おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

市 民 パ ワ ー

2013-06-24 05:13:49 | Weblog

  いやはやこんなに大きな祭りとは知らなかった。
今月始めの句会の折り前期の会長だったОさんが、「からおけ祭り」の入場券を配って「私歌いますから」とマイクを握って宣伝された。行かねばなるまい。
 当日Hさんが御主人運転の車で迎えに来てくれたので、三人で市民会館に着くと
駐車場は満車で遠い所まで置きに行かれた。
 入場券には[
ブルボンからおけ祭り先着1,200名様パン&牛乳]とある。座席がないほどだったのが、一昨年まで、ここの句会で一緒だったTさん夫妻が、まるきり頼んであったみたいに、手を上げて招じ入れてくれた。
 改めてパンフレットを見ると117名の演目で五番目くらいづつに瑞鳳流の踊りがセットである。この踊りが衣装と言い所作と言い本格的なのである。
 感心しながら観ていると、Oさん夫妻は23番目に演目「浪花盃」でОさんが歌を奥さんが踊りを披露された。
 どちらも達者なものでこれだけ多くの聴衆を前に出演出来て身体はお丈夫だしある意味人生の集大成であろう。知人に観てもらいたくて券を配られたのがよく判る。 
 市長も飛び入りで北島節とかを家元の踊りを従えて歌い、
続いてK県会議員も一曲披露し、ゲートボールの始球式の時よりにこやかな顔であった。 
 「後援 中日新聞日進浅田専売所」 とチケットに書かれているがこのようなクラブが他に幾つもあるのか、席へ招いてくれたTさんは「7月7日が私達の発表会だから是非見に来て」と言われた。
 午前中が終わったところで、三人とも御無礼し私は画仙紙を買いに赤池周りで栄へ行くべく地下鉄に乗った。クルリンバスで行くと言うのにHさんの御主人駅まで送ってくださった。
 
     俳句  蚊やり香バス案内の下にかな
          採る人の無きか満面枇杷た
わわ

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 バ  ブ  ル

2013-06-12 01:36:16 | Weblog

 アベノミクスが世間を賑わせている。
一人当たりの国民総所得(GNI)を「十年後に現在の水準から百五十万以上増やす」と宣言したからである。
 GNIは給与や年収のことではない。以前につかわれていた(GDP)国内総生産と言う言葉が時代と共に日本人や日本企業を国民とみなし国内外(これも含まれるようになったのであって)中身はいっしょ。
 企業所得を含むGNIが増えても必ずしも給与所得にはつながらない。
三十年程前になるが娘の結婚式の折、婿になる人の上司が、祝辞の中でGDP、を連発して場所が場所であるだけに、危機感をあほられる気がしてトップに近い人達は、日頃から気違いじみているなあと初めてその言葉を知った。
 あに計らんやそれ以降日本経済は下降線をたどったが、右肩上がりの時代感覚は抜けることなく持続した。
 そう言う親に育てられた今の子供達は、何万人もが、いじめられたり、学校や会社への不適応、心の病気でひきこもりになってしまっている。人と触れ合うことを恐れ拒みネットやゲームなどの仮想世界で生きていたりする。
 テレビ社会も困ったもので毎日何らかの良からぬ事件が放映される。世相が良くないのは、就職難も伴って低所得者層も多いと言うことである。
 所詮はアベノミクスを支持出来るのは大企業で働いていて今の此の安い金利で長期ローンの組めるような人達だけであろう。
 私は今、佐野信一の巨怪伝(いち早くテレビを世に送り出したり、読売新聞を牛耳って、野球の巨人軍を設立した人)を読んでいるが国でも企業でもトップに立つ人は願望達成の猛烈な熱情と野心、自己顕示欲を持って居なければ到達出来ないと知った。
 男の中の男でなければ・・・・だが国民もいろんな意味で賢くなっている。
先日「後期高齢者の税金が一割も上ったのよ」と娘に言ったら「年間でしょ」とぴしゃりと言われた。
 それくらいでは住みにくい世代では無いよと言うことかと一人合点をした。
いずれにしてもポストバブルはどうなるか見ものである。

   俳句  良き音の風鈴探す家の中
        蚊遣火は金鳥が好き豚が良し

 

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 環境に棹を挿さない

2013-06-01 10:12:17 | Weblog

 先週中国王朝の至宝展を博物館へ観に行った。
中国展に相当するものは、これで三回めであるが今回は代々の国の王朝の宝物なので、夫々が、贅と粋を凝らした代表的な格調の高い一点ものばかりであった。
 入館する前に隣の店で昼御飯に、ひれかつ定食をいただいた。その時ふっと、関係のない義姉のことを「ねえちゃんは揚げ物といえば新栄の石川屋オンリーだったなあ」と思った。
 2:00時に桜山の地下鉄の駅から桜通り線で久屋まで乗り栄へ廻った。地下街の本屋でその日が最後の当選券の№を見ながら今評判の林真理子のものを買おうとしたら、「野心のすすめ」しかなかったのでそれを求めて松坂屋へ行き、券のある春日展も今日観てしまって置こうとしたら、その日が23日なのにこれは25日からなのであった。
 仕方がないので地下へ下りて買い物をしていると、誰かに声をかけられるので、見ると先ほど思い出していた義姉であった。
日頃ついぞ思い出しもしないのに、これは何かのお見通しかと、そこにあった椅子にかけてお互い日頃の無沙汰を謝りながら挨拶程度の話をした。
 彼女は、はがねの下ろしがねを買ったと言うので三千円くらいしたのか聞くと六千五百円だったと言い「一度遠くへ旅行に行きたいけど誘う友達が居なくなった」と何度も言うので「ご一緒しても良いよ」といって別れた。
 彼女は北区の山口町までタクシーで帰った。私も毛布を干して来なかったら一緒に行って泊り明日は徳川園へ行けたのに。
 二、三日すると電話がかかり、毎日旅行先を思い描いて楽しんでるとのこと。「私はツアーでしか行かないから、それが嫌ならねえさん組んでよ。どう言う風にでも対応しますわ」と言った。
 又一日経つと事が大きくなっている。その上の義姉に(九十四歳)話すと彼女も行きたいといって、かって暖簾分けをした店のIさんも(八十四歳)誘って四人だと言う。
 私が八十歳、義姉八十八歳で一番齢の若い私が老人ばかりで大丈夫かしらと恐がっている。

   俳句  五月闇担当医師は休みなり
        老鶯の鳴き交はし居て山深し

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