おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

春本番の桜

2018-03-27 18:04:01 | Weblog
今年は早々と桜が満開になった。
 にぎわい句座は四月三日に五色園へ吟行なので、今日三月二十七日先生と一部の役員で下見に行った。
 昭和九年当時の管主(森夢幻)により視聴学伝導をめざして設立された。五色園はそのため、いたるところに親鸞聖人の旧跡をあらわした像がある。五色園の名前は園内の五種の樹木の彩りから由来していて、松竹梅桜紅葉がそれと言われている。園内の三千本の桜の満開は人々の目を楽しませ、園内には大安寺本堂、はるか向こうの墓地は霊園墓地として宗旨宗派を問はず、利用出来宿泊施設は参拝者、研修、合宿など一般の宿泊も可とある。
 何でも日本で唯一の宗教公園とのこと広大な切り開かれた山には、三千本の桜が満開を誇り百体以上のコンクリート製の坊さんや武士の人形群がそれぞれの場所で色つきで映えている。 当、日進市にある日本観光振興協会の五色園へは私としては五十年ほど前子供が二人名古屋の中村区の幼稚園へ行っているときバスの二台できたことがあり、遠かった覚えである。二回めは、日進に住んで孫三人と娘とで花見に来たことがある。桜は満開で日曜日だったのか大勢の人の波で私を見失った男の孫が「しゅんくんの、おばあちゃん、しゅんくんのおばあちゃん」と叫びながら土手を走って探していたことをはっきりと覚えている。次は十年ほど前に今は施設に居る妹と娘との三人で紅葉をみに来たことがある。
 今まで何度きても幼なを遊ばせる大義名分でじっくり観賞したことがない。今回も先生が事務所へ入って行ってパンフレットをもらってきてくださり、これが、全うなのだと気がつく。人の背丈より低い今咲いたばかりの静謐な桜を何ときれいなとまじまじと眺めた。そのくせ、当日まともな句が詠めるか自信がない。
 何せ写真家でもある先生と一緒にいてスマホも持っていたのに、花の一枚も撮ることを忘れてくるような私なのだから。

     俳句  池の端山菜探す清浄さ
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熱海へ旅行

2018-03-05 12:55:55 | Weblog

毎年私の誕生日には何かをしてくれる娘が「三日、四日、は空けといてね。熱海に宿をとったから」と熱海に連れて行ってくれた。
 伊豆山のてっぺんに近いイトチューの寮で、婿さんの同窓会があるのに、便乗して行った。私達の宿は海を望むやすらぎの宿「さがみや」だった。
 熱海といえば昭和二十年代の社員旅行、三十年の新婚旅行などこれで六回目くらいになるが、今日見た寛一お宮の像は昔はもっと大きかったように思う。きっと建て直しているのであろう。
 海に臨むすべての客室がオーシャンビューのさがみやは一階と八階に家族風呂等七つの湯どのがあって料理もまたとない美味しさであった。娘はワインを私はビールを飲んだ。
娘の「八十五歳おめでとう」を耳にしたお運びのねーさんが思いがけず赤いリボンのついた写真立ての箱入りをお祝いにとくれた。
 おだやかな大海原の夕方も次の朝、のぼる朝陽をみても、相手が大きすぎて俳句が一つも出てこない。
 翌日はフロントで婿さんと落ち合って、日本一早咲きと言われる「熱海梅園」の梅を見に行った。白梅も紅梅も真っ盛りで、娘も私もスマホに撮った。日曜なので大勢の梅見客で賑っていたが、私ももっと上までついて行けばよかったのに、足を労わって芭蕉の句碑 「梅が香にのっと日のでる山路かな」に近い中央広場でお年寄りのウクレレや合唱を聞いて待っていた。
 帰りも第2東名で渋滞もなくサービスエリアで食事の時、婿さんが「トランプ、トランプ」と言うので「何だそのトランプ?」と言って私は曽野綾子の「夫の後始末」という本を買ったり外に土産を買った。銘々の好みの食事をして一路帰名した。

    俳句 寛一はマントと下駄でありし像
   
    梅見頃舞台に立つは年寄り衆 
    
    梅林のぬける青空飛気一つ
    

コメント (2)
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