おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

庭の花二題

2013-05-22 23:43:40 | Weblog

 指を骨折したせいで、家に居る日が続いている。
一枚ガラスの向こうにはどうしても思い出せない勢いの良い木の一叢と菫のような紫色の小花がぽこぽこと咲いているのが見える。
 日課にしているパソコンのお気に入りにいれてあるブログを順番に見て行くと、Aさんが足を悪くされた奥様を医者に送って行くと、半日がかりなのを「骨折は骨が折れる」と嘆いておられる。
 「先生もだじゃれがお好きねー」と独り言を口にした途端ここ一ヶ月以上も思い出せなかった木の名前を思い出した。
 「ぼけだった!」と言って笑った。「呆けが木瓜」を思い出した瞬間!骨が折れるの言葉に誘導されたのである。
 今一つ朝ごとに菫のような小花をぽこぽこ咲かすのは以前東山植物園で「千島桜」と名札をつけた鉢物を見たのでそれからは草取りをする折にそれだけは残すようにしていたら、年を追って増えて来たのである。
 昨日が株をなすように沢山咲いていたのに写真に撮りそこねた。写真が際物だと思うのはチャンスを見逃したら再びは返らないからである。
 指がくっつくまで、絵が描けないので二三本小鉢に生けてみたがさっぱり冴えない。
 来年こそは植物園にあったように広い鉢に咲かせて名前の由来も知りたい。今日咲いたアマリリスが、撮るなら今でしょと言っている。

   俳句  色艶のスナック豌豆目にぞしむ
      
                今でしょと流行言葉にアマリリス

 

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 母 の 日

2013-05-13 14:08:58 | Weblog

 母の日は、句会で出かけると言った夕方、娘が薔薇の籠盛りとショコラケーキとお小遣いを持って駆けつけてきた。
 思うに過去何年もの間、その日が近くなると、デパートで洋服を買ってくれたり、旅行に連れて行ってくれたり、御馳走をしてくれたり、ストーリーものであった。
 呑気者の私はそれとなく気が付いていたが甘受していた。
 此処へきて心苦しく思うようになったのは、母が亡くなってその先を向ける所が無くなったせいであろうか、私も何のかのと理由をつけて、母とは良く行き来をしたものであった。
 中途半端な物言いをしない娘は帰りがけに「いい?これは、造花でなくて生け花だからね。水をあげないと枯れるよ」と言い置いて行った。
 ピンクのハトロン紙の中は白のレース柄のセロハン紙で薔薇の花とカーネーションはピンクの濃淡に白の霞草の籠盛りである。緑の葉がそれらを引き立たせている。彼女のコーデネイとなのであろう。
 其処で私は触発されるともなく、在職中にギブアンドテイクで、買って上げなければならなくなって、当時は高かった造花の箱盛りを「こんなのあれだけ花を育てて居る母に送っても、笑われるだけだろう」と自分の住所に送って、居間の窓際でほこりをかぶっているのをネットに入れて、洗濯機で洗ってみた。
 白いテーブルに娘から来たピンクの薔薇と白と黄色と紅と霞草の半開の箱に入った薔薇の造花を並べてみた。
 そこには庭で咲いた芍薬を品良く一輪活けて父は母をイメージして毎年芍薬を育てていたのだろうなあと私だけが勝手に思う前日からの花もあって此の季節花のオンパレードである。
 去年まではその上に今は入院中のお隣さんが私は独り者だからとぎこちなく赤い薔薇をくださったものである。
 句会から帰ったら来ていた息子は「母の日だからね」と買い物に乗せて行ってくれて、孫が来るからと急いで帰って行った。

    俳句  竜天に昇る大願成就の日

         柿若葉里一帯を明るくす

         綿毛飛びそぞろ夏にぞなりにけり

 

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    時

2013-05-07 08:58:30 | Weblog

「金剛石も磨かずば」と歌ったり「少年老い易く学成りがたし」などと、口ずさんでいた若い頃の「時」は果てしなく悠久なものであった。
 ところが齢をとってみると、「時」には、いろいろなものが、付随していて例えば過去、とか生活、とか,経済、友人、体調、家族、気候などとかあらゆるものが、この一瞬を成り立たせているものだと思うようになった。
 差し詰め今日の私は、役所へ戸籍謄本を取りに行って、そこから、俳句のIさんに、電話をすると、二つ返事で交流館まで出てきてくれた。
 その交流館から来ている市の行事に参画するかどうかのアンケートを句座として、提出すべきかどうかを相談し、それはぼつにすることにして、四方山話をしてお茶をした。
 JAで買い物をして2時半のバスに乗るという私を送って行きましょうかと言ってくれたのに、すぐそこだからいいわと別れ、一筋間違えたなと思ったとき、突き当りまで行くか戻ればよかったものを、そこだけ空いている市役所の駐車場の奥から向こうの筋に跳び降りた。
 前にも一回そうしたことがあって、以外に低いなあと思った筈なのに又同じことをする粗忽な私である。
 今回は着地の足が体を支えきれずに、水泳選手が水にダイビングするように全身をコンクリートに打ち着けたのだからたまらない。
 前を横切る車から「大丈夫ですか」と青年が下りてきてくれたが照れ屋の私は、「大丈夫、ありがとう」と言ってしまった。
 そそくさと買い物をしてバス停に来ると時間は、まだ10分もあった。踏みしめる足もとが震えて心もとない。
 帰って風呂を沸かして入ってみると、両膝は擦り剥き血が出ているし、肩も打ちつけ顎も擦り剥いて血がにじんでいる。一番肝心な右手の中指と薬指の付け根が折れたのか肉離れしたのか、不自由で痛い。
 絵を一枚描いたところで右手を見るとグローブのように腫れてきている。行きつけの整骨院へ行こうとしたが水曜日は午後の診療は無しでギブアップ。 
 変なくっつきかたをするといけないから、明日は一番でお医者に行く事にする。骨折は一生の内に三回した。戦争、終戦、結婚、子育て、昭和から平成になり、空の巣症候群なども通り越して今やお一人さまである。
 今日は五月一日メーデー五十年以上の昔労働運動華やかなリし時、鶴
舞公園に集結して、八時間労働を勝ち取ろうとシュプレヒコールをしていたこともあったのに、やれやれ今日は大変な老いの一日であった。

     俳句   ポピュラーなクラシックの音春憩ふ   

           風薫りギャラリー拍手惜しみなく
            
                      鴨引きて開店休業湖(うみ)たひら

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