おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

 母の日と言えども

2024-05-10 14:51:30 | Weblog
 
  娘が「もう直ぐ母の日だから何が欲しい?AIのわんちやんどう」と言うので「私、嫌い」「やっぱり、じゃあNHKの俳壇六月号持ってくるわ」と言うことになった。
 それでなくても隣の家の犬が先住民の私の出入りに吠え立てるのである。
 子供の頃、実家には、ポチ、猫、スピッツ、カナリア、インコ、小屋には、鶏、兎などがいた。
雨の日には庭石の間にガマガエルがじっとしていて、ちようずばちには金魚やメダカが泳いでいた。天井裏には鼠が音を立てていたし、庭の木には尺取虫や、とかげもいたし、離れの大屋根には、バレーボールほどの空の段柄蜂の巣がぶら下がっていた。
兄弟姉妹が多かったので、誰かがそれぞれひいきにしていた。父が口移しで猫に魚を食べさせているのを見た覚えもある。そんな中で私は集中力のない子供だったのであろう。こうした大圏の中に居ただけである。
 俳句の先生に「歳時記を読むと字面では、動物、植物、の名前を知ってはいるけれど、現物を知らない」といったら「音の出る歳時記を買いなさい」といわれた。時すでに遅し。
 携帯電話にしても、電子辞書にしても今となっては、充分に使えず、耳は衰えて補聴器を、眼鏡の上から虫眼鏡を、足は杖かカートなのである。
 抹茶を飲みながら視界の庭に目をやると梅の木や椿の木の下の草むらに、芍薬がさき、白百合はつぼみを持ち、蛍袋は黄色に開き、紫陽花の一叢も大きいし、千島菫は歩道に、住居の東には、枇杷の木、柿の木、茶ノ木、その下には茗荷が芽をふいている。
 何も要らない。背がひくくなって、手の届かない食器戸棚の上段の物を取る時の、労働力や、話し相手がほしい。母の日と言えども人間失格だから。

     俳句  武者人形女の子ばかりや日の目見ず
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