夢や生活は後戻りしにくいが、スカイツリーやタワーに使うお金や電力までをも、鳴りを潜めている社会主義や共産主義がまかり通ってそれらの党が、かっての中国のように、日本列島をよいとまけのようにもっこをかついだ人間で溢れさせる。
 漁業組合も高台にあって漁師は不便でも勤め人のように海へ通って行く。地産地消に重点を置いた町の商店街は閉めているシャッターを開け買い物難民の年寄りが出ない活気のある町づくりをする。
 研究者は放射能の他、地震、津波、台風を起こさない天体のメカニズムを開発する。
 一部の資本家によるスーパーの激戦は許さない、大体車に乗って行って日常の生活物資を調達させるという国民を愚弄した風習を規範する。
 勿論、かってスイスを模範にして始めた老人が楽のできる年金制度も改める。
 いたずらに老人の寿命が延びて、それにたかる医療や診療報酬など支える若者は負担増で自分の結婚さえためらってしまう。
 年金はやめて国民一律に分配される保障制度を打ち立てる。
 なんでもうじき死んでいく私が取り越し苦労のこんな夢を見たのであろうか。
 顔を洗ってポストへ新聞を取りに行くと朝早くから老人介護の車が、老人を乗せて走って行った。

      俳句 [紅緑]
を読みしあの日の夾竹桃
     
          夏山や静謐にして朝ぼらけ

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