おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

ヘヤー美容室

2008-05-24 12:00:48 | Weblog

 バスに乗って行きつけのU美容室へ行ったら、「臨時休業」の札が架かっていた。

 次の日電話をしてみた。私を担当してくれている女性店長の、懐かしい声がして、ほっとするかしないかに「一週間位店が休みになります」との事「何で、体制的なこと?」と聞くと奥歯にものがはさまったような、物言いなので、何となくそうなんだって気がした。仕方がないので、ユニーまで自転車で行って、初めての美容院で世話になった。

 美容室をあちこち変える人があるが、私は余り変えない。独身の折は、同級生が卒業後開いたところで、へップバーンカットをしてもらっていた。結婚してからは、ご近所の昔からの髪結い処へ行っていた。宮参りやら、七五三やら、着物の着付けも頼めるので、それはそれで重宝したが、この地に越して来てからは、通勤途上に開店したF美容室を、友達に紹介されて、世話になるようになった。

 男性ばかりのスタッフで、無言でやってくれるのが、有り難かった。リラックスできる唯一の所なので、世間話など、語りかけられるのは、ある意味鬱陶しいのである。値段も高かったが、カットが誠に上手かった。「どのくらいの間隔で来たら良いの」と聞くと「二十日だね」と言われて、星が丘店が閉店するまで二十四五年は行った。定年退社をしてからも、わざわざ池下まで、そのセクシーな店長名指しで三年くらいは通っていたが、家の裏に新しい店が出来て、夫にも手がかかるようになったので、変わったら、一年経つか経たないうちに、ある日突然その店がなくなってしまった。

 それからのU屋なので、もうやっているのかと今朝電話すると、応答なし、星が丘や栄のお店も「○○の都合で応答できません」とかえってきた。髪のことは、もっと自分自身意識をしてよさそうなのに、案外にそうでもない日常茶飯事なのであった。もう歳をとって、F美容室の店長のハイカラなセンスのカットを顔が受け付けなくなったからと、シルバー料金のu屋で満足してたのに。改めてこの命この身、人の世話になっているのだと言うことに気のついた、今様の、アクシデントであった。

俳句 ○ と見かう見して気に入らず木の葉髪 

   ○ 留鳥のさびしさに慣れ鵜と遊ぶ

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私のゴールデンウィーク(中央道ばかり)

2008-05-14 12:01:00 | Weblog

  ※4月20日 毎年催されるKKKの同期会が昼神グランドホテル天心で、有った。

 学校を卒業して初めて勤めた会社だからと言う面面が、遠くは茨木やら郡上の奥などから、朝早くに出かけて来た。送り着けて置いた衣装を着た日本舞踊や、この日の為に練習をしてきた、からおけで、宴を堪能した後、座敷が盆踊り会場のようになって終わる。

 此のホテルは、浴衣の色と柄が選り取り見取なのが、嬉しい。4,5人づつの部屋では、これが良くて来るとばかりに、女性特有のお喋りに華が咲き、気がつけば朝市にも行き損なっていたりする。

 私も帰りのバス停で、此の温泉郷の花桃が、今が見頃なのに気付いた。

 俳句  ○   お開きは郡上踊りよ宿浴衣

 ※ 5月1日 「信州は、まだ春よ!追いかけない?」と妹にメールしたら、二つ返事でその運びになり、パソコンで宿も取れて車も出すと言う。

 園原インターで 降り予備知識無しなので、道しるべに頼って行き当たりばったりで、ヘブンスその原へ行った。山越えの長い長いロープウエイで、山桜や萌黄色で新芽の山の原を望み、園内の散策では水芭蕉の群生地まで随分と歩いた。小川のせせらぎには、いわなの姿があり、黄花カタクリも咲いていた。澄んだ空気を震わせて鶯が実に良い音色で鳴く。ぽかり、ぽかりと咲いている水芭蕉の可愛さに写真を撮ろうと有刺鉄線を跨いで沼に転げ落ちそうになったのも、私のいつものパターンで、かいなに血がにじんだ。木曽馬や山兎が残雪の側の柵の中に居た。リフトで展望台に登り遥か穂高連峰と御嶽を望んだ。

 リフトを降りてからは田川温泉郷の花桃を愛でて歩き1本の木に、白、紅、桃色と咲く様は、はじめて見る桃源郷で、母との3人で来て天竜下りをした10年程前には、無かった里の色合いである。

 翌日は元善光寺へ行き、途中[ひまわり]の湯に入って治部坂峠を越えて帰った。

 俳句  ○  芹蕨並べて婆の朝の市

      ○  蕗葎リフトは上を行き交ひぬ

 ※5月10日 今回は、瑞浪で現地集合して東鉄バス1台の団体旅行である。

 百聞は一見に如かずとばかり世界暫定遺産候補になった富岡製糸所を見たいと言う、かってのKKKの(4月20日とメンバーは違うけれど)仲間達で、諏訪でインターを下り、池の平ホテルとコマーシャルで唄うお馴染みの白樺湖畔の蕎麦どころで信州そばをいただいて、群馬県に入る。

 明治5年の富岡製糸所の建物は、噂に違わず堅固である。その日は生憎の雨で、傘を挿したりすぼめたりして場内案内のうぐいす嬢について周る。さすが日本の貿易を一世紀支えた企業と得心のいった面々は、それなりに満足してホテル磯部ガーデン雀のお宿に到着してくつろいだ。

 俳句  ○   姨捨ての地名は今も藤垂るる

      ○  旧軽井緑雨に響く中国語

 

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後期高齢者医療制度

2008-05-05 05:24:10 | Weblog

 後期高齢者医療制度は、スタートから混乱した。

 先ず第1に後期高齢という名称に「誰に向かって言う言葉か」と年寄りが、激怒した。次に怒ったのは、75歳以上を切り離した医療制度になったことにである。

 75歳の誕生日を迎えた途端自動的に「後期医療制度」に移行、介護保険料と合わせて年金から天引きされる。年金それ自体が物価の上昇で、実質的に目減りしていると言うのにである。年金記録不備5000万件が、宙にういたまま正しい年金が支払われてない未解決の状態下で、天引きするのは可笑しい。年金記録が消えている疑いがあるのに天引きされている人は70万人もいる。

 私は、何故予算の大枠を、単一に考えるのか、無駄遣いの多い道路特定財源などと摺り合わせて、組み直さないのかと思う。

 此の国の医療費が、増え続ける状態で何もしなくて良いというのは無責任である。将来世代につけを残さない社会保障を安定させるには、どういう医療制度にしたらいいかという将来像を打ちたてなければ、国民が不幸になる。

 今の状態では低所得者対策が、しっかり成されていない。医療内容の一つを例にとってみても、今迄国保の補助事業で出来ていた人間ドックの補助が受けられないとか、医療費を、包括払いの担当医制度の仕組みにして検査や治療費を減らし根幹には年寄りが、医療にかからずに亡くなるのを誘導する軽老思想の現代版うば捨ての制度なのである。

 低所得の為子供の健康保険の被扶養者で、今回保険料徴収の対象となった高齢者の減免据置の延長論が与党内で上っていると聞くが、独居高齢者は、以前から国保の保険料を自分ではらっている。今回も4月の年金から待ったなしで、天引きされている。減免据置はこうした不公平も解消するものでなければならない。

 何でも試算の出来るOA化IT化の時代に、徴収してみてから、6月迄に考えるという政府のやりかたに又うやむやにされると、声をあげるべきである。

 本来ならば、も、そっとして置いて欲しい高貴な年齢層なのに、死ぬまで、戦戦兢兢として惚けても居られないと思う昨今である。

  俳句 * 垣ごとに垂る華のよき聖五月

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