おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

気 散 じ

2012-11-24 15:02:03 | Weblog

 胃カメラの診断結果が「炎症を起こしていただけ」との医者の言葉に、鬱々としていた気が晴れて、今日は「栄」へ出向いた。
地下鉄の車内は殆どが冬装束で、秋のコートは私だけであった。
 「梅の花」で胃に優しい豆腐料理を食べて、松阪屋の美術館へ「琉球王朝のいろとかたち紅型」展を観に入った。
 展示場いっぱいに琉球独自の染色世界が展開されていて、それぞれの模様が、花と何かと組み合わせてあったりしてとても素敵であった。
 隣の会場で「松坂屋 大正100年・躍進の軌跡」と言う資料室企画展をやっていた。半世紀を名古屋で暮らした者にとっては慶長に始まる松坂屋の軌跡はいとう呉服店にはじまり、社会の動きに合わせての説明が面白かった。
 帰りには本日メインの知人の市民ギャラリーでの写真展
を見せていただきに寄ってすぐれたポストカードを二枚もらった。
 たまに出て行くと、大きいところは言わずもがな私サイドで知った店もその移り変わりに、今様浦島めいてくる。
 松坂屋の西向かいの「蓬莱」は建替えかと思っていたら未だに出来ていないし、私が今日食事をした久や公園を挟んだ東向かいの「梅の花」は現役時代良くお世話になったS食品の会社だったところである。
 松坂屋の北一筋目にあった「かに本家」も駐車場に貸したのか売ったのかは知らないが、止めた自動車で旗を立てて「かに寿司を売っていた。
 翻って野田政権は解散したし、多くの党が躍如としているし、若者は就職難にあえいでいるし、この先一体どう舵が取られるのであろうか?
 寿命の伸びた年寄り世代が取り越し苦労をしても仕方がないが(でも石原慎太郎とは同い年のはず)気散じをしていても心落ち着かぬ日々である。
 それにしても季節は追いかけて来るから冬物のコートとマフラーには衣装代えをしなければならない。

  俳句 鴛映えて池の王者となりにけり
     
      紅葉狩り馴染みとなりしレストラン       

 

 

 

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胃 カ メ ラ

2012-11-14 08:20:24 | Weblog

 京都へ旅行をした次の日から、食事後二時間くらいすると胃が痛くなり、背中までが痛んだりした。その痛みは下腹へ移動して、正露丸を飲むと治ると言った日が続いた。
 犬山であったОB会の折同室になったCさんに、寝物語に話すと「すぐにお医者に行って診て貰いなさいよ」と心配してくれた。
 二日後土曜日が主治医のM先生の日だからと、バリュームも良し、胃カメラでも良しと何も食べずに九時までに医者に着くと、ギブアップ、十一月三日文化の日で休診!
 だったよねーとコメダへ向って自転車を漕いでいると、普段血圧の薬をもらっているN内科の前で中年の夫婦がいらいらして、待っているので「今日は祭日よ」と言うと二人とも「あっ」と休診に気づかれた。
 痛いのを我慢していてM先生の水曜日に出かけていくと待合室へ今迄見たことのない看護士さんが来て、「水谷さん今日は何か相談でもあって来られたのですか」と尋ねる。
 そんなこと看護士さんに言われてもねーと内心思っていると、「今すぐになら名大から来ている先生が対応できますよ次ぎにはオペが入って居るから」と言う。「どうしようかしら、でもM先生に話してから」と断った。
 そこでその話に乗る勇気がなかったばかりに「胃カメラ、今日来て今日と言う訳にはいかんわ、今度十日の土曜日十時にね」と言われた。
 胃カメラくらいと拒否するのにその日の夜、婿さんとオーストラリアのケアンズとかへ日食を観に発つと言う娘が同行してくれた。
  現役時代毎年のように人間ドックに入って居たのに、胃カメラというのは初めてであった。
 口から硬い管を通して行くと一目瞭然自分の胃の中が見える。だいぶ進んだところで白い斑点が二三個見えてきた。
 「胃潰瘍がありますねーこれは痛かったでしょう」と若い先生は言い粘膜を摘まんで取り検査に回すといわれた。
 主治医は「治らない病気でなくて良かったねと言い痛み止めの薬を出してくれた。次ぎの土曜日に結果を聞きに来るようにとのことで、理詰めで話を聞かなければ気の済まない娘もそれ以上は聞きようも無くて喉もと過ぎれば暑さも忘れるとばかり、山本やの味噌にごみを食べて送ってもらった。
 くれぐれもあまり忙しく暮らさないでと言い置いて娘は帰って行った。四枚くれた胃カメラの写真を眺めながら、医学がこんなに発達して来ているのに、痛み始めてから十日もかかってやっとここまでたどり着いた事を思った。
 寒くなりそうなので扇風機を終い茣蓙を絨毯に変えて櫓炬燵をだした。お一人様もこれで結構ストレスが溜まる。

    俳句 七五三旗を連ねる白山社 
        美濃和紙の澱振り重ね漉かれけり

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 О B 会 ( そ の 2)

2012-11-04 13:32:57 | Weblog

 十一月一日今年も片倉工業のOB会が犬山ホテルであった。
去年欠席したら出席した友達が舘山寺の会場から「元気な内は来てよ」と連絡してきた。
 今年は同じ日の句会の懇親会に半分付き合って、赤池駅までタクシーを飛ばしたりして三時半からの中国、四国、関西地区定時総会に遅刻をせずに間に合った

 ロビーで懐かしい二年ぶりの方達に挨拶をして受付を済ませた。
 社長の挨拶が、社の近況報告としてかなりくわしくあり、あらゆる部門の、不動産、新薬、介護、環境問題、健康分野などもっといろいろの部門が、連絡ベースとしては下方修正するのは時節柄、世間と同じで、衣料など成長部門への転換を計っているとの事であった。ゴルフ場は閉鎖してイトウヨウカドウが入ることに話が出来ているとか、群馬県の富岡製糸跡は今年には、世界遺産になるだろうとのことであった。
 八十七年間使った旧本社ビルの京橋三丁目が来年三月に地下三階地上四階のオフイスビルに竣工完成するとのことであった。
 ついで、議長就任、議案として二〇一一年の決算報告と二〇一二年の予算と、役員改選その他で、社歌を歌って閉会した。
 
宴会のあとは、こちらがメインみたいな懇親会に入り広いカラオケルームを十一時半までも借り切っておおいにたのしみ旧交をあたためた。
 明けて二日はバイキングの朝食をとると犬山城をバックに全体写真をとって、希望者は明治村の観光をした。
 本部が話を通してをいたのか、ガイドが一番に機械館へ案内してくれて、そこには重要文化財のリング精紡機や片倉の名前入りの立派な機械が展示されていた。
 目的別で見るものも変わり、俳句の吟行で来た時は漱石住宅とか露伴の住宅のあたりを歩いた。今日は限られた時間なので適度な運動をしたていどで帰りの予約のタクシーに乗り込んだ。
 私としては今月のエッセーの宿題が「写真」なので、立体写真館を興味を持って見た。
 此のОB会も高齢化で年年歳歳会員が減る。一生勤め上げた男性に混じって勤続の浅い女性たちが結構意気軒昂で、来年は本社の近く、東京でやろうという案が出ている。犬山遊園で現地解散をした。

    俳句   鈴なりの柿もありけり明治村

          御手洗に幼な駆け寄る秋日和

 

 

 

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